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昼のお話です。 学校へ行ったり、お散歩をしたり、家でごろごろしてみたり、それぞれの過ごし方をして、それぞれに感じることがあるようです。
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2020年11月の記事一覧

楽しい暮らし

楽しい暮らし

 家から出て、扉を閉める。外にあるポストを確認すると、ははから郵便が来ている。

「体を大切に」

なんて優しそうなメッセージを添えて、中身は手編みのニットだった。律儀だなあ、とぼんやりと思って、もう一度家の中に入る。

 家具の間をどたばたと通って、クローゼットにニットを仕舞う。余白なんて考えずに家具を詰め込んだ部屋は生活するには少し不便だ。でも、同じシリーズで統一してあるので見た目は割といい。

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プライド

 目の鋭いベテランの女の先生は、みんなの顔を見回した。俺の目はきっと誰よりも輝いていたんだと思う。俺のところまでくると、先生は太めの眉をハの字にしながらちょっと笑って、それから真ん中に向き直して、明るい声で言った。

「皆さんは三年生ですから、体育祭の応援団長を決めましょうね。やりたい人はいますか?」

 はい!とまっすぐ、できるだけ高く手を挙げる。ざわついたみんなが一瞬、静かになって俺を見た。村

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わかり合えるから

わかり合えるから

 カジュアルだけど小洒落たカフェの前で、使い捨てカイロを握りしめる。固くなった砂がばらばらになって、かさかさと音を立てる。昼間なのに冷たい冬の風が、赤くなった鼻を鳴らす。

 結城智夏はきっと今日も、待ち合わせの時間ぴったりに現れるのだろう。

 三か月ほど前、真面目で有名だった新人が、一週間ほど会社を休んだ。直接関わりがあったわけじゃないけれど、身内の不幸だと聞いて体が震えた。復帰してからはまた

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笑いたくなんてなかった

笑いたくなんてなかった

 四階建ての、小さなマンションだった。駅から遠くてかなり歩く。バスもあるみたいだけれど、彼とはいつも歩いていた。部屋番号を確認して、深く息を吸う。インターホンの前で、軽く目を瞑る。

 笑っていれば大丈夫。優希ちゃんは可愛いんだから。

 結城智也はいつもそう言って笑った。あたしはそのたびに、あんたなんて死んじゃえ、と言った。

 ゆっくりと数字を三つ押して待つと、はい、と声が聞こえた。

「花澤

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白い手紙

白い手紙

 カランカラン。扉が閉まった瞬間、男の眼鏡は真っ白に曇る。薄い金色の、少し長めの髪の毛をもつ男だった。細身のグレーのスーツに、縞柄のネクタイを締めている。ソファに腰掛けた女の子が、あら、と声を出す。

「ちょっと暖かすぎるな」

と、男は銀縁の眼鏡を外した。男の目は透き通る深い青をしている。

「ごめんなさい」

女の子は軽く頭を下げた。女の子の髪や目は、目の前に立つ男のそれとよく似ている。

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ダンスホール

ダンスホール

 女の子は臙脂色の立派なソファに腰掛けていた。ベルベットの深緑色のワンピースを着て、お行儀良く背筋を伸ばしている。この部屋は深い色が多い。壁は深い青、机は焦げ茶色。でも床だけは眩しいくらい磨かれたぴかぴかの白。

 アンティークな机には白いキャンディとティーカップが置かれている。すっと透明のような、それでいて奥の方は濁っているような、不思議な白。ティーカップには赤い木の実が描かれ、中にはとろんとし

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目覚ましの音

 微かな音。一定のリズムを刻む音。だんだんと大きくなって、それは耳元で不快なくらいに鳴り響いた。止めようとして腕を伸ばすと、そこにはペタペタとした感触があった。

 驚いて顔を向ける。肉付きのいい柔らかい腕だった。

 その後ろにあった彼女のスマホのアラームを勝手に解除する。警報みたいな大きな音は、まだ少し耳の中で響いていた。

 朝の五時半。ほんの二時間前に寝たばかりの俺が起きるには早すぎる時間

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