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ゲンロン大森望SF創作講座第四期第2回実作感想②

 僕、遠野よあけはゲンロン大森望SF創作講座という小説スクールに通っていまして。そこで提出された小説の感想を書きます。

 詳細は「ゲンロン大森望SF創作講座第四期第2回実作感想①」冒頭をお読みください。
https://note.mu/yoakero/n/ndf81fcbbb59c

 早速後半の感想に入ります。各作品の感想書いているうちに、興がのってきて大分長くなりました。ご容赦ください。


11「ネコの夏と冬」宿禰

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/sukune61/3371/

 ネコについてのSF的な考証は僕よりもずっと詳しい方たちが言及してくると信じて、僕は普通の小説として読んだときの感想を書きます。以降のミナコの仕事についての言及は、ほぼ僕の深読みです。申し訳ない……。
 田舎の生活の雰囲気のなかで、宇宙生物を一匹飼っているという主人公の生活の雰囲気は面白かったです。僕は田舎暮らし詳しくないのでアレですが、違和感とかはなかったです。人間関係の妙もよかったです。
 気になったのは、主に最終段落です。オチのようにキャラクターデザイン仕事の話がでますが、作品全体として活きていないように思いました。僕もこういうオチ書きがちなのですが、機能していないオチは書かないほうがよいです。話自体は「どうもその気になりそうもないと、ミナコは思った。」でオチていますし。例えば、冒頭をキャラクターデザイン仕事をしているがアイデアに詰まるミナコ、そして全編を通して新しいキャラクターの創造に悩んでいる描写、などをいれておくと最後のオチも機能します(物語を経ることによって主人公の状態が変化したことを表現できる)。
 ただしここはもっと欲張れます。現状ではミナコの仕事は生活のリアリティの小道具としてしか機能していませんが、この小説において「キャラクターデザイン」はもっとおいしいモチーフです。ミナコのデザインするキャラクターには、「ヴィゴ(宇宙)」「ミナコ(田舎)」「ゲーム作品(外界(都会?海外?))」という三つのフレームが重なっています。あるいは「ヴィゴ(宇宙生物)」「ミナコ(自己)」「ゲームユーザ(他者)」など(これはちょっと無理やりかも)。それらがミナコの生活にどのように影響しているのか。あるいは、ミナコの生活と外界とのつながりをどのように象徴しているのか、などを表現するロジックを入れると作品の奥行が増します。「ネコを仕事のクリエイティビティの源泉とするミナコ/ネコにかまけて仕事を離れるヒロシ」という二項対立もせっかくあるので、この辺もう少し有効利用できた気がします。(ただまあ、これやっても文学度は上がりこそすれ、SF度に変化はないかもしれませんが……)
 また、猫と仕事というモチーフは、現代文学であれば保坂和志の作品を連想させます。保坂は猫を通じて、「生活」や「死生観」などを独特のタッチで書く作家です。一方、「ネコの夏と冬」は地球の猫ではなく、宇宙生物のネコとの生活を描いています。両者の大きな違いは寿命です。また後者は集合的意識をもった生物です。そのような生き物との共同生活は、当然現実を舞台とした小説では書けず、SFだからこそ書けるテーマと言えます。作中でも、ネコと現実の猫との差異(寿命)については触れていたので、ここを「ミナコの生活」というこの作品の主要なモチーフ(と僕は思いました)に紐づけられるとぐっと作品の質が深まるような気がします。
 長々と書いてしまいましたが、これは僕の主観なので、作品にそもそも備わったポテンシャルが読めていない可能性が多々あり、「まあ、そういう風に読む読者もいるのだなあ」くらいに感じて頂ければ幸いです。


12「夕焼けバニーホップ」一徳元就

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/tygennari/3316/

 なるほど……わからないw
 でも20作も読んでいると、文字数が少ないだけで最高にうれしい気分になりますね。欲を言えば、きちんと物語を語り終えた上で短い字数にまとまっていたらさらにうれしかったです。
 この作品は、つまり天使たちが自我を発見し世界を知覚することと、少年たちが友人関係のなかで世界を把握することが重ね合わされて書かれているとは思うのですが、物語とかがないので、そのことが読者とどう関係を結んでいるのか(あるいは結ぶ予定だったのか)が見えてこなかったです。あと「迷子になっているのはこの世界の方だ。」という一節は、誌的ではあるのですが、小説の文章としては唐突で脈絡がなく、うまく読めませんでした……すみません。
 とにかく書くべきことが書かれていないという印象です。次回は十分な文字数を。(あと梗概の時点で物語は内包されていた方がよいと思います)
(ちなみに、バニーホップって自転車の技なんですね。ググりました。スケボーかと思って読んでいました……)


