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アンフォールドザワールド・アンリミテッド 11

11

 私たちの町は夏休み直前だけれど、ここは肌寒かった。海から吹き上げてくる風がそう感じさせるのかも知れない。半袖の制服だと少し辛い。さっきまで古い公団住宅の畳だったはずの足元は、ごつごつとしたむき出しの岩場だ。そういえば、布団に寝かされていたはずのミッチの遺体はどこへ行ったのだろう。
「あれがミッチの家……」
 靴下履きのまま、私たちは岩の上を歩く。切り立った崖の先端に、ガラス張りの丸い住宅があった。
「トニー・スタークの別荘ですね、まるで」
「ほのかそれ観たことあるー。アイアンマンって映画でしょ」
「イチゴんちより、ずいぶん近代的だな」
 ガラスの壁からは室内の様子がはっきりとうかがえる。円形の部屋の中心にはベッドが置かれ、壁際にカウンターテーブルと壁面収納があった。反対側の壁にはソファーセットのようなものが置かれている。
「どこから入るのでしょうか」
「えーっとね、たしかこのへんだったはず」
 フータが建物の周囲をぐるりと周り、崖の先端側のガラスに手を当てる。壁の一部が掃き出し窓くらいの大きさにスライドする。
「ロックかかってなかったみたい。よかった」
「ミッチいないな。地下室を見てみようか」
 私たちの世界と似ているようで、少し違う家具の造りだった。ベッドは円形だし、ソファーはよく見ると半透明のつやつやした物体だ。バーカウンターのようなテーブルの奥にある壁面収納は、ガラスにくっついているのか、床から少し浮いている。
「ぎにゅいにゃなぎゅ……」
「キズナニ?」
 黒曜石のような床に穴が開いていて、地下へ続く螺旋階段があった。その穴から、ナニガシの鳴き声が聞こえる。フータが階段を降りていき、私たちもそれに続く。水の流れる音が聞こえる。
「ミッチ! キズナニ!」
 細長いバスタブのようなものから、湯が溢れ出していた。地下室の床は水浸しで、そこにミッチは横たわっていた。
「ミッチ! ミッチ!」
 トートバッグを放り投げ、ちかこがミッチに駆け寄る。床に横たわるミッチは、袖のないウエットスーツのような黒い服を着ていた。四つん這いのナニガシが、部屋の隅から制服のシャツを噛んでもう一人のミッチを引きずってくる。身動きもしないそれは、団地に寝かされていたミッチの意識体だ。
「生きてる……、かろうじて」
「かろうじて?」
「とりあえず、意識体をミッチの本体に戻そう。死んだ意識体だからあんまり意味ないかもだけど」
 ナニガシがミッチの意識体から離れる。その姿は不気味で、だけどまるで忠犬のような振る舞いだ。
 イチゴが制服を着ている方のミッチに手をかざすと、その姿は掻き消え、ミッチの本体が小さなうめき声をあげる。
「肉体的な外傷はないみたいだな。でも動けないってことは精神にかなりのダメージがあるんだろう」
 イチゴが心配そうにミッチの濡れた髪を撫でる。フータがミッチを抱きかかえ、バスタブのような箱に入れる。容器に満たされた湯がホタルのようにゆるく明滅し、ミッチの肉体を包み込む。
「なんなんだ、これ」
「んーと、お風呂かなー」
「お風呂みたいだなとー思ったら、ほんとにお風呂なのね」
「精神が疲れたときとかにここに入ると、元気になるんだ」
「ああ、お風呂だなそれ」
「お風呂ですね。こんなので、良くなるのですか?」
「回復に時間がかかるかもだけど、とりあえず本体は生きてるみたいだし、だいじょぶだと思うよー」
「よかった……」
 フータの言葉に、ちかこが床に座り込む。
「おいでキズナ、よくがんばった」
 イチゴに呼ばれたと思ったけれど、呼ばれたのは私ではなくナニガシの方だった。イチゴが床に膝をつき、警戒するナニガシをそっと抱き寄せる。
「猫型ナニガシの触媒となったエネルギーを、キズナニに返還」
 フータの言葉に、抱き合うキズナニとイチゴが灰色の霧に包まれる。
「ニャーン」
 霧が晴れ、イチゴの腕に抱かれていたのは、小さな黒猫の姿をしたキズナニだった。

「やーん、靴下びしょびしょー」
「ミッチんち、ろくな食べ物ないな。魚と海藻しかない」
 ほのかは靴下を脱ぎ、イチゴは収納を無断で開けている。ちかこはゴム風船みたいな質感のソファに沈み込むように座り、それぞれが我が物顔で振る舞っている。
「ちかこちゃん、スカートまで濡れたでしょ。これつかっていいよ」
「シーツではないのですか、これは」
「タオルっぽいのはみあたらなかったー」
「なんかの魚の燻製みっけた。きずな、食べる?」
「それ、私にゆってんの? 猫にゆってんの? てゆうか人んちで自由だなあんたら」
 イワシみたいな小魚を、イチゴにもらって一口食べる。ビーフジャーキーみたいな味がしておいしい。フータは魚の瓶詰めを開けて、キズナニにあげている。
「キズナニ、ミッチに良くなついてるなーと思ったら、ミッチから魚の匂いするんじゃないの」
「こんだけ魚ばっか食ってたら、そうかもな」
「そういや、違う世界って意識体とやらでしか移動できないんじゃなかったっけ。なんで私たちここに来ることができたんだ」
「意識体しか移動できないってのは『窓』での話。ナニガシが開けた穴は、世界と世界をつなげちゃうから、物体も通り抜けることができるんだ。だから俺たちはそれを塞ぐわけで」
「世界がつながったらなんかまずいの?」
「まずいよねえ。窓は文字通りガラス越しみたいなものだから、物体は通り抜けられないけれど、穴はねー。しかもこんな大きな穴、俺はじめて見たよ。人が通り抜けれられるサイズなんて」
「マスタに見つかる前に塞がないと。てゆうか既にバレてる気がする。怖っ」
「ここは、私たちの住む世界とは、違う世界なんだねえ。ふしぎー」
 ほのかが小魚の燻製をくわえたまま、窓の外を眺める。荒れた海は三百六十度、見渡す限りどこまでも続いていて、私といくつも変わらないミッチがこの孤島で一人で暮らしているということに、現実感を得られなかった。

12へつづく

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