執筆と心境の変化

最近、執筆作業をすることが無くなったなと思う。
去年の秋に文字を綴る事を少しだけ続けていた時期があったけど、結局それ以降まるっきし執筆への意欲が失せていた。
文字を綴る事へのエナジーを使い果たしたわけではないと思う。確かにその時期はなるべく毎日記事を書くように心がけていて「楽しい」より「疲れた」の方を感じることもあった。でもそれ以前に「書きたい」と思うことが少なくなった。

私が何か執筆をしたくなる時、大体その理由は”忘れないため”だった。
常に変わりゆく心境の変化に今日自分が感じていたこともいつかは忘れちゃうんだろうな、気づかなくなっちゃうんだろうな、そんな自分が怖いな、だから文字を綴って忘れないようにメモをしよう。それはきっと大したことじゃないのかもしれないけど、自分が変化したんだなって気付ける一番の方法だから思ったこと感じたこと全部書こう。そんな感じだった気がする。

一方今は何も感じないことが増えた。感じても「書くまでのものでもないよな」とか「言葉も考えもまとまらないから」とかそういう理由で片付けてしまうことが多い。文字を綴りたいなと思っても、題材が思い浮かばない。

書きたいと思うことがパッと思いつかない今はある意味幸せなんだと思う。その分、悩みが少なくて、恐れているものが無くて、何事にも無関心で居れて。本当に大切なことを見過ごしているような気がして少し怖い気持ちもあるけど、でもそれもまるで他人事のようにしか感じない。恐ろしいね。

心境の変化として一番心当たりがあるのはきっと恋の悩みが減ったことだと思う。むこう――ここでは『彼女』の意だけど――との関わり方で悩んでいたことも最近はお互いあまり無理をしないような関わり方を選ぶようになった気がする。会いたくなったら会いに行けばいいし、甘えたくなったら一方的に甘える。そんな感じ。
悩みが減って、執筆の機会は減った。どちらかと言えば自分の思い通りの方向に物事は進んでいるように見える。でもふと「そういえばこの時期ってどうしてたんだっけ」と思ってもそれを見返すものがない。よかったこと、嬉しかったこと、幸せだったこと、自分が後悔したこと。何か一つでも書き残しておけばよかったなと思う機会が増えた。

執筆をする機会が減ったことも、「減った」っていう事自体がある意味で将来の自分へのメモなのかもしれない。後悔することが増えたら、きっとまた書く機会が増えるんじゃないかな。

ばいばい、書き残されなかった自分。