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【普通】というもので負う傷

「それって普通に考えておかしくない?」
そう言われたことがある人は多い(ですよね?)と思う。

なにより私自身、結構言われてきた。
当然、人の命を奪うことや、強盗など犯してはいけない人としての【普通】は持ち合わせていると思いますが、社会的な【普通】というのは難しいと思う。それが個人的なルールの【普通】だとさらにややこしくなる。

社会的な【普通】は例えていうなら、
「部下は上座に座らない」
「遅刻はしない」
「目上の人には敬語を使う」
といったもので、規則はないけど一般的にそうでしょ?というもの。

個人的なルールの【普通】は
「洗濯物を畳むときに裏表を直す」
「使ったものはすぐしまう」
「ラインはすぐに返信する」
などかなぁ。

また、白夜という気象が普通の国もある。

こういったものは、誰かがしているのを見るか、人に教えられるか、注意されるかでしか学べないと思っている。

小学生の頃、一つ上の先輩に、ため口で喋りかけてぶん殴られたことがあったので、「あぁこいつには敬語使わなきゃいけないんだ」と学んだことがある。

またある時は、武道の師匠にメールをするとき「自分のアドレスは登録していないかも」と思い、件名に「○○の□□です」と毎回いれていた。
のちほど間接的に聞いたのは、「いちいち件名に名前いれてアピールしてくるんだよ。普通そんなことしないだろ」と言われていたということだった。

こういう感じで、【普通】というものに振り回され、苦しい思いをしたことがあったので、人には自分の中の【普通】を押し付けないようにしているし、人からの【普通】を言われても、自分の中で噛みしめてから判断するようにしている。

けど、気が付けば「普通に考えてわかるでしょ!?」と言ってしまうことがあるし、人からの「普通そんなことしないでしょ?」に振り回されることもある。

普通に生きたいと悩んだこともあるし、普通でいたくないと思ったこともある。自分らしく、なんて思ってみたところで、その自分らしさが分からずに、真夏の炎天下コンクリートジャングルTOKYOで泣いてしまったこともある。

【普通】ってものは人の数以上にあるし、名前を変えてルールやマナーというものになったり、正義にもなったりもする。それが間違いか正解かなんてものはその場では分からない。

大事なのは、自分の【普通】を押し付けないこと、そして人のことを知ろうとすることなんじゃないかなと思うようになってきた。自分で理解できないことに出会ったときに、【自分の普通の棚】から都合の良いものを引っ張り出して、正当化しようとしてしまうのでは?と、今更になって思う。

けどそれは自分にとって凄い労力のいることだから、まずは自分の周りの大切な人からそうしよう。自分の普通というものに麻痺してしまっているのだから、間違いは当然起こしてしまう。それを正してくれたり、考えさせてくれるのが友達や恋人や家族なんだろう。

そういた意味では、自分の【普通】をもつことも大事で、それが名前を変えて、軸や芯、ぶれない心となるのかも知れない。

そんなこんなで、気が付いたら今は午前3:38。不眠症がある私としてはこう思う。

「あー普通にねたいなぁ。」

どうですか?なんか偉そうでしょ?


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