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趣味|カメラが側にあるということ

※Twitterの呟きから派生して長文になってしまったシリーズ

グラデーションの綺麗な写真が撮りたいんだよなあ、大人になると、コントラスト(色など)の付き具合よりも、じっくり見ると、一つの概念が、広がりを持ってそこに現れることの神秘性とでも言おうか、その繊細さに惹かれる、故に、ETERNAや、彩度の低い写真を好むようになるけど、わかります?この気持ち

‪LeicaのレンズやLeicaは、そこを表現するのが上手いですよね、空気を切り取っているみたいな表現がなされますけど、正しくそうで、他のカメラやレンズには中々に出せない味がある

わしが今持っている機材で、それらしい表現が出来るかって言ったら、恐らく、その繊細さはわしの腕もあるけれど、再現は出来ない、元々の造りという点で、幾分かのアドバンテージが発生する

ただ、たまに、おお!みたいな写真も撮れるから、そこでウットリ出来るのだけど、それが写真を撮っていく中での、楽しさだったりもするんだよね

X-Pro3は、ユーザーの手や脳となって、ユーザーの想いに応えてくれるんだけど、そういった意味では、本当にわしとの相性がすこぶる良くて、自分自身の想いをカメラとして形作ってくれる理想形、本当に生まれてきてくれてありがとうって気持ちが強い

隠された液晶、見やすいOVF、心地良いシャッター音、X100Fには出せない色々が、たくさん詰め込まれておる、買って本当によかった、話は逸れた

そんなX-Pro3を使って写真を撮ることの喜びは、毎度、感じるのであるが、いかんせん、わしの精神が追いついていなくて、外に持ち出せない日々がずっと続いている、色々が混沌として、理由を述べようと思えば、色々が頭に思い浮かんで、答えが一つには定められないような現状

単純に、積もり積もったものが、ある一瞬で崩れてしまったっていう表現が的確なんだろうけど、この先の未来を考えると、どうも安泰した気分で毎日を生きることは、今の僕には不可能になっている

その中で、こうやって思いの丈を文章で綴ってみたり、カメラのことやレンズについて、思いを巡らしていくと、本当に心地がいいと感じる自分がいることに気づく、カメラを始めて良かったと思える瞬間でもある、何も行動出来ていないのだけど…‬

‪X-Pro3に留まらず、X100Fは、わしのしがない人生を、一緒に歩んで来てくれた、欠点もあるけれど、それはわしの使い方が、まだ下手くそなだけだ、愛する部分は多くある、2台のカメラは、誰かにとってのただのカメラだが、恐らく、愛着を持てていることは、他の誰かに指摘されなくとも、それは非常に強く肯定できる、‬一緒に生きてくれてありがとうと伝えたい、猫野郎くんもね

話がガンガン逸れているのだが、例えば、これが論理の飛躍がない妥当な論文を書かないといけないのであれば、評価など貰えないが、田舎者の戯言だ、許しておくれ

そんなこんなで毎日note綴っているね、毎日noteってタグ使ってもいいんではないか…?よかったらまた読んでくださいね

したらば!!!!!

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