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劇団よあけのばん【旅情】

“僕たちが旅に出る時、行動、乃至(ないし)、感情の流れというのはある程度決まっていると思う。”

恰好つけて難しい言い方をしてしまったけれど、大それた内容では無い。

例えば、泊まる部屋がオーシャンビューだとかで浮き足立ったりとか、恋人にフラれたから見たことない景色を見て自暴自棄に酒を呑んだくれてやりたいとか。そんな所で、そんな程度の話を僕はしている。筈(はず)だ。

そして、話を元のレールへ戻す。
言い得て妙(みょう)と言ってもらえるかわからないが、僕は今、レールの上なわけだ。
そう、列車に揺られている。

窓で跳ねる雨は、キラキラしたネオン街に一枚二枚フィルターを掛けて反射し、くらくら目を回して…。ああ、僕は何かに酔っているのだ。

→各駅停車で会いましょう / よあけのばん

飛び乗った列車が急行なのか、各駅停車なのか、それすらもわからないくらい、僕は疲れていたんだと思う。

あの頃思いを馳せた都会はユートピアなんかの類(たぐい)とは違っていて、プラスチックまみれで、なんとなく楽しくて、端的にいうところの“コンビニや女の子やタワレコが近くにあって最高”レベルだった。
“よく行くバーは古ぼけていて、朝まで演劇や音楽や映画の話ができる”といった夢の場所では無かった。

バイト終わりに、そこそこ美味いラーメン屋で晩飯の調達をするのをやめて、24時間営業のスーパーで9%の缶チューハイを買った。
途端に月明かりが僕を照らして、なぜか旅に出たくなった。僕が一体誰なのか、確認しに帰ることにしたのだ。

→ハロー、グッバイ、ハロー / 重田拓成

泥酔しながら列車に揺られる経験はあれど、繁華街から最寄駅くらいで、だいたい15分程度が限界だ。それを越えると、嗚咽を始めたり、知らない駅まで眠ったり、兎に角ひとに迷惑をかけることしかしなくなる。

…昨晩は申し訳なかった。

知らない田舎駅のなんだか偉そうな人が、駅構内のベンチで寝かせてくれて、どうにか命を繋いだ。
初冬は思ったよりも寒く、僕のマウンテンパーカーだけでは一日の越冬も難しいところだった。

こうしてガンガンと脳が揺れている朝のことを二日酔いと言い、ワンルームの中では地獄のように感じるが、変わる変わる僕を愉しませようとする車窓の景色はこの持病をすっきり治してくれるようにも感じる。
高い空、うるさい鉄橋、ぬるくなってきたサイダー。見覚えのある公園を通り過ぎれば、すぐにも僕の故郷へ到着するだろう。

→通り過ぎるから / 山中ジョンジョン

あさぼらけの中辿り着いた地元の駅は、駅舎の真ん前にコンビニエンスストアがそびえ立っていた。
変わらないことといえば、駅の前の鳩が窮屈そうにカラスに追いやられている景色くらいだ。カァカァうるさい。でも、僕の住むいわゆる『都会』はランボルギーニみたいなスポーツカーでもっとうるさい。

そうえいば、この町に住んでいた『僕』は星だとか、ピクニックだとか、レンタルの映画だとかそういった歌を書いていたことを思い出した。今は高校生の時みたいに恋人に披露したり、河川敷で風の香りに酔いしれて格好つけたり、さすがにできないなぁと思う。そもそも、歌うために『都会』に出たのに、気が付けば酒と便利な機械ばかりで遊んでいる。

“大切な君”“カラのビール”“ポケットの千円札”こんな今の僕にあるドラマなんて、なんて薄っぺらなんだろう。少し強い風が吹いて、砂を巻き上げた時、何故か遠くへ来てしまったように感じた。
なんだか悲しい。誰かに会いたい。でもこんな僕では会いたくない。

