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「貝のレモン蒸し」 と 「真のドヤ顔」

朝、いつものジョギングのルートでは、河口にぶつかって、川岸を走ることになる。

その河口では必ずと言っていいほど、5、6人が釣り糸を垂らしている。かれこれ5年以上も同じ光景を眺めてきたのだが、ついぞ魚を釣り上げているのを見たことがない。

5年である。週3〜5回のペースでジョギングに出るので、少なく見積もっても780回通りかかった計算になる。

いくらなんでも100ぺんに1度くらいは現場に居合わせても良さそうなものだが、不思議とぼくの目の前ではぜんぜん釣れていないのである。このちょっと異常とも言える状況からは、3つの仮説が立つ。

1、河口に、ぜんぜん魚がいない。
2、全員、釣り音痴。または魚がスレまくり。
3、ぼくの気配を察知すると魚が遠くへ逃げる。

水が澄んでいるときには日の光を反射する魚体を見ることができ、水面を跳ねる姿を目撃したことがあるので1は除外。

釣り人たちの中には使い込んだ竿に、クーラーボックスまで携えている者もある。全員が釣り音痴であるとは考えにくい。

また、魚がスレまくっているのが原因だとしたら、釣り人たちは釣れないとわかっていながら、こぞって竿を振っていたことになる。これはこれで事態は深刻である。釣り的マゾが集まる河口だ。もはや危険区域と言っていい。でも十中八九、そんなことはないので、2も除外。

となると、なんだ。
ぼくが魚に敬遠されているということか。いったい、ぼくが何をしたというのだ。魚が生理的に嫌う体臭や、電磁波を発しているとでもいうのか。

なんだか根も葉もないウワサで、同僚から避けられている中堅社員のような気分で、少々落ち込む。落ち込みながら視線を上げると、釣り人の竿がぶるぶるとしなっていた。魚だ。

なんだよ。やっぱり釣れるんだよ。
やればできるじゃないか。釣り人よ。

5年越し。待ち望んだ瞬間である。しかし、30mほど離れて見守る。あんまり興味津々だと思われるのも不本意なのだ。丹念にストレッチするふりをしながら横目で凝視していると、ほどなく揚がった。

そのとき。

釣り人は魚が入った網を片手に、こちらに顔を向けた。生き生きとした目元。ふくらむ小鼻。口角が僅かに上がっている。そして明らかにぼくを見ている。

その表情にドヤ顔を見たのだ。

世にはびこる「ネタとして面白い」ドヤ顔ではない。自己肯定感に満たされ、誇らしさと嬉しさがついつい溢れ出てしまった「真のドヤ顔」である。

ぼくは拍手を送って、その場を去った。



さて、与太話もほどほどに。

トップの写真は「貝のレモン蒸し」です。白ワインで蒸しあげた貝に、たっぷりのレモンで爽やかな香りと酸味をまとわせた一皿。

白ワインが無尽蔵に吸い込まれる魔性の味わい。福岡市のエスニック料理店「Mon an」にてお召し上がりいただけます。


今日もお読みいただきまして、
ありがとうございます。

それでは、また明日。

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