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深夜の独り言 19

夜に口笛を吹くと蛇がくるとか、蜜柑は皮ごと食べられるとか、押入れの冒険は実話だとか、あることないこと教えてくれたのは父でした。小さい頃、よくからかわれていた気がします。

父親が、四月からまた単身赴任をするそうです。今日(昨日?)、初めてわかりました。

父は私が小学五年生の頃から単身赴任をしていて、高校三年生になる年に帰ってきました。二年間しか家にいなかったのに。高三のときは受験が忙しくて、父とはほとんど話をしませんでした。やっと、父のいる生活に慣れてきたのに。またいなくなってしまうみたいです。

一緒に住まなくてもときどきは会えますから、別に気にすることはないのかもしれません。でもやっぱり少し寂しいですね。

私は反抗期がきませんでした。父に対しては、反抗期がくるような年齢になる頃には別に住んでいたので、たまにお菓子を持ってやってくるおじさんみたいなイメージで、だから良い印象しかありません。母はまだ父が単身赴任を始めたばかりの頃、よく私たち子どもに向かって「あんたらがいなければお父さんと一緒に暮らせたのに」と言っていて、申し訳なくて反抗する気も起きませんでした。喧嘩をすることはたくさんありましたが、母が先に癇癪を起こすのがほとんどでした。もう慣れたので、今では母が不機嫌になりそうなときは先回りして逃げることができます。父が家にいるので、母は怒りにくくなった気もします。

進路を親と相談したこともほとんどありません。この学校を受けたい、こういう職業になりたい、お金が関わる点では頭を下げてお願いをすることもありましたが、全部自分で決めました。お願いをして、だめだったことは、諦めました。高校一年生のとき行きたいと思っていた大学は、偏差値が低いからという理由で母に却下されました。母が文句を言えないくらいの偏差値帯で、自分の求める条件に少しでも合う大学を探しました。

私に関して、父は何も言いません。だから、私も父に何も言いませんでした。父はいつもお客さんだったから。父が家に来ると母は張り切っていつもはしない料理をして、にこにこ笑っていて、父はソファで本を読んでいました。さっき、良い印象しかなかったと言いましたが、父のいないとき、少し憎かったこともあります。家族なのに他人のふりをして。私の将来になんて、全く興味がないんだわ。まだ、意地悪な文句を言ってくる母のほうが家族らしいと感じられたのです。

父のことは大好きです。家にいない間、一人でお仕事を頑張っているのも知っています。テレワークになって初めて見たけれど、仕事をしている姿は本当にかっこよかったです。だから、家にいないことを責める気持ちになったことは今まで一度もありません。でも。責めたり、怒られたり、そういうことができる関係に憧れる自分もいます。

今年度は父と家で一緒にいる時間が多くありました。「あれ、ピーマン食べられるようになったの?」なんて、父の記憶は小学五年生で止まっていたようで驚かれたりもしました。朝一緒にラジオ体操をしたり、夜寝る前に並んで歯磨きをしたりもしました。全部、一緒に暮らしているからできたことです。

父が何年向こうに行くのかまだわからないのですが、私は大学を卒業したら実家を出るつもりです。だからもしかしたら、もう一緒に暮らすことはないかもしれません。そう思うと、とても悲しくて涙が出ます。母は泣いていました。もし今コロナにかかって一人で死んでしまったらどうするの、なんて、縁起でもないことをいいながら。でも、本当にその可能性がないわけではないのです。

どうか、健康で。それから、この二年間で太ってしまったぶん、少しは痩せて帰ってくるといいな。でもちゃんとご飯は食べてね。はやく、帰ってきて。

出発前には、そんなふうに素直に伝えられたらいいなと思います。とても、勇気のいることですが。


寂しい夜に、



深夜の独り言。

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