見出し画像

深夜の独り言 14

「天才」って、なんですか。

最近はずっと、悲しい気持ちです。自分の今までの人生は何か大きな勘違いでできていたような、そんな気持ちです。ここ数日間、やる気が出なくて、何もしていません。

歴代の「天才」について学ぶ授業があります。簡潔に言うと数学史のようなものです。フーリエやカルダノやポアンカレや、そんな天才たちのお話を聞いています。

先生によると、天才というのは「自分で新しい何かを生み出せるひと」のことを言うそうです。"今ある定理や知識や解き方を理解して、問題を解けるようにする"ことは時間をかければ誰にだってできる。ロボットなら一瞬でできる。確かにそのとおりだと思いました。

でも私は、自分で何かを考え出したことなんてありません。本当に悲しいことに、私は受験のための勉強しかしたことがなかったのです。

勉強は得意だった。問題文を読めば、作問者の意図がするすると読み取れた。勉強は楽しかった。問題を解けるのは気持ちが良かったし、いい成績を取れば誰かが褒めてくれる。勉強すれば安心だった。今の時代、それなりの学歴とコミュニケーション能力があれば社会でうまくやっていけるはずだった。

私は塾でアルバイトをしています。生徒はみんな、それぞれに頑張っています。「先生、明日は塾来ますか」「質問したいんですけど」「先生は受験生のとき、どうやって勉強していましたか」私は「先生」なんて呼ばれながら、受験勉強のやり方を教えています。

私もまた、少し前までは受験勉強を教わっていました。塾の先生をいい意味で"利用"して、たくさん教えてもらいました。

高校生のとき、周りのレベルが一気に上がって、自分は特別じゃないことに気がついたつもりでした。私くらい勉強ができるひとなんていくらでもいるんだと思いました。でもそれ自体勘違いだったんです。勉強ができるとか、できないとか、私や周りが一生懸命取り組んだ受験の成績なんかじゃ全くわからない。そんなものでは測れない。でも私はその「そんなもの」のためにあんなに頑張ったのに。いい高校に、いい大学に行けば、親も先生も喜んでくれたのに。

間違っていたのでしょうか。間違って、いるのでしょうか。現代の受験という悪い制度のせいで、ただ知識を詰め込んで機械的に問題を解くだけの、能のない人間に育ってしまったのでしょうか。それは、いけないことなのでしょうか。

数学の歴史は長すぎて、私はそこに追いつくだけで人生が終わってしまいそうです。それに、"受験"という目標もないのに、何を目印に勉強をしたらいいのかわかりません。何を目指して"努力"すればいいのか、どこまでやれば"合格"なのか、私は誰かに教えてもらいたい。"できるようにならなくてはならないこと"だけをやってきたから、"できるようになりたいこと"がわからない。

「天才」たちはどうしていたのでしょうか。彼らと比べて明らかに自分の頭で考えられない私は、学ぶ者として失敗作なのでしょうか。だとしたら、私は未来ある生徒たちに何を教えたらいいのでしょうか。

答えが出ません。受験にはこんなに難しい問題はありませんでした。私はこれから自分の頭で考えるようにしたらいいのでしょうか。今までの十九年を捨てて、まっさらな頭で?

新しい定理を見るたびに、問題を解くたびに、生徒に質問されるたびに、悲しい気持ちになります。それらを否定された気がして。 ロボットみたいな僕 というお話は、実はこういう気持ちで書いたものでした。 プライド というのも、昔の私のお話です。村山くんはもしかしたらまたいつか出てくるかもしれません。

今日は答えが出ないので、放り投げて終わりにします。別に「天才」になりたいわけではないけれど、私がしてきた努力はなんだったのかと虚しくなる夜です。体調が優れないのが重なって、ここ数日はこうして気を病んでいます。

誰か、教えてくださいと、そう言うのもいけないんですかね。


悶々とする夜の、


深夜の独り言。

この記事が参加している募集

最後まで読んでくださってありがとうございます。励みになっています!