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「俺は参入戦プレーオフに出場できるレベルだったのか」2年 ​武岡凌也

平素よりお世話になっております。今年度首脳を務めることとなりました、横浜国立大学経済学部経済学科二年の武岡凌也です。
 
まず初めに、日頃よりご支援いただいている、スポンサー、OB・OG含むサポーター、保護者の方々をはじめとする横浜国立大学サッカー部にかかわるすべての皆様に感謝申し上げます。今年度は東京都一部リーグに加わることが決まりました。新しい環境に変わり、これまで以上に激しい戦いが続くかと思いますが、部員全員で関東昇格という目標を達成できるよう力の限り戦っていくので引き続き応援のほどよろしくお願いします。
 
今年の部員ブログも残すところあとわずかとなってしまいました。部員ブログを読むことが大好きな一読者からすると大変残念な気持ちでいっぱいです。引退してしまう四年生の魂のこもった熱き言葉。三年生の首脳学年としての経験がつまった個性豊かなブログ。一年生の新鮮なそしてさらなる飛躍を感じさせるブログ。そして、なんといっても普段はシャイでホントの気持ちを伝え合わない原や小林をはじめとする同期のブログ。そのすべてを拝読しましたが、どれも素晴らしい内容で朝練に向かう電車の中で毎日大変楽しませてもらいました。これらすべてのブログ、そして次回のパッションむき出しのブログを書いてくれた主将山口に負けないような熱さで書いていきたいと思います。
 
それでは、前置きが長くなってしまったがここから本題に入っていきたい。

「横国サッカー部という環境の中で高い意識を保ち、沢山の発見による成長とともに、サッカーをより楽しめるようになる」

これは昨年のブログで記した自分の四年間の抱負である。今年のブログテーマは「昨年との違い、今後」ということでこの抱負とともに、早くも折り返しに到達しつつあるこの大学サッカー二年間を振り返りたい。
 

2021シーズン。

複雑な思いをもってこの横国サッカー部に入部した。
中学時代、高いレベルでのサッカーへの挫折、それを受け入れてしまった自分自身への、そしてサッカーへの嫌悪から、高校入学できっぱりやめようと思っていたサッカーを気付けば大学まで続けることになるとは思わなかった。高校では、素晴らしい監督や部員との出会いからサッカーを今一度楽しめるようになったが、高校三年時コロナの影響で不完全燃焼に終わったことから、高いレベルでのサッカーに再チャレンジしたいという気持ちが強くなった。そんなことから受験を経て、無事横浜国立大学に入学、サッカー部は、セレクションはないものの全国区の選手も数名いて、高いレベルでプレーできる環境は自然と用意されていた。二度と同じことは繰り返せない、でも今チャレンジしなかったら後悔すると感じた。迷いはあったものの、「サッカーを楽しむこと」「成長」この二つを軸に四年間戦うことを自分なりに覚悟をもって選択した。

このサッカー部には主に公式戦のリーグ戦が3つ存在していて、Aチームが神奈川県リーグ(以下県リーグ)、BチームがサタデーリーグのA、CチームがサタデーリーグのBを戦うことになる。大学サッカーに触れていく中で、高校時代本気で全国を目指していた選手と、自分とでは大きく差がついてしまっていたことを感じ、まずはできることから一つ一つ目の前の事象に集中することを意識した。去年ブログテーマにまでしたパスコン、先輩たちに推奨され続けた筋トレなど、中学レベルだった自分のサッカーレベルが一段一段少しずつではあるが上がっていく感覚はとても楽しく気付けばサタデーリーグAのチャンピオンシップにスタメン出場という形でシーズンを終えていた。「成長」することで「サッカーを楽しむ」ことができた、満足のいくシーズンだった。

 