13「縮退宇宙」宇部詠一

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/ubea1/3313/

 おもしろい!こいつら、親子喧嘩で宇宙ひとつ潰しおった!w
 やっぱり小説書いてると、一度や二度は宇宙をぶっ壊したくなりますよね! 僕も以前、「ちこく、ちこく~」の場面から宇宙をぶっ壊す科学考証ゼロのクソSF小説を書いたことがあったのを思い出しました。宇宙、ぶっ壊すの楽しい。
 これはもういろいろ書きたいことが思いつく作品です。ちょっと長めに書きます。
 まずいきなり細かい事をw 途中の、「さらに、もしも私たちの自由意志が量子論に支えられているとしたら、今のジルベルトは予測される通りのことしかできな。」というのは、「量子論に支えられていないとしたら、」の誤り?ちょっと僕が物理を理解できていないだけかもしれませんが。
 で、本題ですが、まずSF的な語彙があふれていて、それでいて僕のような俄かでもきちんと話が追えるようになっていてすごい。本筋が「親子喧嘩」と「決定論の否定」に絞られているからですね。宇宙の終焉と再誕は舞台設定として理解すればすいすい読めるという親切設計です。ただシミュレーション仮説の部分は、ちょっと疑問があるので後述します。
 僕の拙いSF知識だと、『タウ・ゼロ』とか『インターステラー』を想起しました。読み始めは、いかにも既存のSFにありそうな物語かと思ったのですが、母娘の関係を主軸にすることで(僕のような読者は)新規性を感じました。中盤までは科学者としての態度を崩そうとしない主人公が、終盤では科学者としてではなく娘としての自分に変わっていくような展開も変化があって飽きが来ません。そしてジルベルトが目にする宇宙終焉の描写は、何が起こってるのか理解がおいつきませんが、それもまた宇宙終焉っぽくて納得感がありました(頭の悪い感想)。
 中盤以降はとにかく没入して読むことができ、とてもよい作品だと感じました。宇部さんは技術も高く、おそらく志も高いのだろうなあ、と感嘆する思いです。

 そして、ここから少し、その宇部さんのレベルの高さを踏まえての感想になるのですが、というか、作品単体の評価を離れ、世の商業作品と比較して感じたことなので、野暮なこと書いてしまうことになるかと思うのですが「そういう風に読む読者もいるのか」と気軽に読んで頂ければ幸いです。
 母娘の関係についてです。ちょっと文学的な話でもあります。この特殊で普遍的な矛盾する関係は、フィクションでは繰り返し描かれてきたわけですが、その文脈でこの作品を読むと、それはいささか単調に感じられてしまいます。つまり、現実の母娘関係はもっと複雑であるという話です(この辺で察しているかもしれませんが、これは本当に作品単体の評価とは別の話になります)。娘と母の関係は「反発/和解」という単純な図式で語れるものではないと僕は思います。これはおそらく息子と父親であれば、このような図式でおよそいけるとは思うのですが。とか男性の僕が言うのもアレですが……(あ、ちなみに「宇部さんは男性である」という仮説の上でこれを書いています)。
 そしてさらにもうほとんど僕個人の考えていることを好き勝手に書く(つまり学として何も根拠のない話です)と、この原因はこの小説の母娘関係が男性的な言語で書かれているからだと僕は思います(とか書くと言語を「男性/女性」という不毛な区分で捉えているようで馬鹿みたいですが、まあ、男性的傾向の強い言葉、くらいに思っていただければ)。現実の母娘関係は、やはり女性的傾向の強い言葉で語られる方が、現実に生きる人びとの実情に近くなるのではないかと愚考するわけです。男性が男性的言語で、母娘関係を書くことに意味がないわけではないのですが、現代ではこの問題は女性的言語で書いたほうが実りが多いのでは、と思うのです(と言いつつ、僕は勉強が足りていないので、そのような仕事を行っている作家をパッと例示できないのですが……)。
 なんかごちゃごちゃしてきました。ざっくり構造的に今の話をまとめます。「母娘関係の問題」を「男性的言語」で書くことの限界を、この小説には感じたということです。そして科学的な言葉(論理)は、まさに男性的言語の代表だと僕は思います(根拠ないです。西洋哲学がそもそも男性的、みたいなよくある難癖的な、しかしそれでいて一定の説得力はあるやつです)。
 この物語、「親が子のために宇宙を潰す」わけですが、この親の性別は確かに母親の方が説得力が強い。父親だとちょっと過保護すぎてキモイ。だからこの作品で書かれるのが母娘関係であることは必然性がある、と一瞬思いかけてしまうのですが、実はこれは母と息子の物語でも書けてしまうと思うのですね。その意味で、母娘の関係の本質をとらえそこなっている。
 と、僕はいろいろ考えが進んでしまいました。ひとえにこの小説が面白かった故の暴走と思っていただければ幸いです……。正直、今書いたことは作品にとって別に瑕疵ではないので。作品の役割は、僕が書いたことにないのは明白であり、言ってみればこれは「批評の暴力」と言えます。僕の書いたことよりも、SFというジャンルでの位置づけのほうが重要であることは明らかなので。
 とかやはり長々と書いてしまいました。野暮なことは以上です。あと、ちょっとだけ疑問が。

