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陣痛と、『街と、その不確かな壁』

村上春樹の新作小説が発売された4月13日、私は前駆陣痛で産院に入院していた。病室でキンドル版をDLし、翌日の夜に第1子を産んだ。

なかなか陣痛が進まなかったため、合間にアプリを開いてみたが、文字をやっとの思いで認識しても脳みそが意味を理解できないような状態で、最後の12時間は夫への生存連絡のためにスマホを握ることすらできなかった。退院したらしたで3時間ごとの授乳。読み上げ機能の助けを借りて読み終えたのは、マメみたいだった娘が笑顔をつくれるようになり、初めての予防接種も打ち終わった生後2カ月すぎのことだった。

私はミーハーだ。
高2のころ、友達の彼氏だった文学少年のハセガワ君が「村上春樹って面白いよ」と話しているのを聞いて、渋谷のブックファーストで『アフターダーク』を買いもとめた。ハセガワくんと違い私は小説の読み方を知らなかったが、「ファミレスで夜明かしちゃう主人公かっけー!」「料理うまそー!」「比喩おもれー!」で好きになった。60年安保とかデタッチメントとか、背景なんか何も知らずに読みふけった。留学したときも「日本の作家ならハルキムラカミがおすすめだよ」と言えば、ちょっと素敵な女の子が「私もムラカミ好きなの!」と言ってくれて楽しかった。就職して作家の故郷の神戸(正確には芦屋)に住んでいたときは、作品に出てくる「ピノッキオ」のピザを食べに行った。

娘の誕生に際して新作を手にしているなんて、これ以上ミーハー心をくすぐることはない。

しかもこの作品、最近発表された「1Q84」や「騎士団長殺し」とは毛色がちがう。1980年に雑誌『文学界』で発表したものを膨らませて書いた作品。ページを繰れば代表作の「ノルウェイの森」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「スプートニクの恋人」と共通のモチーフが次々に出てくる、エキスの濃~い作品だ。

となれば、骨の髄までしゃぶりつくしたい。

「新潮」6月号の書評特集は絶対読むぞと決めていた。

すごくよかった。
なにがよかったって、小説ってこんなに楽しめるんだなと思えたから。
小川哲氏の「『集大成』なのか『再生産』なのか」は、たぶん多くの人が読みながら感じた「春樹ワールド全開じゃん」という感想を、大江健三郎との対比を織り交ぜながら緻密に分解していく。結論は「まぁそういうしかないよね」という感じなのだが、途中が楽しめる。
小川洋子氏の「垂直移動に耐える」は、主人公の人との関わり方を解読していく。途中で川端康成の描いた報われない愛を照射させているのが効いている。何より文章が美しくて写経したくなった。
そして吉本ばななの『吉本ばななの影から、村上春樹さんへ』は、ずるい・・・。作品に関することは「今回の小説では、主人公を助ける温かい力と、そうでない力(でも冷たいということではなく、主人公の心持ちのある部分に完璧に沿った刀)がすうっとなじんでいて、頭の切り替えを要しなかった。それが私をいっそう幸福にしました」という1文しか書いていない。吉本さん自身のとんでもないエピソードを描いていて、なぜかそれが「この作品についての文章」として読めてしまう。最高難度ではないか……?

私はうすっぺらいハルキストだ。
「世界の終わりと~」では、主人公が「マカロニの魚ソースあえ」やら「レモン・スフレ」やらを食べるシーンを何度も繰り返し読んだ。夢読みの当たりは正直飛ばして。
「ノルウェイの森」で一番好きなのは、ハツミさんのミッドナイトブルーのワンピース。

でもそういう描写のドライヴ(もちろん、ウに濁点)に乗せられて読み進めていくうちに、最初はどうでもいいと思っていた小説の構造や批評についても興味がわくようになった。

北村紗衣さんが「書評はコミュニケーション」と書いているけど、優れた書評はそれ自体を人に言いたくなってしまうんだなぁ、と思った。そしてそういう書評が楽しめる作品はやっぱり偉大だなと。

ちなみに、「新潮」は図書館で借りて読んだ(でも小川洋子さんの書評をを何度も読みたいから買おうかなと思っている)。
その際に「街と~」が掲載された1980年の「文学界」も一緒に借りようとしたら、2件も予約が入っていた。そりゃしゃぶりつくし仲間が我が町にもいるよね。待つ間、まだまだ味わえそう。


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