見出し画像

眠い。つまりは頭が回らない。【日常生活】

 眠い。私は今とてつもなく眠い。でも今すぐに寝られるような眠さではない。起きてはいられるんだけど物事を思考するには頭の回転が鈍すぎる。

 眠気はしばしば私を苛立たせる。何もない時に眠るのは別にいい。でも起きていないといけない状況――例えば満員電車で座れずつり革に摑まっている間、例えば重要な会議の途中、例えば締め切り間際で提出物に追われている時――に遭遇したとき、横になりたいとか目を閉じて休憩したいという誘惑が頭の中を埋め尽くす。その時、「眠る」ということの効率の悪さというかより高度に発達した人間社会においてその本能的な行動の無意味さのようなものを感じる。

 もし人が眠らなくてもよくなったらどうなるんだろうとしばしば想像する。多分寿命は短くなるかもしれない。でも睡眠時間というものがない分行動できる時間は増えているのだからトータルの行動時間で見たら今と変わらなかったりするのかな。睡眠が不要だったとしても休息は必要だろう、でも寝る必要は無くて起きていながら休むことができるんだからきっとスマホを弄ったり散歩に出かけたり軽食を摂ったりということは続くんだろうな。睡眠を伴わない休息は嫌いじゃない。寝ているとあらゆる情報をシャットアウトしないといけないのに対して起きていればたとえ休息だろうと何らかの行動はできる。情報を得たり気分転換に何か作ったり、そういう行動の方が随分とお得なように感じる。

 起きていてもなお眠い時、思考回路が阻害されているのを強く感じてどこかストレスを覚える。だけどそのストレスを感じることも感じたストレスを発散させるためのアクションを起こすことも睡魔が邪魔してくるから抗えない。自分の中で生まれた刺々しい感情は睡魔に対して殺意を持つけど、気づけばそれは睡魔に消化されて花びらのような優しい何かに包まれる。眠い授業の中、必死に板書を写そうとしている時はいつもこう。気付いたときには目の前にアラビア文字のようなものが広がっている。そして黒板は綺麗に消されている。

 私は自分でも不思議だと思う体質がある。他者に関わる予定がある時、基本的にはすぐに起きれるのに何も予定が無かったり「明日は早く起きてこれを仕上げよう」みたいな個人的な予定の物の時は本当に起き上がれない。たとえ3時間ほどしか睡眠時間が確保されていないとしても朝にシフト入っているバイトがあれば4時半にかけた目覚ましにちゃんと反応するのに、何も予定がない土日や午後授業の日で、8時間ぐらいの睡眠時間になるよう目覚ましをかけた状態だと一度起きても気付けば二度寝、三度寝をし合計で10時間以上布団の中に籠もっている。そしてもうこれ以上寝れないという風になった時「どうして普段は起きれるのに予定が無いとこうなるの?また無駄な時間を過ごしちゃった」と残念な気持ちになる。
 適度な惰眠は幸福感を与えると思う。それは自分も小中学生時代に実感したことがある。惰眠が必ずしも悪だということはない。一方でやめたいのに止められない惰眠はストレスを与える。でも惰眠を迎えてしまう時の頭は回っていない。そのトゲトゲしたストレスもやがて睡魔によって優しくベールに包まれた柔らかなものに錯覚され、気づけばそのフワフワとした幻想にすがる自分がいる。


今もなお、眠気を感じる。
思考回路が阻害されている感覚がまじまじと伝わる。
宛先の無い不快感を覚える。
それでも、回らない頭の所為で全部あやふやになって呑気な欠伸をする私がいる。