 これは僕の純粋な疑問で、宇部さんに直接詳しく質問したいことなのですが、「シミュレーション仮説」が仮に正しいとして、その場合、シミュレーション世界内では量子的ゆらぎは起こり得ない(つまり、演算によるシミュレーションは古典物理しかシミュレートできない)ということなのでしょうか?作品内のルールはそうなっている気がするのですが。
 疑問としては、
①古典計算機では量子論がシミュレートできないのはなぜなのでしょうか?(僕は知識がないので、なんか、こう、気合(?)でいけそうな気がしていました……いえ、冗談ですが)
②シミュレーション世界を演算する計算機が、量子計算機だった場合は、シミュレーションの世界に量子論が存在する可能性はないのでしょうか?
というのが気になりました。作品読解とはちょっと関係のない、単純に科学的知識の疑問(割と初歩的な……)で恐縮なのですが……。講義の日か、お時間ある時にリプがDMでご教授頂けるとうれしいです。

 約2500文字書いてしまった。。本当申し訳ないです。
 次作も楽しみにしています!

14「コタキナバル熱循環装置」揚羽はな

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/yamato2199/3346/

 うーん。。なにか、すべてがちぐはぐのような気がします。。
 いや、これは単に僕がこの小説が読めていないだけのような気もします。。僕がイメージしたこの物語の型と、この小説のもつポテンシャルが食い違っているというだけのような気もします。。という、僕の誤読の可能性を踏まえて以下、お読みいただけると幸いです。

 地球外生命体を退治する専門家たちの活躍を、コメディタッチで描いている作品なのかという気はするのですが、それにしてはリアリティや緊張感に統一感がないというか。。どのように読者の期待や感情を刺激していく物語なのかつかみにくかったです。
 まず、冒頭がシリアスに始まっているので、以降に続くゆるい展開に入り込みにくかったです。てっきり牧原が主人公かと思ったらそうではないのも悪い意味で虚をつかれて読みにくかったです。というより、この話に牧原夫妻はいなくていいのではないか、と。。序盤以降、シリアスな展開がないように感じられますし。。

