昨日の自分より、今日の自分 3/10

子どもに対して自分の指導が「これって過保護なの?放任なの?」「全然成長しないんだけど、この子」と悩んでいる人は今回と前回の記事だけでいいから見てほしい。(そして教育の沼にはまりたくない人はこの2つの記事だけで止めてほしい。深い深い沼だから。)

いい例はないかと考えていたらドンピシャなブログを見つけた。

発達の

一人でできることを手伝っていたら過保護。成長は絶対にない。

仲間がいても、支援があってもできないことはを無理にやらせるのは意味のない詰め込みor無責任な放任

何度も書いてしまうけれど

「できなきゃいけない年だからやらせるけど支援しない」

という考えできないことを無理やりさせるのは絶対NG(逆に言えば、ギリギリできるかできないかの課題を与えるのは時と場合に応じてOK。)

手伝われた子どもが「もうちょっとうまくやりたい!」と2回目以降自分で工夫してやりたくなるくらいの距離感の課題が適切。

計算や漢字だったら問題数と解くスピードを調整してみたりすると良いと思う。

同じ問題をタイムアタックで解き、0.5秒でも速くなったらちゃんと褒める。

文章問題が本当に苦手だったら文章を読んであげてもしくは絵を描いてあげて式をかかせればOK。それができたら次は自分で絵を描かせて、最終的には自分で式をたてられたら最高。

>小ネタ

丸を付ける時、初めてできた問題、以前できなかった問題、今までやらなかった行動(文章問題を解く時絵や図を描いてみる、音読してみる、など)をしたら↓で丸をつけてあげると本当に子どもが喜ぶ。金色のペイントマーカーは魔法の道具。

できれば、ノートの表紙の裏とかに、ゴールドペンのはな丸をいくつためられるか、という風にやると「チャレンジした回数」を可視化できるのでおすすめ。チャレンジすること自体が好きになる。

この距離感の課題を見つけてあげて、モチベーションを保ちつつ子どもに課題与えられる大人が教育者としての一歩目なんだろうなと思う。

チャレンジすること自体が好きになったり、成功することが日常に溢れると他人と比べる必要がなくなり、子どもは安定する。

自分を受け入れ、その自分をよりよくしていくこと

昨日の自分より、今日の自分をつくっていくこと

これをデザインできるかが教員の知的でクリエイティブな仕事なのだと思う。

と書きながら思ったんだけれど、子どもが成長する時はとても楽しくて美しい瞬間だし、その瞬間をつくるまでが楽しく知的になったらいいな、とずっと思っていた、ということに改めて気がついた。


とここまで書いたがヴィゴツキーの理論はここにとどまらない。

(そして教育の沼にはまりたくない人はこの2つの記事だけで止めてほしい。深い深い沼だから。)

次回以降はヴィゴツキーの真骨頂、遊び、模倣、集団に関して。

友達との関係の中で学び合うことの大切さについて書きます。

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