「もう僕は悲しい歌しか歌えないのかもしれないな。」

そう言った言葉は、カラスの鳴き声にかき消されてしまった。

→砂塵オペラ / ヨヲコヲヨ

かつては僕の一部分であったこの町も、今では他人のような顔をして佇んでいる。
祖母からもらったお金を小さな手に握りしめて、ファミコンのカセットを買いに行った本屋の二階は、何処にでもあるような漫画売り場になっていた。
駅前には、見知らぬハンバーガーショップが我が物顔でたっていたので、都会から来た旅行者のフリをして、アイスコーヒーを注文する。
通り過ぎていったすべてのものを思い出すことは出来ないが、いつまでも心に宿る終わってしまったものに灯をともしてやる。
目の前にあるものが確かに現実で、胸の中にあるものが不確かな夢だ。そう、かつて目の前にあったものは、もうどこにもないな。

→4月23日 晴れ / ヨヲコヲヨ

少しうとうとしてしまっていたみたいだ。アイスコーヒーの氷はすっかり溶けてしまっていたので、取り敢えずの水分補給として喉に流し込んだ。
店の外へ出ると太陽はずいぶん高いところにあって、暖かな日差しを向けていた。街並みを眺めながら懐かしい通りを歩いていくと、小さな映画館を見つけた。
「こんなところにあったっけ?」
とスマートフォンで調べてみると、僕がかつて住んでいた時にもはっきりとこの場所に在ったということがわかった。あの頃はレンタルビデオ店で借りた映画ばかり見ていたのでこういった小劇場は知らなかったんだなと、中を覗いてみた。
「貸しホール始めました」というポスターに目がいって、ここで歌うことができたらなあと胸が踊っている自分に気がついた。あの頃、思い描いていた夢と今の自分に大きな差など無いのかもしれないなと思い笑みがこぼれた。

→ シネマ / 重田拓成

友だちの働いていた中華料理屋を横目に町を歩いていくと、かつて住んでいたアパートにたどり着いた。たどり着いた、というよりある意味ここを目指して歩いていた。
古ぼけたエレベーターで目的の階まで上がり、ホールを抜けて通路の奥へと進む。鉄製の扉の前に立ち、今はいないかつての自分といまこの部屋に住む見知らぬ誰かの存在に思考を巡らせてみる。あの頃の僕は何になろうとしていたのかは明確にわかるが、どのような思いだったのかはぼんやりとしかわからない。ふと、扉の中を覗きたくなって呼び鈴を鳴らそうとしたが、やめた。住人に何と話したらいいか思いつかないし、この扉はもう開かない方がいい。

→遠い記憶 / 山中ジョンジョン

もう開くことのない扉は、僕の中にいくつもあって、それらは開けてはいけないような気がする。今の自分には、かつての自分が輝かしすぎる。そんな気にもなった。

アパートの一階と地下階の部分は小さな商店街となっている。それらを実際に目の当たりにすると記憶の中に眠っていた思いが起こされる感覚に驚く。入ってみたかった喫茶店「此の花」はもう閉店してしまっていた。残っているのは、「都寿司」と「しらゆり」というコインランドリーだけで、美容室も無くなってしまったようだ。このアパートは、老朽化が進み取り壊されてしまうと聞いた。十数年前の自分が今の僕を見たら何を思うだろうか。感傷的になっている僕のことを笑うだろうか。何者にもなれていないことを非難するだろうか、それとも、仕方ないことだと悲観するだろうか。たくさんの物事が蘇ってくるのは、きっと失ってからなんだろう。

→変光星 / よあけのばん

この町にいた時に好きだった場所に訪れてみることにした。少年だった頃の自分に何かを得ようと、そう思ったのだ。
河原沿いをしばらく歩くと対岸には、「魔女の城」がある。これは、ただの結婚式場の教会だったけれど、少年時代の僕は様々な妄想を掻き立てられたものだ。
つづく桜並木を抜けていくと少し開けた場所がある。サッカーボールを蹴っていた少年の僕はもういない。秘密基地にしていた柊の住処は、猫たちの通り道の先にあったことも思い出した。かつてよく訪れた駄菓子屋でキャラメルを買って、町外れのプラネタリウムを目指して歩いていった。少年時代の僕にとって、入場料はとても高かった。あぁ、そうだ、そうだった。
プラネタリウムでは「アポロ11号」の上映をしていたけれど、上映時間を過ぎてしまっていたので観ることはできなかった。
あの少年が見た星空はどこへいったのだろう。ぼんやりと思い出せる夜空にはもやがかかっている。今も星を数えている。明日の話がしたい。昨日の話なんかじゃなく。明日の話が、したい。

