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凛、私の分身
女子校育ちの私は、男の子が苦手、
なんかではまったくなく、なんなら共学という環境で仲がいいのは男子のほうだ。
多分未だに女の子がちょっと怖い。緊張してしまう。私の中高の部活の記憶が足を引っ張っているであろうことは想像に難くない、けれど。
なんていうのは、本編に全く関係ない話。
女子校時代に、私のことをめちゃくちゃ慕ってくれてた一個下の後輩がいた。しごできだし、一生懸命で真面目で本当にいい子で、なんで私なんだろうとずっと思っていた。当時、私は部活に全くなじめてないくせに、プライドだけは高くて、キャプテンなんて引き受けてしまっていた。
バレンタインの日(うちの学校は異常に盛り上がって、高2の廊下が後輩で埋め尽くされる日なんだけど)、私はその子にチョコと手紙をもらった。今見返してもきっと恥ずかしくなってしまうくらいまっすぐなラブレターだったように思うのだけど、そこには、
「凛としているひいろさんが好きです。尊敬しています。」
と書いてあった。私はもう、うれしくて嬉しくて、どうしようもなく単純に、これからも凛とした人間でいようと心に誓ったものだった。
誰かは見てくれている、詳細は知らなくとも、私の姿勢を見てくれている、凛と、なんて信じられないぐらいの誉め言葉を送ってくれる。
嬉しかった。
あれから、もう5年くらいたつのか。私はいまでもそのことを覚えていて、私の生活の中に、微量ではあるものの、凛という文字がしみこんでいる。凛が、私が何かの登録で使う偽名になっているくらいには。
そして、昨日、
大切な友人に、
「ひいろは自分を引き上げてくれたから。凛としているひいろが好きだよ」
と言われ、なぜかめちゃくちゃに傷ついてしまった。
ちょうどその時、疲れがマックスで、その人にダルがらみという名の全力の甘えを発動していて、だから、その甘えを否定されたように感じたんだろう。多分。この人なら、私の弱さも受け入れてくれるだろうという期待が、私を傷つけていた。このひとの前ですら、私は、ちゃんとしてなくちゃいけないのかという落胆と、いまのこの時間で嫌われたかもという後悔が私の中を駆け巡ったし、でも、これでショック受けた様を見せるのもめんどくさいのかもとかいう焦りでうまく言葉がでてこなかった。
凛が、私の味方でなくなった。そんな感覚だった。
5年前と何が違うんだろう。どっちのことも大切なのにな。今後、甘えた姿を見せる事のない後輩だから、外向きの私をほめられてうれしかったんだろうか。
正直、私の本質は、ネガティブでたらたらと熟考する方だと思っているから、友人には、その部分も、私として好きでいてほしかったのかな。
0か100かで考える事が馬鹿な事くらいわかっている。友人も、私の甘えた部分が大嫌いだといったわけじゃなくて、存在を許さないといったわけでもなくて、シンプルに、しっかりしている私を信頼している、とそういいたかっただけだ。
でも、至らないところも、弱さも、私だった。ほかの人には見えない、出さない、出せない部分だからこそ、友人には知っていて肯定して欲しかった。
そう、それだけだ。
君だけを頼っているのだけれど、そういう特別感とか優越感とかあの人は持ち合わせていないのかもしれない。私だったら、たいせつな友人の弱いとことは、いくらでも見たいと思ってしまう。私だけが、見れているんだって、信頼されているんだって、そう感じてしまう。
上手く、感情の重さが釣り合っていないのかもしれない。
昔からずっとそうだったし、多分今回もそうだ、友人に対して独占欲が異常に働いてしまう私は、適切な距離感で友人と関わっていけなくて、勝手にわたしだけ気持ちが大きくなって、勝手に期待して、傷ついて、を繰り返している。
この独占欲とやらのせいで、インスタも見れなくなった、大切な友人が、自分以外と楽しそうにしている姿が見れなかったから。嫉妬と劣等感でおかしくなってしまいそうになったから。ずっと私の「一番」の友人の、「一番」になっていたかった。
凛という言葉について考える。
私を輝かし、自信になり続けてきたこの言葉が、そうであったがゆえに、今の私を切りつけていく、
凛と、かっこよく生きていたい
でも、誰かにどろどろに甘えていたい、褒めてもらっていたい、それを糧にして、頑張っていたい
二つが相反して、私の中を自転している。
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