2013年、人を不快にする天才といわれた時代①

2013年6月。
携帯の電源を切った。


死んだほうが社会のためだ、と言われ、会社にいることができなくなり、昼休みに何も言わず逃げだしたからだ。

連絡がくるのが怖くて、そのままあてもなく歩くことにした。

誰とも連絡したくない、人間関係を絶ちたいと思い、ふと新宿に行こうと思った。きっと雑踏の中の一部になることで自分の存在も薄れて、何かのその他大勢になって消えていけばいいと思っていたんだと思う。

そう思いたったのはもう夕方で、上野で地図をみて、たぶんあっちの方が新宿かなと歩き出した。

歩いていた時のことはほとんど覚えていない。

はっきりと覚えているのは、大きな川があって、携帯をそこに投げ込んでしまおうと思ったけど、それができず、中途半端なことしかできないクズ野郎だな、と思ったことだった。あとは、足が痛いとか、この先どうなるんだろうなとか、迷惑かけてるよなとか、一生逃げ続けなきゃいけないのかなとか、そんなことを考えていたような気がする。

夜遅くに新宿についたけど、いま上野から新宿の距離を見てもそんなかかるはずもないから、相当遠回りをしたんだと思う。
知らない街でコンビニに入ったら、出るときにはどっちの方角からきたかわからなくなるくらいの方向音痴なのによく新宿についたなと思う。

なんとなく明るそうな空をみていた気もするから、虫が明かりによって行くような感覚だったのかもしれない。
もしくは、新宿の荒れているけど高いエネルギーが、ちんけな自分を受け入れてくれるように引っ張られていたのかもしれない。

ちなみに今住んでいるのも新宿だから、妙な縁も感じたりする。

時々、なんかここ見覚えあるなーと思う場所があるけど、よく考えるとこの時に歩いてた道だったような気もする。

一体どんな表情で、どんな姿勢で、どんなことを思っていたんだろう。

目の前から2013年の自分が歩いてきたら、今の僕は一体何を思うんだろう、約7年前に歩いた道を歩いていると、ふとそう思ってしまうことがある。


今日のひとこと
逃げることが成長につながることもある。

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