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レインツリーの国

これを読んでいる貴方は健聴者だろうか。

私は幸いなことにも不幸いなことにも、健聴者だ。
しかし、実はずっとイヤホンをつけている。
それがたとえ音楽を聴いていなくても。

一度は健聴者でも経験したことはあるのではないだろうか。
周りの音のうるささ、周りの囁くような噂話からの不安。
それが怖くて、私はずっとイヤホンという耳栓をしている。


今日、大学までの通学時間をスマホを見る以外に使いたいと思い、自分の部屋の本棚の前に立ち、小説を一冊選んだ。
それが、『レインツリーの国』だ。
選んだのは何となく話の内容を忘れてしまったからであり、そんな大それた理由はなかった。

(※以下ネタバレを含みます

実はこの本を読むのは2回目だった。
1回目は小学6年生のときだっただろうか、今から6年ほど前だった気がする。
私自身、有川浩さんの小説の大ファンであり、それで読んだのだと思う。
そのときはまだ恋愛を楽しめていたはず。
好きな人にわくわくして、話せたら喜んで、いつかきっと自分にも彼氏ができるのかな、なんて考えちゃったりして…

しかし現実は違った。
私にも実際に好きな人ができた。
でも理想と合っていたのはそれだけだった。
恋をしながら自分に嫌気がさした。
この記事でも話したが、蛙化現象というやつだ。この前も同じような現象が起きている友達と夜な夜な語ったが、何故か彼の言動ひとつひとつが生理的に無理になってくる。
もちろん、そんな気持ちを持ちたくて持ったわけじゃない。彼には本当に感謝しているし、し尽くせない、けれど会うとそれが出てきてしまうのだから仕方がない。
この現象は彼にもうっすらとは伝えてはある。
気を遣ってくれているのもひしひしと感じる。
本当に申し訳ない。

『レインツリーの国』を読んだ。
これは、健聴者である男性と耳に障がいを持つ女性の恋のお話だ。
男性は女性が耳に障がいを持っていることを知り、それでもデートを楽しめるように全力を尽くす。しかし、必ず女性とすれ違いが起こってしまう。

私は、大学生になった今この物語を読み直して、この本のテーマは実は障がいのある恋ではなく、人間そのものの男性側と女性側の考え方の違いによる葛藤なのではないかと感じた。

この物語のなかで、男性は、女性が何故自分を頼ってくれないのかを不思議に思い、悩みながらも女性が前向きに取り組めるよう、サポートし続ける。
しかし、それは女性にとっての負担となる。
女性も自分が彼の気持ちや言動に応えられないことに負い目を感じ、自分の何が邪魔をしているのか、一人で自分と向かい合い、模索する。

そして今だからこそ気づいた。
その最大の理由が、『健常者の貴方には何もわからない』という思い込みであることに。


このシーンを読んでハッとした。
私は彼の気持ちを考えたことがあっただろうか。
そして、自分も、相手が傷つくだろうと思って何をされると嫌なのか、どんな気持ちになるのかを彼に全く伝えていない。
もし彼もレインツリーの国の男性と同じように悩んでいたら、、??
一度腹を割って話し合った方がいいのかもしれない。

そもそも恋愛小説なんて久しぶりだ。
イヤホンをして、されてもいない噂話から耳を塞ごうとするのも、恋愛小説を読まないのも、人間関係や恋愛感情に悩む自分と向き合うのが嫌だったからなのかもしれない。

一度読んだ小説。
あの時と同じように恋愛最高〜!で読み終える予定だった。
けれどその想像は遥かに超えて、経験を積んだ今の自分に突き刺さった。
経験は自分を作り出す。
もう一度昔の小説を読んでみようかしら。

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