2022シーズン。

新チームが始動した。新しく専修大学、神奈川大学の2チームが関東サッカーリーグ2部(以下関東2部)から降格してきた。さらに県知事杯では一つ勝てば現関東2部の関東学院大学と当たる。そして県リーグ三位以上で来年から新設される関東三部のプレーオフに挑める。そんな状況でシーズンが始まり、チームは関東昇格のために、守備に重きを置いた5バックという新たな方針となった。このことも相まって、自分はシーズン序盤からAチームでの機会を与えられた。早くも目標としていた関東1部、2部レベルのチームと戦うことができる、またとないチャンスだった。
最初は去年とのプレースピードの違いからミスを連発し、周りのリアクションを気にしながらサッカーをする、中学時代と同じような無力感を覚えた。一緒にAにいた同期には何度も練習後話を聞いてもらったり、愚痴をこぼしたり、一緒に筋トレ、自主練に付き合ってもらったり、精神的にも、サッカー面でも支えてくれた。Aのなかで最も下手だった自分だったが、日々の努力の結果、その中でも球際、切り替え、最後の粘り強さなど主にディフェンス面で戦うことの意識が定着化していき、徐々に自分のプレーの良さが出せるようになった。そうして迎えた最初の公式戦である県知事杯。初戦では自分の途中出場からのアシストもあり勝利を果たし、手ごたえの残るまま関東学院大学戦。結果は0-3。自分はベンチに入ったものの一分の出場もなく、ただ仲間の戦う姿を見ているだけだった。下を向いている暇はなく、すぐさま次のアミノ予選、神奈川大学戦がやってきた。しかし、その前日練習で寝坊、頭が真っ白になった。やってはいけないようなミスを犯した。その雑用期間中に今度は右足外側の骨を骨折。ジョーンズ骨折というもので人生初の手術も経験し全治約半年。絶望しかなかった。自分の入部前の覚悟はこんなものだったのか、と。しかし、時間は待ってくれない。神大と引き分け、専修には善戦しながらも惜敗、あっという間に自分のいないチームは春リーグが終わり、秋リーグが開幕した。自分の絶望感も時間が解決してくれた。あの時切磋琢磨していた仲間が春リーグで活躍している姿は、自分も一緒に戦っていると思わせてくれた。できることをやるしかない、と考え、筋トレ、手術後のリハビリに励んだ。その後チームは秋リーグ苦戦したものの3位で県リーグを終え、参入戦プレーオフ、勝てば創部初の関東参入というところまで来ていた。その一か月前、ついに自分も復帰を果たし、希望はわずかであったものの当然参入戦プレーオフへの出場を目標に据えた。そうして目標としていた2022年10月26日の参入戦プレーオフ、そして、11月6日のサタデーリーグAチャンピオンシップ準決勝、かたや目標としていた舞台、かたや去年出場していた舞台。どちらもベンチ外だった。外からただ応援するだけで2022シーズンを終えた。自分の求めるような「成長」ができず、「苦しい」シーズンだった。
 
このように、自分は今年あった関学、神大、専修、そして参入戦プレーオフの國學院、すべての試合に出場するチャンスがあったにもかかわらず、それを逃した。ケガですべての努力が否定された気がして、一分のチャンスもなかったことが本当に悔しくて。こう考えていた。

しかし、本当にそうなのか。
半年間のケガ期間はいろんなことを考え、客観的に自分を振り返る時間を与えてくれた。
そして2022年10月26日の参入戦プレーオフ当日。応援帯同として現地で見たあの試合。善戦しながらも後半アディショナルタイムで失点し、0-1で敗北。自分は出てないにもかかわらず、これまで出たどの試合よりも悔しさを感じた。なぜ?
そこで一つの答えを自分なりに出した。
「俺は参入戦プレーオフに出場できるレベルだったのか」
仮にケガをせず出場していても、ただの思い出作りになってしまっていたのではないか。
自分はチームに対してあの時点で本当に貢献できるレベルにいたのか。
オンピッチ・オフピッチのすべてにおいて他の要因に逃げずに自分に全ベクトルを向けられていたのか。
ここで振り返った以外の時間、どれだけ自分が無駄にしたのだろうか。
おそらく関東レベルと自分には大きな差がある。自分が思っている以上に。
休まない兎が当たり前にいる中で、亀である自分が死に物狂いで努力を続けなければ、一生目標とするレベルには到達しない。
2022シーズンの過ちを二度と繰り返さないように、少しでもチームに貢献できなかった分を取り返すために、「首脳になること」を選んだ。首脳になるということは、自分でだけでなくチームも関東レベルにする責任がある。自分自身にベクトルを向けながらも、そのベクトルをいい方向で他人にも向けられるように。今はまだまだ力不足であること、そしてここで書いている内容が簡単でないことは重々理解している。言葉だけでなくピッチでそれを体現していくので、期待していてほしい。
最後に、尊敬している71期主将の言葉を借りてこのブログを締めたいと思う。
「参入戦に出場できるレベルになったといえるように」
この二年間で自分のすべてをかけ、それを証明することを誓う。
 
横浜国立大学体育会サッカー部73期首脳 武岡凌也

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