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スマホに没頭してみた -スマホ依存者の備忘録-

デジタルデトックスせよ

スマホをいじりすぎると、脳が受容できる情報量の限界に到達して、あらゆることに対して何も感じなくなる。きっと一定以上の情報量を超えると、脳が処理できなくなって、ドーパミンとかの快楽物質が分泌されなくなるのだろう。その飽和状態に至ってしまったら、それ以上はどんな刺激を与えても無駄だから、とにかく休憩するしかない。

しかし急にバツンとスマホを切るのは難しい。
スマホ一点に没入していたことで、自らの意識外で刻々と変化を続けていた外界に、突然さらされる事になるからだ。

そもそもまず、スマホに没頭して時間感覚を失ってはならないのだが、もしスマホから離脱したければ、徐々に情報量を減らすことが有効である。徐々にスマホ画面を暗くすることや、徐々に音量を下げることなどが考えられる。また耳栓をつけることも有効だ。耳から入る情報を遮断することは、徐々に外界に適応する手助けになる。

スマホ依存者のスクリーンタイム
わたしのとある日のスクリーンタイム

わたしが生きていて最も悦びを感じる瞬間は、勉強や、読書や、絵を描くことに没入している時である。知らない世界を知るとき、わたしの中に新しい感覚や、イメージが構築されていくとき、脳内麻薬が分泌されるのを感じる。スマホをいじっている時の感覚は、その感覚に酷似している。手元に拡がる電子画面に時を忘れて没入し、快楽を感じる。

しかし実は、その快楽は所詮、仮初めの快楽なのである。なぜならスマホから得られる情報は、そのほとんどが無用・無益なジャンクコンテンツばかりで、記憶に残らない情報のごみばかりだからである。

人はどうしてスマホに没頭してしまうのか

ではどうして人はスマホに没頭してしまうのか。
原因はスマホの情報量の多さにあるのではないだろうか。スマホの画面から発せられる光、スピーカーから放たれる音は、猛烈に豊かである。それゆえに、スマホ世界へ没入するハードルはあまりにも低いのだ。

通常、人が何かに没入状態になるには、それなりのハードルがある。試験勉強や、仕事になかなか集中出来なかったという経験は、誰しもが持つことだろう。それはなぜならきっと、ある一点に集中して、その他全ての外界の情報を遮断することは、生物としてリスクだからなのだろう。

しかしもし、背後で何かが強烈にピカッと光ったらどうだろう。わたしたちは、思わずそちらに注意を向けずにはいられない。さらにドゴーンと轟音が鳴り響いたらどうだろう。わたしたちはもう、それに全関心を注ぐことだろう。

これは極論だったかもしれないが、スマホ世界への没入障壁の低さには、同じ理屈があるのかもしれない。刺激的な映像に、ノリがいい音楽、これを無限に産出し続ける手元の物体に、わたしたちは関心を向けずにはいられないのだ。

音楽に合わせて踊る女子高生達のTickTock
無限に刺激を放出し続けるアプリTikTok

スマホを飼いならせ

アメリカのテックカンパニーが世に産み落としたそれは、わたしたち人類の気を引きたくてしょうがない。大声で泣き声を上げる赤子のように。甲高い声で吠える小型犬のように。

余裕がある時、たまに構ってやってもいい。
だけど慎重に躾けなければならない。正しく適切に向き合った時、それはあなたのパートナーになるだろう。だけど決して甘やかしてはいけない。その時それは、あなたの手に負えない悪魔に豹変することだろう。

GAFA

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