見出し画像

内省、友情、夏油

内省

テストが近づけば近づくほど、不安定になるし、締切が近づけば近づくほど、文章をかきたくなる。(私は〆切という表記はあまり好まない。)今も、絶賛レポート無理すぎマンに成り下がっている最中だ。

学生の皆さん、こういうのを現実逃避っていうんですよ。

こういう時に見る、【友情】は心臓に悪い。けど、不安定になればなるほど、何故か他者との繋がりを希薄にしてしまう性質なので、私とは全く関係ないところで繰り広げられる繋がりを、無責任に摂取してしまいたくなるのだ。私が昔大好きだった人が、この不安定さに気づいて、急に電話をしてきてくれたらいいのに、とか、ありもしないことを考えるくらいには、いま繋がりが希薄で、そうしたのは私なのだけど、そして8月になったらもっと希薄になってしまうのだけど、心が貧しくなっている。
(中高ずっと片思いしてたあの人、ずっと音信不通だし、死んでるかもしれん。あの人もそういう不安定さを常に抱えていたし。でも、成人式で連絡とったら、お母さんには繋がったな、生きてるのかな。生きてて、ほしいな。声が聞きたい。またツイキャスとか人知れずやっててくれないのかな、絶対見つけるよ。君のこと。君は私になんて気付かれたくないのかもしれないけれど。君のせいで好きになった音楽が、作品が、たくさんあるんだ。)


昨夜、惰性でYouTubeを見ていたら、夏油と五条のMADが流れてきて、思わず見てしまった。漫画を読んだときから、二人の気持ちに勝手に共感して、至極平凡に涙していた。特に夏油には、しばらく脳が揺さぶられた。

友情

二人について考える。私がもし硝子だったら、かなり嫉妬して疎外感すら感じてしまうだろうと思うよ。いや、硝子も感じてたか。
あの圧倒的な全能感と信頼のもと、友とずっと過ごすことができたらどんなに楽しいだろう。充実しているだろう。俺たち、最強だから。なんて。そんな傲慢な幸福がこの世にあるだろうか。その傲慢を大親友と共有できるなんて。大親友が共犯者になってくれるなんて。

私もそんな友人が欲しいとぼんやりと思う。もしかして、私が欲しいのは、恋人でも配偶者でもなく、親友なのかもしれない。けど、親友作るのって、恋人つくるより、100倍難しいよな。恋人には、ある程度誓いの言葉があればなれるけど、親友にはなれない。しかも恋人は別れられるけど、親友は別れたくない。私は、頭がぱっぱらぱーな人間なので、合う人も少ない、多分。テンションが高いから、すぐ仲良くはなれるけれど、私のほの暗い側面までまとめて私だと認知している人間が、どれだけいるのか。見た目が真面目そうだとよくいわれるから、そのギャップで引いてしまう人も多いだろうな。あーあ、世の中に一生ものの友達を手に入れている人がどれだけいるんだろう。こうやって諦観にもまれている時点でそういう資格なんてないのかもなあ。

夏油

彼等の関係性、あんな青春、経験はしたかったものだけれど、でも、あんな失い方はない。そんなこと、あってはならない、と思う。
あの事件から、二人とも、生死の狭間で、必死になにかを守っていた。ずっと二人で守ってきたのに、あの事件から、知らず知らずのうちに、一人でどうにかしなきゃと思うようになっていた。特に五条が。きっと、みんなを守るために、(そのなかには夏油も含まれていたと思うが、)彼は強くあろうとしすぎた。自己をプライドの内に閉じ込め犠牲にしすぎた。二人は、二人ですべてを守っていれば、良かったのに。五条は、無下限の圧倒的強さを手に、脳を壊し、そして同時に再生できるようになった。最強になってしまった。

夏油の心中は、劣等感とか疎外感とかそんな次元じゃなかったろう、彼の孤独は、その内側で自らを蝕む優しさと正義感は、より彼を追い詰めたろう。でも、彼の複雑な心境ゆえに、逆に、彼の根幹にあったのはきっと、「寂しさ」に過ぎない。自分の善意と悪意がないまぜになって、九十九の想定外のシンプルな回答に真理を見てしまった夏油を、唯一救い出せるのは、たぶん五条のくだらない冗談だけだった。彼の根幹の暗がりに気づけとは言わない、でも、彼をもう一度、最強にしていたら。一緒に馬鹿をやって、夜蛾先生の拳骨を二人でくらっていたら。彼の寂しさを、くだらなさで雑に埋めてくれていたら。きっと、夏油は溺れる事はなかった。きっと、夏油は五条に、内側の悪意をさらけ出すことができた。

僕の善意が壊れてゆく前に、君に全部告げるべきだった。

崎山蒼志『燈』

きっと、五条は夏油の悪意を笑い飛ばしてくれただろう。

希薄

夏油の、しんどくなればしんどくなるほど自分の考えを言えなくなっていく様子は、どうしたって自分と重なった。
中高と違って、私の話を聞いてくれる人がいる、という確信はできるようになった。けれど、どこかで、自分の話のつまらなさをずっと自覚している。だから、話の面白い友達を見るたび、その人達のことばに自分が笑うたび、こうならないと、と思う。
自分の話は、考えは、価値観は、取るに足らないという思い。他人からの興味を集められるものではないという深層心理が、私を話せない存在にしている。にも関わらず、私はおしゃべりだ、と人に言われる。沈黙が怖い、つまらない人間だと思われたくない、その気持ちゆえに、つまらない話をしては、相手に話題をふる手口にしている。

夏油は、きっと私とは違う要因で話せなくなっている。彼の正義感が、彼の口から「攻撃性」を吐き出すのを押しとどめている。それゆえに、その攻撃性は、殻の中で滞留し、折り重なって、過激さを増していく。

「話せないこと」、それ自体に、「話すこと」と同じだけの罪悪感が潜んでいて、叫びたくなってしまうね。
悩みを話していても、どうしたって、相手を楽しまなくちゃって思わされた。(誰に?)
何も気にせず、私の話をして、相手の話を聞いて、笑いあっていたいよ、君と時間を、できるだけ多くの時間を共有していたいよ。

親友を作りたい。親友ができるくらい、面白い人間に、良い人間に、早くなりたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?