見出し画像

多趣味と飽き性【日常生活】

 自分が多趣味なのかと言われるとちょっと自信ないけど、それなりに趣味のバリエーションはある方だと思う。昔から好きな鉄道をはじめ電車に乗る事、写真を撮る事、工作をすること、絵を描くこと、パソコンを使った創作活動(動画編集やブログを書くみたいな執筆活動をすること)など自分が趣味だと思っているものを上げていくと5個10個は行くからそれなりに楽しみが多い方だと思う。
 一方で自分は飽き性だ。常にこれらを全て楽しんでいるなんてことはなくて必ず波がある。その波もすごく激しく、典型的な「ハマりやすく冷めやすい」タイプだ。ある趣味に飽きているから別の趣味にのめり込んでいて、それを続けた結果多趣味のような人になったんだと感じる。

 私は飽き性だ。どれだけすることが好きだとか楽しいと感じていても数日後にはその熱意が冷めている。本気でのめり込めるのは大体3日程度でそれ以上となると義務感でやっているとかほぼ上の空の状態で作業だけを淡々とこなしているみたいなことが多くなる。長期休みに入った時に「毎日○○をするぞ!!」と意気込むけど結局2週間も続かずに終わってしまう。100日とか連続で同じことを続けている人は言うまでも無く凄いけど、1か月続く人でも充分すごいと感じる。私は飽きやすく、意思が弱い。
 飽き性に関連して自分はすぐ他のことに目移りする。それはなにかやらなければいけないことがある時こそ顕著になる。課題をやらないきゃいけないときに限って趣味の事ばっかり考えて手が止まる。そのことしか考えられなくなるから課題そっちのけで趣味のことをし始めて、30分とか1時間だけと心に決めていたはずがいつのまにか3時間以上溶けていることなんて珍しくない。結局、課題の締め切りがぎりぎりになってやっと本来のタスクを消化し始めるが、それが終わった後は驚くぐらいに趣味の事も熱意が冷めている。自由な時間があればあるほど自分の好きなことへの意欲は失せて、気づけば動画サイトでだらだら動画を見て時間を溶かしている。実に勿体ない。

 さて、マストなタスクを消化できないという社会性の欠如が目立つ私の性格だが、それとは別に「多趣味で飽き性」は実に勿体ない性格だなと感じる。

 多趣味で飽き性な私は一つのことに打ち込められない。だから全部中途半端なところまでしか進まない。

 趣味の一つに動画編集があるけど、思い立った時は熱意に溢れているけどちゃんと最後まで編集したのはこの数年間で片手で数えられる程度にしかない。工作が趣味だけど、ちゃんと一つの作品として仕上げられたものなんてあったっけ?トレスのMVを作ろうとしたけど結局未完成の編集プロジェクトがフォルダの中に眠っているし、昔から執筆活動の一つとして創作小説をしているけど殆どがストーリーのあらすじとか物語の設定をメモしただけで終わっている。次に再びその趣味に手を付け始めた頃は、前までやっていたことがどこまで進んだのか覚えていなかったり自分がしたいと思っていることの方向性が違いすぎてまた一から作り直すことが多い。それだから多趣味な割には知識も実力も皆無でいつまで経っても「一口舐めた程度」にしか味が分からない。たった数ヶ月で極めている人をみると「打ち込める人ってすごいなぁ」と小学生並みの感想が出てくる。いや、でも本当にすごいと思う。

 広く触っている割りには経験が浅すぎる。それはしばしば「自分が生きていた心地がしない」と感じさせる。自分がこれまで時間をかけていたことは一体何のためになったんだろう?この時打ち込んでいたように思えていたものは意外と形に残っていなくて、私は何を夢中にして生きていたんだろう?そんな気持ち。

 もちろん趣味をどこまで極めるのかは人それぞれだってことは分かっている。一般的な考え方の型にはまりすぎる必要がないことだって分かるし一時的にでも「楽しい」と感じられたのならそれでいいのではという考えも理解できる。でもやっぱり悔しいんだ。自分が自信をもって自分自身を証明できる方法を知らなくて、なんか悔しい。

 飽き性が変わらず気付けば多趣味になって、私はハタチを超えた。大学生という時間の中、飽き性がゆえに自分が本当に熱中できることとか長く続けられるものが見つからなくて、将来の夢も曖昧なままだ。

 このままではいけないと思いふと始めた「noteの毎日更新」。飽き性の自分、果たしてあと何日続けられるかな。そしてそれを続けた先で自分は生きた証明を見つけられるのかな。