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プラネタリウム

 教授が教室を暗くする瞬間が好きだった。前のほうの電気だけ消してプロジェクターをつけて、まず一瞬、星空の神秘を見せてくれたあの授業が好きだった。その後に語られた物理の話は難しかったけれど。

 天体について学ぼうと思ったら地学と物理学と工学といろいろあって、僕は宇宙のしくみを知りたいと思って物理を選んだ。人間ってすごいんだ、全部式に直しちゃうんだと話すと、華夜かよは嬉しそうに笑った。

 渋谷、駅の裏側、ゆるい坂をのぼって曲がった先に、小さな球体が見える。お気に入りの場所だ。平日の夕方は空いていて、一張羅のスーツを着た僕はとても目立ってしまう。券売機でチケットを買うと途方に暮れてしまった。

 3年ぶりの東京だった。その月日はそのまま、華夜と離れていた時間だ。この3年間、華夜は何を考え、何を見、何をいつくしんで生きたろう。遠い異国から見ても星は星のままだったよと言ったら、華夜はどんなふうに笑うだろう。

 リクライニングの背が倒れる。心地よい音楽とナレーションが、星の世界へといざなう。ひとりで通っていたこの場所に華夜が加わってから、倒せるタイプの椅子はいつも左に傾いて座ってしまう。眠そうな華夜を起こそうとちらちら左を確認してしまう。3年も経ったのに、忘れられない。忘れたくないんだ、何年経っても。

 かさりと、ビニールが音を立てた。あの頃、きらきらした素敵なプレゼントは結局何ひとつできなかったけれど、お花を贈ったことは何度もある。家の近くの花屋の前で華夜が「きれい」と言ったから。花が好きなきみと星が好きな僕、華夜ってほんとうに素敵な名前だねと、そんなキザなことは思っただけで言えなかった。青山フラワーマーケットで買った花束。

「春田」

 眠そうに目をこする華夜を思う。

「私、待っていられないと思う」

 目の奥は強い色をしていた。華夜はあくびのふりをしてちょっと、泣いた。

「結婚だってしたいの。日本で。幸せになりたいの」

「ごめん」

 僕は泣かなかった。3年間、ひと粒も泣かなかった。この星空を見るまで、泣けなかった。

 一張羅のスーツで、花束を抱えて、ひとりプラネタリウムで泣いている男はとても滑稽に見えるだろう。でも僕は嬉しかった。やっと終わる。僕の悲しい恋が、終わる。

 40分の上映が終わって、場が明るくなる。彼女のいない人生を、これから。

 金色の星が散りばめられたデザインの美しい招待状を、鞄から丁寧に取り出す。券売機で買った小さなチケットを挟んで、またしまった。

このお話は 流れ星 の続編です。春田くん好き。


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