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フロントメモリー

「久しぶり、○○やろ?なんでこんなとこおるん?」
そう軽やかにあくまで爽やかに話しかけてきた男はわたしの元彼氏です。

「なんでこんなとこおるん?」はこちらのセリフでもあって、「なんでこんなところで再会させるん?」と神様を本気で恨みました。

彼はとっても冷静で、たくさんの言葉を知っていて、多様な考えを持っていて、だけど!とっても恥ずかしがり屋で、それがすごく可愛くて、わたしを否定せずに包み込んでくれた、今までで一番好きだった元彼氏です。

あのときのわたしは、わたし1人では到底抱えきれないものが一気に津波のように押し寄せてきて、人間の脆さや暗さや狡さや愚かさが、わたしに絡まってきて、何が何だかわからなくて、誰かに助けを求める気力さえも湧いてこなかった。人間の終わりに着実に近づく闇の洗濯機の中でぐるぐる掻き回されながら、必死にもがいて空気を食べていた三途の川日記。そんな絶望の朝にいつも、ナイキの馬鹿でかいリュックを背負って、姿勢良くロードバイクを漕いで、わたしの前を通り過ぎていく彼の姿が清々しくて、何だか目が離せなかった。

プリントを後ろに回してくる度にしりとりを仕掛けてくる彼に戸惑い、かなり面倒に感じていたわたしは、惰性で全く関係のない単語を返していたが、それに何故だがツボった彼は執拗に話しかけてくるようになり、彼はただの知り合いから、友達に格上げされた。
彼は真顔で冗談を飛ばし、話の内容も嘘か本当かよくわからない掴みどころのない人間だった。その適当さがちょうどよかった。そして、常に気張らない力の抜けた人間だった。そのどこか溢れ出る自信と余裕に色気があった。それにわたしは惹かれていった。

彼が走る姿を見るともなく見る時間が好きだった。噴き出す汗と風を切り裂くように靡く黒髪がわたしをここから連れ出してくれそうな気がしていた。

辛くて苦しくて真っ暗な日常は変わらなかったけれど、そうやって、彼とたくさん話をして、時間を過ごすうちに、自分を全部預けてしまいたいなと思うようになっていた。

ある日、「ここに7時集合で、バイトサボるから絶対来いよ」そんな命令じみたLINEが位置情報と共に送られてきた。そこは桜が綺麗なこぢんまりとした公園だった。彼はいつもの四角いリュックを背負い、ロードバイクを止めてベンチに座っていた。
特に要件はなさそうで、他愛のない、しょうもない話をヘラヘラ笑いながら交わしていた。すると、急に彼が真剣な目をして、「たまに悲しそうな顔するけどさ、毎日息できてる?」と聞いてきた。そんな表情見たことがなかったし、必死に隠して取り繕ってきたものを見透かされたような気がして怖くて、黙って俯いてしまった。そんなわたしを突然、優しく深く抱きしめて、「何があるかは別に聞かんけどさ、俺横におってもいい?」と言ってきた。あの温かさは誰と抱き合っても忘れられない。わたしは、やっと誰かに見つけてもらえた、やっと誰かに寄りかかってもいいんだと安心してしまって、涙を溢してしまったけれど、それでも驚きも引きもせず、ただぎゅっと抱きしめてくれた。そうして、彼はわたしの恋人になった。とっても素敵な告白だった。

付き合ってからの時間は本当に幸せだった。
彼はわたしの暗闇に無理に踏み込んでこないで、ただ見ててくれた。わたしは彼に全てを預けたし、彼もそれを受け止めてくれた。だんだん、わたしは光の方へ向かっているような気がして、この星に縋ることができるようになった。

俵万智が好きだったわたしに
「頑張ろう 頑張れないよ 頑張れない 頑張れなくても いいんじゃない?」という短歌と共に神聖かまってちゃんの『フロントメモリー』を贈ってくれた。わたしの感情に寄り添ってくれて、自分の気持ちは正直に話してくれて、いつだって目を見つめてくれる人だった。彼は自分なりの哲学をしっかりと持っていて、それを横で聞いているのが好きだった。

それなのに、《距離》がわたしたちを隔てた。
あんなにも全てを捧げて、精神的につながり合ったはずのあの濃厚な時間は、ただのなんてことないはずの物理的な《距離》に攫われました。悲しかった。減っていく会話と失われていく温かい雰囲気。段々と離れていく心を繋ぎ止めようと必死になる自分に疲れてしまった。

最後に彼から言われた言葉が忘れられません。

「俺は全部話してたつもりやし、ずっとずっと好きやったけど、そっちは全部話してくれてたん?ずっと好きなんかわからんくて不安なんよ。俺ばっかり話して、俺ばっかりで、なんかずるくない?」

そうやって、彼はやっぱり自分の今の気持ちを吐き出してくれたのに、そのときのわたしはとにかく、わざわざ言わなくても彼は分かってくれていると思っていたのに、伝わっていなかったという事実に落ち込んで、そう思い込んでいた自分を嫌悪して、「それやったら、別れよう」と言ってしまっていた。

いつまでも独りよがりで、言葉に出さなくとも、行動で示さなくとも、わたしの思いは伝わっていると、傲慢でした。言葉に態度に出さないと伝わらないということを知らなかった。後悔しても反省しても、もう遅い。また、自分の気持ちに蓋をして、終わらせてしまった。彼の気持ちを無碍にしてしまった。

そんな終わりを迎えた、元彼氏との再会はかなりこたえます。

彼のあの直毛で硬くて真っ黒な髪は今めかしい茶色いゆるふわパーマになっていた。どうやってあんなに意思を持っていた直毛をふにゃふにゃにすることができたのだろうか。通っている美容院を教えてください。服のテイストがカジュアル系だったのに、モード系に変わっていた。デートの3回に1回は履いてきていたあのお気に入りのカーキのチノパンはどこにいったのですか?いつも背中にこしらえていたリュックはお洒落なサコッシュに変わってしまっていて、荷物が多い男を卒業したんだなあと寂しくなった。

わたしの知っていた彼はもうそこにはいなくて、あれからかなりの時間が流れたんだと実感させられて、言葉でうまく表すことができない複雑な感情になった。

あんな振り方をしておいて、もう戻ることはないのに、何かを期待して、何かを確かめたくて、何かを取り戻したくて、彼の「また飲みに行こうや、色々あったけど、友達としてさ」という言葉に頷いてしまった、わたしは太宰治、人間失格です。

友達でいられなかったから、恋人になったのに、友達に戻れるわけなくない??

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