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「カギを握る選手」 3年西浦友教

平素よりお世話になっております。

横浜国立大学都市科学部都市基盤学科3年の西浦友教です。


3回目の部員ブログを書く機会が回ってきて何を書こうか考えているうちに、提出締め切り日当日になってしまいました。決して存在を忘れていたというわけではないということだけ初めに強調しておきたいと思います。


部員ブログ提出の告知が学年ラインで流れてから提出締め切り当日まで一文字も書き進めることはなかったものの、「首脳学年の一人として、どんなブログを書くべきなのか」ということを頭の片隅に置きながら部活に取り組んだこの数週間は、各部員の些細な言動に普段よりも敏感になっていたように感じます。その中で、私が感じた、チーム内で「カギを握る選手」について、考えたことをお伝えできたらなと思います。


結論から言うと、私は、「劣っている選手」が「カギを握る選手」ではないかと感じるようになりました。


一般的にサッカーでカギを握る選手と言えば、キャプテンやエースストライカー、ボランチやディフェンスリーダー、守護神とも評されるキーパーなど、チーム内で秀でている選手が想像され、注目されることがほとんどだと思います。しかし、そういった秀でている選手の活躍と同時にチーム内の劣っている選手が絶好調の働きをしたらどうなるでしょうか。劣っているからこそ、その劣っている選手の調子の良し悪しが、チーム全体の調子の良し悪しに強く影響してくると思います。そして、劣っている選手が絶好調のタイミングこそ、そのチームが完全無欠になるタイミングであり、組織として一段階強くなれる瞬間だと思います。これが、私の考える「劣っている選手」が「カギを握る選手」であるという結論の内容です。


国大サッカー部に話を移せば、よく言われる「達観している部員が多い」という特性上、技術的にはそうでなくても、なんとなくの流れや雰囲気で「劣っている選手」のような立ち位置を取る選手が少なからず存在すると思います。特に、カテゴリーが上がった時、ケガ開けの復帰時、他人のケガで急遽メンバーに入った時などは、そうではないのに無意識に自分が「劣っている選手」であるかのような感覚に陥ることがあるかもしれません。そのような時に、劣っているかもしれない自分の調子を上げることがチームを完全無欠にするための「カギ」になるという意識を持てれば前向きになれるし、主体性という国大サッカー部が大切にしている部分にも結び付くと思います。


ここまで、つらつらと私の考えを文章にさせていただきましたが、当然、納得できる部分できない部分があるとは思います。あまり納得できないのならば、きっとその人は一般的に想像される「秀でている方のカギを握る選手」であると思うので、かっこよく突き進み続けて欲しいです。一方、納得や共感をしてもらえた人は、『「劣っている選手」こそ、組織の「カギを握る選手」である』という私の考えを心の片隅の片隅にでも留めておいてもらえたら嬉しいです。そして、今後何かの拍子に気持ちが下がった時に思い出すことで、その人の気持ちを上向かせる鍵の一本になればいいなと思います。


最後は何か精神論じみた話になってしまいましたが、ここまで読んでくださった人は拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。横浜国立大学体育会サッカー部の首脳学年として活動できる残された数ヶ月を悔いのないように全力で取り組んでいきたいと思います。

今後とも、横浜国立大学体育会サッカー部への応援をよろしくお願いします。

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