 夏美のキャラはよかったです。『宇崎ちゃんは遊びたい』の宇崎ちゃんのビジュアルが最初のあたりのシーンで浮かびました。ウザイですね。よきです。(ただ、草之丞の初登場の台詞が、若干、夏美と印象が被ってしまっていてもったいなかったです)それにしても草之丞はちょっと優秀すぎますね。彼がどのように調査して熱教の正体を暴いたのかわかりませんが、電話一本で真相を教えてくれる便利キャラ。でも、この調査の過程で読者を盛り上げたりしなくてよいのでしょうか。。?
 専門家による調査ものでないとして、じゃあ悪の組織に潜入して正義をなすヒーローものなのかと思いきや、あまり潜入調査も没入できなかったんですよね。物語内の緊張感をうまく感じられず、なんかいい感じに組織の秘密もわかるし逃げ出せたし、負傷とか死者とかもなかったし。熱教の本拠地がどのくらい危険なのかも感じ取れませんでした。
 地球外生命体の存在感も、描写ではなく言葉でガシガシ説明されてしまって、いまいち感じ取れませんでした。
「早く見つけて助け出さないと」という直後に場面が変わって「深夜」となると、急いでいるのかどうなのかよくわからない……。急いでいるけど、深夜まで待つ必要があったことについて一行くらいフォローいれてくれると読みやすいです。深夜潜入のさいに「コスチューム」という語が唐突に出てくるのも違和感(教団員の外見の描写を読み落としてるかもしれないですが)。
 内部の見取り図が想像で書いたものというのも、無理がある気がする。。
 総じて、後半の展開では、物語を終わらせるためにリアリティや緊張感が軽視されているように感じました。
 凸凹コンビを描くなら、足の引っ張り合い(千波がいい感じの策を実行→あと一息で成功というときに、夏美が原因で失敗→一転してピンチ→追い詰められるが、それまでの伏線をいい感じに使って危機を回避)とかあると、無難にそれっぽくなった気がします。この辺、伏線なしに大体のことを草之丞くんが解決してくれたりしていた印象です。
 熱教がどのくらいヤバい組織なのかも、僕はちょっとわからなくて。そもそも排熱関連の設定がよくわかりませんでした。。
 千波のキャラも弱い気がします。何が得意で何が苦手なのか、などの情報があるとよかった気がします。夏美はキャラ立っていたと思うのですが、でも事件に対して貢献も邪魔もほとんどしてないのは勿体なかったように感じます。
 でも最後の一行はよかったです。
 タイトルは、凸凹コンビの活躍が物語の主眼にあるとするなら、「地球外生物対策部防疫課の熱い一日」とか(一日じゃないけど)、「こちら地外対疫課」とかのほうが、読者に物語の主軸が伝わりやすいかと。あとは「コタキナバルSOS」とか、「熱帯ツアー危機一髪」とか、かなあ。あまり面白くないので全没ですが。こういう雰囲気のタイトルなら、ルパン三世とかウルトラマンとかが参考になるような気もしました。
 いろいろ長々と書いてしまいすみません。。

15「蛇女の舌の熱さを」藍銅ツバメ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/mimisen3434/3347/


 面白かったです。梗概ではさすがにわからなかったですけど、これは母になることをめぐる物語だったわけですね。
 序盤、主人公の精神年齢が若く見えたり、社会的立ち位置がぜんぜん見えないのを不思議に思いながら読んだのですが、母親から結婚を迫られたり、恋人との家庭を思い描きながらその未来にたどりつかなかったりと、「母親になる=社会的成熟」から逃避していたゆえにああいう序盤の描写になっていたわけですね。ある種のモラトリアム感ありますね。
 そして蛇女=社会外成熟の象徴としての女性が現れ、その存在に惹かれていく。そこで面白いのが、清姫伝説になぞらえて主人公が蛇になって、元恋人を焼くところですね。清姫はまさに母になりたかった女性だと思うのですが、その清姫の復讐をトレースすることで、主人公のもつ母になりたいという願望が言葉でなく場面で描かれていてとてもよかったです。
 しかしこの小説の本当に面白いところはここからですね。元恋人を焼いた後、主人公は女の子のほうは焼くことができない。それを指して蛇女は「蛇になれなかったのね」と言う。ここは清姫伝説から逸脱していて、別に清姫は女の子焼いたりしないわけです。じゃあ元恋人を焼くことが「母への成熟願望」だとすると、女の子を焼くことはたぶん真逆で「母になることを捨てること」なのではないかと。主人公は女の子を自分の若いころの分身のように感じるわけですが、これは未来の自分の娘のメタファーなのではないかと。そしてその女の子を焼くことは、未来の娘の可能性を捨てる=母になることを捨てることを意味するのではないかと。
 では、蛇女はなぜそのような二段階の試練を主人公に与えたのか。蛇女は主人公に、元の社会へ戻って欲しいという気持ちと、自分のところに残ってほしいという気持ちの二律背反な感情を抱いていたのだと思います。そして、どちらを選ぶかを主人公に決めてほしかった。どうして母になることを諦めることが、蛇女と一緒にいることを選ぶということになるかと言えば、おそらく蛇女は子供を作れない身体だからですね。蛇女が主人公からもらうダリアの髪飾りは「枯れない花」と称されますが、枯れない花とはつまりは生殖能力のない花ということですね。あとは見世物小屋という周縁の場所にいる蛇女は、母親になることを求められない(のかどうか本当のところは知りませんが)。
 清姫伝説になぞらえた主人公の物語と、そこから逸脱する蛇女の物語という二重のストーリー(が交差する話)が描かれていて、とても面白かったです。
 ただ、この話もっとよくなるとは思うのですが、僕はちょっとどうしたらもっとよくなるのかわからないですね。。このタイプの話は難しいので。。

