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流れ星

 鏡越しの彼が言う。

「誕生日近いよね」

 優しい声だった。彼は私を女の子扱いする。ネクタイを締めたその首の太さに違和感。

「何か予定あるの?」

 前髪が決まらなくて、仕方がないのでその場にあった剃刀の刃を使って少し切る。添えていた指をちょっぴり傷つけて、血が滲んだ。

「ないない。空いてるよ」

 私はさらっと言った。感情を込めないように、淡々と。血を舐める。薄い皮がひらひら。

「ケーキでも食べに行く?」

 甘いものが好きな彼は優しい声でなぞった。私も甘いものが好きだから頷く。前髪がまっすぐに揃ったので、ベッドに戻る。彼がインスタのページを見せて、これ美味しそう、なんて言い合う。彼のスマホを指さしたとき、ついでに彼は私のネイルを褒める。

 かつて私はこういう付き合いに憧れていた。キラキラしたものをふたりで選んで、写真を撮って。共通の好きなものを一緒に楽しむ。彼とならできる。甘いものが好きで、インスタを見ていて、声が優しい彼となら。

「あのさ」

 なに、と彼は答えた。「な」と「に」の間の小さい「あ」に、私は軽く絶望する。彼の声は優しくて甘い。素っ気なかった春田とは正反対だ。春田は話しかけられたとき、聞こえないくらい微かに「ん」と囁く。

「プラネタリウム行きたい」

「あーいいね」

 彼はまた検索する。カップルの好きそうなふわふわのシートの、ラグジュアリーなプラネタリウム。

「じゃなくてさ」

 春田の首はもっと細い。春田のネクタイはいつもゆるんでいた。春田は甘いものが嫌いで、ケーキを見るたび嫌な顔をした。春田はインスタをやっていない。春田はネイルに見向きもしない。でも、春田は指の傷に気づく。

「もっと寂れた安いとこ。渋谷にあるんだよね」

 春田の声は冷たい。夜空を見ながらうとうとする私に、春田の囁く声は流れ星のように降ってくる。春田は星が好きだった。がらがらのプラネタリウムの一角で、私たちはいつも手を繋いだ。目を瞑って願った。何回も連続で上映を見た。一回六百円の、最高の贅沢だった。

「いや誕生日なんだし俺が出すよ、心配しないで」

 にっこりと、優しい声で彼が言った。頭を撫でてくれる。私は泣きたくなる。

「最高の誕生日にしてあげる」

 髪をくしゃっとされて、せっかく整えた前髪が崩れたことに。そんなことを、気にしている自分に。

 私の願いは叶わなかった。

 最高の誕生日はもうこない。

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