発酵食品みたいに、寝かせば美味しくなる人間だったらよかったのに

どうやらそうはいかないらしい。

発酵食品と言えば最近は納豆にはまっている。小さな正方形の発砲容器に3個セットになって包まれている納豆のパック。小腹が空いたときにパックの内の1個だけを取り出して、中に付随している醤油とからしをかけてひたすら混ぜ、ある程度粘り気が強くなったらそのまま口の中に頬張る。もちろんご飯があってもいいけど納豆だけを口に搔きこむのも悪くない。むしろご飯の粘り気が無くなるし、口に入れなきゃいけない量も減るからねばねばが余計なところにくっつく心配が小さい。納豆単体だけの方が美味しいのではないか何て感じるときもある。

だけどご飯があるといいこともある。炊き立てのご飯に予め混ぜておいた納豆をかけ、更にその上に生卵をポトンと一つ。ゆずぽんを少し多めにかけ、ねぎを軽く振りかけたらあとはスプーンでぐしゃぐしゃにして完成。納豆卵かけごはん――私はその触感も好きだけど人によっては納豆のねばねば感に卵のドロッと感で相当嫌うかもしれない――にして食べることもある。飲み物みたいに流し込んで、だけどお腹にはそれなりにたまるから忙しい朝とかにはおすすめ。

それはそうとて納豆よりももっと身近な発酵食品がある。朝食の代表的な存在、パン。真っ白でもちもちした、でも端っこはしっとりしているパン。パンの詳しい作り方は知らないけどイースト菌とか小麦粉を混ぜコネコネしてねかして焼けば完成とかそんな感じだった気がする。もちろんこんな簡単には作れないと思うけど。
自分は食パンこそあまり食べないものの、コッペパンの類はよく食べる。スーパーで安価に手に入り、なおかつ片手で食べやすいから作業のお伴にしやすい。中に入っている具材も種類豊富で、そのスーパーによって見慣れない味や珍しい種類のものまで置いてある。
コッペパンに限らずパンは今日の食生活の大部分を支えていると思う。朝は米かパンかで意見が意見が割れるときがあるけど、食分野に限らず会話のネタにまでなってくれるパンの存在は偉大だ。圧倒的存在感とその支持力。寝かされた分、人間の生活に必需品となるほどの力を備えている。

食品の話は置いといて。

自分は創作において、寝かすとやらなくなっちゃうタイプだ。noteでもブログでも小説でも、何かいい感じのネタを思いついて文章を書き始めるけど眠かったりとか途中で行き詰まったりして「続きは明日書こう」と思い保存してパソコンを閉じる。そして次開いたときには「何をしようとしたんだっけ」とか「昨日書いた部分のここが気になる…いやここも気になる…もういっそのこと最初から書き直したほうが良いんじゃ」とか、前日に0から1にしたはずのものを再び0に戻す始末になる。
執筆に限った話ではない。趣味の動画編集も、工作も――もちろん一日で終わる作業の事の方が珍しいけど――なるべく短期間に納めないと、段々飽きてきたり別の物を作りたくなり始めて作りかけで放棄してしまうことが殆どだ。自分には長い時間かけて最後まで完成させたものの例が少なすぎる。

ちゃんと日を置いて作業できる人はすごいなと思う。本屋に置いてある小説とか、世の中で有名な映画とかアニメの数々はきっと何日も何週間も、下手すれば何年も物語の構想が練られ、その上で作品として完成させている。もちろん個人の問題ではなくお仕事として、それに関わっている人々に影響が出るから最後までやり遂げているというのはあるんだろうけどそれでもやっぱり時間をかけた分、良い作品を作ることは簡単なことではないはずだ。

自分も発酵食品みたいに寝かせれば美味しくなるような人間だったらいいのにな、と思う。