趣味|写真は貴方のもの
※Twitterにて、呟きから派生した自論を、noteにまとめましたシリーズ
画角の違いもあるし、加工もしているけど、結局、等倍で鑑賞しなければ、ぱっと見で、スマホかカメラかなんてわからない気がするなあ、って考えるとってところなんだけど、カメラを使って試行錯誤するのがおもろいんだろうね、失敗から学び取る姿勢を学べる
どちらのが良いかという客観的判断は、写真という結果にしか重きを置かないから、いわゆる、その写真が出来上がるまでの苦労だとかは、度外視される(と説明せずとも、街中のスナップであれば、散歩中に撮ったのだなあという予測くらいしか出来ないから、自ずと結果に目が行くけど)
故に、写真は個人の世界で楽しむものであるという結論を導き出せる、否、それが全てではなく、観察者の視点といった意味合いで、鑑賞者がその自分とは違う景色・描写にウットリすることもまた、楽しみ方の一つではあるが、写真の全てを鑑賞者に委ねてしまうようになってしまうと、それは自分そのものを度外視する結果に陥るのではないかと、わしは危惧している
つまるところ、その結果にこだわりすぎる事における、鑑賞者の目から逃れられなくなる病、SNSの呪縛といったものだ
写真を撮る行為は、その目的が何であれ、その写真を通して、何らかのフィードバックを得たいと思うのが人間の性、それは自我の成り立ちにおける人間の自然の摂理であると言えるから、それは素直になっても何も恥ずかしくはない
ただ、本来、カメラを使って写真を撮るという行為そのものが、疎かになって、数値化された世界の、混沌とした価値基準の中に身を投じる結果となれば、一体、何のための写真なのかが分からなくなってくると、わしは考えている
カメラを使って、あーだこーだ試行錯誤する、そのプロセスを踏んで、自己の世界で納得のいく写真が出来上がる、それを見た鑑賞者も、その勢いに触れて(写真そのものでもあれば、その過程の楽しみ方まで)、賛同する、これがきっと、写真を撮るということの醍醐味に繋がってくるのだと思うているだよ、異論は認めます
そんなこんなで、Twitterの下書きには収まらなかったので、こちらにてまとめましたが、ただ撮るだけの行為よりも、やはり、色々悩んで悩んで考え抜いて出た結果が、例えば、出来の悪い写真でも、その過程における諸々の苦労は、後々の糧になるって、そう信じて生きていられたらいいなって思いを込めつつ、終わりの挨拶とさせていただきマンモス
潔いカメラではないからなあ、FUJIFILM、なんでも出来ちゃうから、それが逆に悩ましいし、そして、面白い、Leicaの潔さは、もう神レベルだから、あれが理想だけど、上級国民ではないわしは、背伸びせずに、自分に合ったものを使っていきたいなあ(FUJIFILMは底無しに愛しています)
そんなこんなで、やはり文章化するのは大事だねと再認識するわしでした
したらば!!!!
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