見出し画像

魔法は使えても使えなくてもいい

  • こんにちは。
    弟がファンタスティックビーストの最新作を観てきたとのことで、すっかり1話と2話の内容を忘れてしまっていたわたしは、アマゾンプライムでそれらを観ることにした。

  • 以前観た時とは捉え方が違っていることに氣づいた。前回映画館で観たときは、「ハリーポッターの世界の昔の話か!」という視点で、愉しんでいたことを覚えているけど、今回観て感じたことは、魔法の「光と闇」だ。

  • わたしはここの、現実の世界でもわりかし魔法の存在を信じている方だが、魔法の杖で、すいすいと部屋を片付けたりすることは、心の底からしたいかと聞かれたら、うーん、したくない、と答えるだろう。

  • この身体を使って動かして、体験していくことをしたいと、どちらかというとそう感じているから。

  • まあそのことはいったん置いておいて、魔法を使える人は、とても繊細な人が多いのではないか?と感じた。今の世の中の集合無意識のなかにある「繊細」ではなく、辞書に載っている「言葉」としての「繊細」。敏感に何かを感じ取る。たとえば、氣とか、心とか、振動とか、微細で曖昧で、美しくて、柔らかくて脆いもの。

  • そしてその魔法使いの世界にも、二元論が存在していて、光と闇。本当は人々のなかにどちらも存在しているものなのだけれど、もし、わたしは光だけだ!と言い放ってしまったらどうだろう?目の前にでっかい闇が現れてくる氣がしている。だって、ほんとうはどっちも介在しているみたいだし。

  • わたし、小さな頃から、ヒーローが悪役をやっつけるみたいな話、悪役に共感することがとてもとても多かった。でもそれが功を奏し(笑)なかなかネガティブな性格になったけども。

  • だから何が言いたかったかというと、クリーデンスのような、繊細で、小さい頃沢山傷つく経験をしてきてしまった人は、曖昧な「オブスキュラス」に取り憑かれてしまう。それは魂をも乗っ取ってしまって、身体をも蝕んでゆく。元々あった光を信じられないような経験をしてしまい、破壊行動に出る。繊細で傷ついた魂を狙っている、利用しようとしているやつが沢山いるってわけだ。グリンデルバルドは、乗っ取られたクリーデンスを利用しようとする。

  • いや、ここまで書いて、全部茶番劇なんだけどな、とも思ったんだけど。それ言っちゃったら全部笑えてくるんだけれども。でも人間界のあれこれを本当に良く描写されていて(ちょっと誇張されているなと感じるところもあるけど。超大作だから人に夢を見させるためには大げさくらいが丁度いいのかな、と思うことにする。)すごいなあ、と思ったのである。

  • 自分の弱さを見ないふりしていると、グリンデルバルドみたいに、周りを巻き込んででも自分が正しいという安心感を得ようとしてしまうのではないかな、と思った。そんな節が自分にもあったなと思いながら。

  • まだ最新作は観ることはできてないのだけれど、1.2話を観て感じたことは、「わたしは、魔法が使えても使えなくてもいいや。(いや、ちょっとは使ってみたいかもしれない。)ただ、魔法の存在は信じてるし、それでもクソな自分とこれからも共に生きてゆこう。」でした。最新作を観るのが愉しみ!映画を観たあとは抜け殻になるから、体力のあるときに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?