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製図道具の思い出(1)

昭和の終り頃の約10年が機械設計者としての修業時代だった。その時の図面の書き方を書き残しておこう。上のタイトルの写真は当時から(今でも!)使っている道具である。

ドラフターⓇ

製図機とは呼ばれず、のドラフター(武藤工業の登録商標)と呼ばれていた。T定規を使うの比べて生産性は桁違いだった。大学の製図実習の時は、アーム式だった。就職したころはアーム式から平行レール式に変わる時期で、新人はアーム式だった。アーム式のドラフターはアームの取り付け部が死角となって作図できない部分があったり、アームが重かったりで使い勝手が良くなかった。早くレール式を使いたいと思ったものだ。

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アーム式のドラフターで思い出すのは、大学の機構学の授業だ。平行リンク機構の説明で例に上がったのがアーム式のドラフター。先生の所に武藤工業の社員がドラフターの営業に来たそうだ。しばらく使ってみた結果、精度が悪く(平行が出ていない)使い物にならないとの評価。しかし、先生は、どうしたら精度が上がるかを考えて、同時加工した円筒を使う方法を思いついたそうだ。その後、武藤工業が同じ機構で製品化したの知って、「あの時パテント出しておけばよかった。」(教室の一同が爆笑)というオチの話。

最後に使ったドラフターは大型で使い勝手が良かった。正確なサイズは忘れたが畳サイズで、A0サイズの長尺の用紙を貼っても上下に余裕があった。製図台は上下とチルトができた。上下することで姿勢を変えずに作業できたのでとても楽だった。腰への負担が違うのだ。

製図板が広いので、バラシ(組図をもとに部品図を作成する作業)をするときに便利だった。組図を貼ったその上に部品図の用紙を何枚も貼れるので、複数図面を同時作業的に図面作成できる。組図と部品図を重ねてトレース的に作図する。同時に、俯瞰的に作業できる点はCADよりも優れている。

※ 用紙の貼付けは、ドラフティングテープを使うのが基本。ただ、ステンレスプレートを使って貼付ける方法と併用して効率を上げていた。(製図板の表面がマグネットプレートになっていた)

※ 消しゴムのカスをきれいに掃いていないとスケールに付着して汚くなる。スケールが汚いと叱られるので手入れが大事。

スケールといえば、ちょっと恥ずかしい記憶がある。​

スケールの両側は、1/1 と 1/2 の尺度の目盛が刻んである。
1/1で作図するとき、縦スケールの1/1目盛は、右側か左側か?

最初の頃、1/1メモリを右側にして作業をしていた。上下の線を描くのにスケールの右側のエッジで線を引いていたからだ。ある時、右側のエッジを使うと縦の長い線が描きにくいことに気が付いた。それでスケールの目盛の数字をみて初めて自分が間違っているのを知った。(左にしないと数字が正しい向きにならない)

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大学ではちゃんとした実技指導がなかったので、我流で書いていたのがいけなかった。基本をちゃんと学ばないと後で恥ずかしい思いをするという例だ。

水平と上下のスケールの直角度はスケールに付いた金具で調整をする。調整の仕方を説明すると、
 1.両方のスケールの金具のねじを緩める(外さない)
 2.スケール本体と金具の間にガタができたことを確認
 3.直角定規の縦と横をそれぞれスケールにぴったりとあてる
 4.その状態でねじを締める。スケールと金具が固定される
 5.直角定規の縦と横とスケールが隙間なく当たっていればOK

CADの仕事がメインになった頃は、まだまだ手書きで製図する人が多かった。ただ、徐々に使う人が減った分、メーカーの方は大変だ。人づてに聞いた話だが、リストラで辛い目にあった人もいたと聞く。CADの業界に入ったころは元社員という人に何人も出会った。

これも人づてに聞いた話だが、経営トップも「次はCADの時代だ」とわかっていてドラフターが売れない未来を予想してらしい。しかし、あまりにもドラフターで成功をしたがために、CADも売り出してみたものの、思い切りが悪かったようだ。フィルムのコダック社と同じ末路を歩んでいる。戦略の失敗を痛感する。

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