16「実のところ幽霊は熱い」稲田一声

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/mimisen3434/3347/

 普通に面白かったので特に書くことがない系のやつですね。。w
 細部の感想は感想会で伝えてしまったし。。読み返してみたけど新たな発見もないので。。そもそも再読を促すようなタイプの話ではないですしね。
 ただラストはなんか気になっています。主人公は未練を残して成仏できず、子どもをひそかに見守る生活を送る。この小説は基本的に、読んでいて謎の残るような書き方をしていないのですが、オチだけは読者に向けて投げっぱなしにしている。あまり考えるとっかかりも作中にはない(と思う)。そもそも、未練と子供を助けることが関係あるのかもわからない。そもそも「未練」とは何なのか? ……ということを読者に考えさせる小説ではないと思うのですが(未練についてノーヒントだし)、実際にはラストで「未練とは?」と考えさせるオチになっているのが、ちょっとちぐはぐ感があるような気はしました。


17「SUN-X」宇露倫

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/master2core/3284/

 おもしろかった!ダルラジで場面の描写やら伏線やら突っ込まれていて、僕もおおむね同意なのですけど、しかしそれを差し引いても僕は好きですねこれは!
 まず、太陽に一番近づいた奴が勝ちというレースが馬鹿過ぎてよいですね。なぜ人類はこんな馬鹿なレースを。。幾人もの命知らずたちが実際に散っていく様はよきですね。映画のようなスペクタクルを感じます。
 あとラストもよきです。母親のもとに「声」ではなく「意識」を送るとは、粋な計らいですね。
 ただ個人的に気になったのもそこで。こういう、ルールの枠のなかで裏技をつかって相手を出し抜いて勝つ、みたいなクライマックスって好きなんですけど、この手で難しいのは、「なんで他の人は同じことしなかったの?」と「なんで他の人が気づいて対策とられたりしてないの?」という疑問がでやすいことだと思います。たぶん、主人公のライフセーバーが最新鋭の技術をもっているからできたことで、他の選手や運営はその技術をもっていなかった、ということだと思うのですが、本当にそうなのかちょっとよくわからなかったです。でも、意識を転送する技術は、多未来選択肢消去法的確率確定型他知性の独自の能力なのでしょうか? 未来を擱座する技術と、意識を転送する技術が、関係あるのかがちょっとわからなかったです。関係ないとしたら、主人公以外の選手も同じ手段が使えたのでは、とか、大会運営側が対策済なのでは、という気はします。僕が細部を読み落としているだけだったらすみません。
 とはいえとても面白く読みました。次作も楽しみにしています。
(あ、北海道という語彙は唐突に感じました。この世界では何か特別な意味を持った地名なのかな?と想像しました)

18「清水さん、オーバーヒート!」式

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/iioio/3273/

 ラブコメ漫画的なゆるいリアリティで、人間とヒューマノイドの「お前らいいから早く付き合えよ……」的恋愛を描く作品。肩の力を抜いて読める話で、わりと面白く読みました。
 ただこの内容だと、もっと文字数削ってもよいかな、とは思います。こういう感じの話で、こういう感じの文体だと、無限に長くすることができてしまうんですが、それは罠で、とにかく不要な描写や重複する文章は削ったほうが、作品の完成度は上がると思います。なにしろ、読者としては、ほとんど同じ光景をずっと読まされているし、ラストもまあきっとくっつくのだろうなあ、とほぼ先も読めてしまうので、短くシュッとした物語にしてくれると個人的にはうれしいです。
 設定や細部について気になるところは、まあそういう話だからなあ、で流せてしまうのであまり気になりませんでした。
 あ、でも神話や宗教ネタ使っている理由は気になりました。ヒューマノイドにとっての「神」は、恋愛対象になる、ということなのか。それとも、清水さんがたまたまそういう個体なのか。あるいは、もう少し深読みする余地があるのか。など。


