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#39 跡継ぎの苦悩とキャリアを切り開くこと

私はお寺に生まれ、三女ながら跡継ぎとなりました。
跡を継ぐということは、いろんな葛藤もあります。
自分の気持ちを抑えざるを得ないときもあるし、
周囲からのプレッシャーがしんどいときある。
それでも、自分の幸せを諦めずに追い求めてきたし、
これからもそうありたいです。
「跡継ぎ」という生き方について考えました。


家を継ぐことはネガティブなのか?

いわゆる家父長制は少なくなった現代。
それでも「家を継ぐ」選択をする人は沢山います。
浄土真宗のほとんどの寺院は世襲制です。
私の住む京都には、伝統産業を支える職人さんが多く、
親から子への技術伝承など、
家を継ぐという慣習が伝統文化を支えている一面もあります。

とは言え、「家に縛られず、個人で自由に生きようぜ!」
みたいな風潮が強い時代ゆえに、
「家を継ぐ」ことはネガティブに捉えられがちです。

家を継ぐのがどうしても嫌で別の道を歩む人もいます。
はたまた、親に従順な跡継ぎだけれど、
縛られすぎて苦しそうな人もいます。

私自身、縛られたくないし自由に生きたい性分です。
新幹線は自由席が好きだし、
もう一度人間に生まれ変わったとしたら
世界を旅する画家(「裸の大将」のグローバル版)になりたい。
それぐらい自由が好きです。

結局、色んなご縁があって「跡継ぎ」の道を選び、
「これで良かったのか」と悶々とすることもありました。
葛藤を抱えつつも、今は前を向いて歩けるようになりました。
「家を継ぐ」という縛りの中でも、
私らしく生きるために考えていることを紹介します。


幸せなキャリアを築く must・can・will

会社員時代に研修で習ったmust・can・willの考え方が
私にはしっくりくるんです。
must・can・willの3つの重なりが広いほど、
幸せにキャリアを築いていけると考えます。

mustは、やるべきこと。
mustばかりだと、周囲からの期待で埋め尽くされます。
自己犠牲を強いられる状態です。
真面目で優秀な人ほど、これに囚われがちです。

canは、能力やスキル。
canは、高いほど良さそうな気がしますが、
「できるけど好きじゃないこと(ワクワクしないこと)」も含まれるので、
canばかりでも理想ではありません。

willは自分の意志。
willだけだと、自分のやりたいことをひたすらやる。
幸せな状態かもしれませんが、
これだけで一生過ごせる人はいないでしょう。

どれか一つに偏るのではなく、
3つをバランスよく持ち合わせることで
自分にとっても社会にとっても幸せな状態をつくることができます。


私がやったこと must ⇒ will ⇒ can

私の話に戻ります。
会社員から僧侶へと職を変え、
まずやったのはmustでした。
つまり、まずは僧侶として習得すべきことに集中する。
仏教の勉強やお勤めのやり方などです。
鍛錬なので楽ではありません。
でも、そこは耐えなければ、次に進めないと腹をくくりました。

周囲からの期待に応えているだけのような気がして、
苦しい時期でした。
「~べき」だけで生きていくのは、しんどいなぁと。

mustがちょっと進んできたら、次はwillです。
勉強をしているうちに
「コレは伝えたい!」と思うことが出てきました。
noteでの発信は、私のwillの一つです。
他にも種をまき始めたこともあります。

canはこれまでの人生をすべて棚卸しして、
できることを挙げていきます。
いわゆる資格のような明確なものだけでなく
ちょっとした出来ることも全部です。

例えば、私の場合であれば
・(仕事と子育ての両立から)時間管理ができる
・寝たらほぼ復活するメンタルの強さ
・人の話を誠実に聞ける
・予算内で献立を考える
とか。
ポイントは他人と比較しないこと。
自分よりできる人なんて無数に存在します。
自分が「できるかも!」と思えばそれで十分。
そして、「こんなしょーもないこと」と切り捨てない。
あなたにとって「当たり前で、しょーもないこと」が
他人にとっては「すごい!!!」能力かもしれません。


must・can・willが完全に重なることはないでしょう。
私もまだまだ道半ばですが、
ちょっとずつ重なる場所を探していきたいです。

いかがだったでしょうか。
「跡継ぎは辛い」と感じた経験と、
縛られすぎず私らしい生き方を切り開きたいと模索中のことを書きました。
どなたかの参考になれば嬉しい限りです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。





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