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[棚田で米をつくってみる](その3)「田植え」

今回はようやく(初めて)晴れ。晴れすぎ。日差しが強い。
すべての田んぼを一斉に田植えを行うため、たくさんの人々が棚田に集う。
殆どの参加者は家族や、仲間・グループのようで和気あいあい泥んこに戯れてました。ひとりぼっちで作業に打ち込むのは、少数派です。

幼い苗を園芸用ポールにテープでマークされた"定規"で25cm×12.5cm間隔で植えてゆきます。
オーナーとしてあてがわれたMy田んぼにて作業を始めようとすると、頼りになるアドバイザー(八王子組の運営・ベテランの皆さま)のおひとりより、手のひらを広げた間隔が約25cm。これを目安にとのこと。お借りした"定規"は使用せず、手のひら間隔を"想定"して始めてゆきました。
1列目(2列同時に植えていきましたが)後半で、軌跡(前方)を眺めると、どうやら真っ直ぐではない。とはいえ、植え直すなんて大変そうなので、その歪みも成果として追認する。残された面積は広範で、そもそも体力が持つ公算もたてられていないから。

1列目(いわゆる2列)ですでに結構大変。
田植え姿勢は脚・背中に負担を強いるが、幼い苗のかたまりを3~4本に根ごと取り分けて植えてゆくのだが、このとりわけもサッとはあまりいかず、後半になるとこの手さぐりにより指の爪・指先もしんどくなってくる(少し痛い)。
開始当初、大変な時はスタッフにお声がけ(HELP!)くださいと言われていました。1/3、中盤、3/4それぞれ時点でお声がけをしたかったのですが、申し上げに行くのもしんどい。結局、休み休みなんとか植え終わりました。
機械でなく、手植えでやる意義と泥んことの戯れはそれこそ貴重なものです。

前半は長靴を履いて作業をしていましたが、中盤より裸足で進めました。(最初から裸足でやっていればよかった、この経験が生かされるのは最短でも来年ですね)
快晴に温められた田んぼはぬるく、ぬるっと気持ちのいいものです。



植えながら思っていたことですが、人類はなぜ米を主食とするになったのか(もしくは小麦)。現在では、交配や品種改良により稲一本にたわわに実りますが、そもそもはいろんな草花の中に生える植物の一種であり、一本につく実はせいぜい数十粒で、その足元に落ちた実を拾うか、まだ落ちていない実を穂からもぎるかであろう。作業効率(時間vs.収穫カロリー)では当然選ばれる種ではなかったはずだ。最初期の原種の稲から、今日植えた幼い稲、田植え作業は人類の歴史そのもののように感じる。
(「イネ」の歴史への考察と物語は、『飼いならす』をご参照ください。すばらしい本です)

日焼けによる体のほてり、よりも全身の憔悴が明日以降大変そうだ。いまこのキーボードもおぼつかない指の動きで操作されています。


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