19「テルミドール」渡邉清文

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/kiyo/3351/

 おもしろいです。リサが狂言回しとなり、葉とイカロスという二人の人物の欲望?的なものが語られる。テルミドールとその住人の設定は面白く、SFで外惑星を書くというのはこう書くのかあ、と大変勉強になりました。
 読みどころは、リサがエクスペリエンスを経験する場面、それとイカロスが亡命の動機を語る場面かと思います。ここはもっと踏み込んで書けたような気はします。前者は、やはり文章で読者にテルミドール人の意識をもっと感じさせてほしかったし、後者は、やはり語りの勢いで納得させようとしている感が若干ある気がしました。
 テルミドール人の設定については、夏と冬に意識の在り方が変わるというのは納得できたのですが、冬に意識を共有する仕組みがわかりませんでした。最初は接触して共有するみたいに書いてあるのですが、次にはたぶん接触のない別の共有意識体と共有を行っている。つまり距離は関係ない。でも意識が共有できず、孤独に死んでいく個体もいる。この辺、イメージがしづらいです。あと、その共有意識体に葉が加われるのもよくわかりませんでした。たぶん、テルミドール人についても意識の共有の具体的方法が書いてないので、葉が使った方法が、テルミドール人と同じなのか違うのかもわからないためだと思います。
 とはいえ、上記のことは個人的には実はそんなに気になっているわけではなくて、一番気になっているのは、人間である読者にとって、このテルミドール人の物語はどのような意味があるのか?(どのようなSF的思考を刺激しているのか?)という部分の提示が弱いかな、というところです。現状は、面白いアイデアをそのまま読者に提示しているように思いますが、そのアイデアをうまく調理して、アイデアと読者の間に関係を結んであげると、物語としての魅力がぐっと増すように思います。
 みたいなことを考えました。とはいえ、テルミドール人の意識の在り方はとても面白かったです。意識なくても、まあ、コミュニケーションとれそうですよね。独り言とかあるのかな?とかいろいろ想像が膨らみましたw


20「続シロクマは勘定に入れません・・・輪るシロクマ・ミュージカル編」今野あきひろ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/akihiro1/3268/

 ……わからない。ながい。つらい。だけど面白い。どんな顔すればいいのか困るやつですよこれは。
 何から書けばいいんだ……。ええと、そう、面白かったです。つまりロックンロールってことですね(正解)。しかし冒頭に提示された動画が、ロックでもヒップホップでもないのは笑ったwんだけどアレはもしかしてロックなのだろうか。。? 
 中盤までは高橋源一郎的なポストモダン小説のイメージなんですけど、後半は割と普通にSFに近くなっていて、このへんのイメージの差異はいいのか悪いのか判断がつかない。というか、この小説をちゃんと読もうとすると、他の課題作品の10倍くらいの労力がかかりそうなので、読み込む余力がない……。クラブで戦場で2001年宇宙の旅で、でもAmazon(?)が届くのはいいなと思ったけど後半届いている様子なくてちょっと残念。でも一つの作品のなかでフェイズが轟々と切り替わっていくのはよかったです。
 短くしようと思えばいくらでも短くできる系の小説だと思うのですが、そんな野暮なことはせず、このままの作風でいってほしいですね。書きたい方向性がしっかりあると感じられるのも良い感じです。あと、前作よりも明確に面白くなっていたように感じました。踊っているからかな?
 あと、途中のフリースタイルバトルが、全然ラップじゃないのも笑ったwんだけどアレもラップだったらどうしよう。。

以上で、第二回実作全21作の感想になります。約15000文字。
なんかあとがき的なことを書こうと思っていたのだけど、その余裕が残っていないので普通に終わります。。また第三回でも実作は全作品の感想を書く予定です。要望・意見とか、こういう感じの感想は書かないでほしいとかあったら何らかの方法で遠野にお知らせください。

では、また。。

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