→星を数える / ヨヲコヲヨ

本当は、行く場所なんてどこにもなかった。
本当は、帰る場所なんてここにはなかった。
かつてここにいたはずの僕も、かつてここにあったはずの希望も、全てどこかへ出て行ってしまったのだ。
何をしに来たんだっけ、と自分に問いかける。そう、「僕が一体誰なのか確認しに帰ってきた」のだ。
でも、僕はここにいない。
変わってしまったものも、失くなってしまったものも、誰も気づかないまま終わったような『忘れてしまうようなこと』で、僕が誰なのかとか、そういうのを示すものはもうここには無いのだ。
希望はどこにいったのか、答えは単純だった。
「今、僕が住んでいる町だ…」
無駄足だったわけじゃない。
見えない何かに希望を抱いて、足早に列車へ飛び乗った青年を美しく思う。
希望は、あの町。スイス・キャロル・オーサカ。

→ピクニック / 山中ジョンジョン

ふつふつとすぐにでも帰りたい気持ちが湧いてきて、足早に列車へ飛び乗った。先頭車両の一番前は特等席。駄菓子屋で買ったキャラメルを口に放り込むと懐かしい気持ちになる。
家路につく線路を眺めていると、かつて住んでいた町と今住んでいる町の2つを結ぶように電車のレールがあることを不思議に思った。今、僕はその上に乗っかっているわけだ。県境が曖昧なレールは2つをつなぐ。
僕はかつての僕と繋がっているのか。そうすると、今の僕とかつての僕の境界線はどこだ?
今日の僕は確かにかつての僕だった。今の僕はどこにいる?
今思っているこの気持ちは一体なんだ?
下手をすると、かつての僕が現在の僕を思っているのかもしれない。
窓の外を眺めると、何のつもりなのか雨が降り出している。
誰かというわけではないけれど、何より、このむずむずした気持ちを伝えたいと思った。

→雨のせいにはしたくない / 重田拓成

目が覚めた時、僕のカラダは都会の真ん中に辿りついていた。
雨がやんだようだ。
大阪湾に沈んでゆく太陽で、梅田駅は燃え上がるような色に染まっている。夕暮れの赤い光と、LEDヴィジョンの強い光で、過去と今の二人分を背負った僕の影は東へと伸びた。
昨日の夜、鬱屈した酔っぱらいの僕はここを旅立って、今日の夕方、こうして過去の僕を連れて帰ってきた。
この滑稽なまでに小さな旅は、言うなれば「帰郷」。故郷へ帰る、僕を確認しに行く旅だった。そして、ラッキーなことに、いろんなものを持って帰ってくることができて、そのどれもがきらきらと光を放っているのだ。「星」、「ピクニック」、「レンタルの映画」…。
この旅でひとつ、たしかにわかったこと。あの町は、あの頃の僕は、いつでも疲れた僕を待っているということ。

→雨上がり / よあけのばん

連れて帰ってきたあの頃の僕が、大都会のオーサカで何か耳打ちする。
「お酒なんかよりサイダーの方がおいしいね。」「星を見るにはプラネタリウムがぴったりだ。」
「なぁ、お気に入りの喫茶店はどこにある?」「このくもった街で君のかなしみを見つけたよ。」
小学生の頃、何かにつけて生意気だった僕が、半人前の僕に偉そうにくっちゃべる。うるせぇ、わかってるよと払おうとも、きらきらしたヤツはどうも頭に憑りついて離れないのだった。
「ただ、これは確実に言える。『君が謳えば すべて本当になるよ』だから、もう少しこの希望の街で歌ってればいいんじゃないかな。みんな他人だし中身はわかんないけどね。まぁ君が僕ならどうにかなるよ。」
ほんとお前は昔からうるせぇやつだな。だから、もう、わかってるってば。

→メリーゴーランド / よあけのばん


演目【旅情】より
「雨上がり」「メリーゴーランド」のセリフと音源が聞くことができます。有料コンテンツとなりますが、よければお聴きください。

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