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夜のお話です。 闇の中、布団の中、月に照らされた中で、昼とは違う一面を見せて大胆になったり、記憶を呼び起こして懐かしんだりするようです。
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2020年5月の記事一覧

境界線

境界線

 改札を抜けると、異世界へ飛んでいく。

 そんなことはきっと起こらなくて、改札はただの、駅の内と外との境界線でしかなくて。通ったからって、景色もそんなに変わらないんだ。

 でもその代わりに、すぐ右へ曲がるといい。コンビニやおむすび屋さんを抜けるとそこは渡り廊下になっていて、人の多い駅とは打って変わった薄暗い空間に出る。駅に直結した寂れた市民ホールは、今の時間は電気もついていなくて、その横の階段

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休日ゲーム

休日ゲーム

 セレクト。どれにしよう…。今日は気分を変えて、鼻低めで目をでかくして、童顔の可愛らしい感じにしようかな。髪の毛は、うん、黒がいい。でも、少し重たいからハイライトを入れてみる。上半分をすくって編み込んだ髪型。それを留めるのはシルバーのシンプルな髪飾り。あら、可愛いじゃない。いつもとはまるで違う感じ。今日はこれでいこう。
 次は服装を選択する。可憐な見た目にあうように、裾の長いシフォンの清楚なワンピ

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煙草

煙草

 爪が光る。淡いピンク色の地に、白い縁取りのフレンチネイル。可愛いでしょう、と見せてきた奈子に、ああ、と素っ気なく頷く。僕の反応に不満があるのか、ぷくっと頬を膨らませて拗ねてみせた顔が、当たり前のように可愛らしい。

 ねえ、彼女できたの?と、軽く口角をあげて、上からの角度で見下ろすように問うと、奈子はジョッキを一気に半分飲んだ。くあ、と息が漏れる。

 できたと思う?と聞き返してみる。奈子が本当

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私とウイルス

 「ご馳走様でした」

手を合わせて、席を立つ。皿を運んで、水道の蛇口をお湯の方に捻る。温まったのを確認してから、皿をくぐらせる。

「ええっかわいそう」

食卓に座る母が言う。

「必要な人だったのに」

先程まで私が座っていたところの隣の席で、姉も言う。キッチンから身を乗り出してテレビのニュースを見ると、ここ数ヶ月ずっと話題になりっぱなしのウイルスで経済的被害にあったとんかつ屋さんの店主が、火

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溢れ出す夜に

 目を閉じるといろんな考えが頭をよぎる。例えば明日のデートのこととか、友だちの誕生日サプライズのこととか。いつも妄想している間に眠っているらしい。例えば、小さい頃のこととか。妄想が切なくて、むしろ目が冴えて眠れないときもある。例えば、眠れない夜に両親の布団に潜り込んだこととか。

 ずっと使っているそばがらのピンク色の枕の端を右手で掴んでいる。今はもう色あせて、ほとんど藤色といったほうが近いけれど

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二つの顔と香りと夜

 「大好き、だよ」

きゅっと口角をあげ目を細めて応えると、男は真剣な顔をしてこちらを向き直った。真っ直ぐ私を見つめて、もう一度口を開く。

「あのさっ」

ふふっ。心の中で嘲る。何を言うのかしら。気になるけれど、続きはまた今度ね。赤いリップを釣り上げて、私は席を立った。

「そろそろ帰らなくちゃ」

え、もう?という顔をする男が、置いてけぼりの子犬みたいで可愛らしいとも思う。同時に、ひどく哀れで

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