こゝろ
ある人がある日を境にぱったりと来なくなった。
理由はわからない。
「心の病気です。」と電話一本で来なくなった。
医師からもらった紙切れ一枚で来なくなった。
わたしはひとり残された。
心の病気は誰からも見えない。自分にだって見えないこともある。それは分かっている。
休むことは自分を守ることになる。それも分かっている。無理をしてはいけない。
それでも、わたしは思ってしまう。
ただ残された人のことも考えてほしい、と思ってしまう。
人手不足、なり手がいない、離職率が高い
病む人が多い、時間外労働、定額働かせ放題…
そんな風に声高にメディアを通して叫ぶのなら、助けてください。
もっと現場を知ってください。
発信されればされるほど、なり手が減っているという矛盾に気づかないのですか。
目に見えている数字だけの結果じゃなくて、そこにある本当の現実を、そうなった背景を見てもらえませんか。
自分が誇りに思っている仕事が、周りの人からは「可哀想」だと思われていることが悔しくて悲しいです。
元々ギリギリの数でまわしているにも関わらず、そこから人がどんどん減っていく。
代わりを補充する余裕もない。
そもそも代わりがいない。どうして?
そうなると、残された人たちでその穴を埋めていくしかない。
自分の仕事でさえ、いっぱいいっぱいで、毎日何時に帰れるのかが分からない。
ご褒美にしていたお笑いライブのチケットがただの紙に成り下がるとき、友達からの軽い飲みの誘いに軽く返事ができないとき、せっかくのデートをドタキャンしなきゃならなくなったとき、それに対してご最もな非難のメッセージが送られてくるとき。それはもう限界です。何のために在るのかがわからなくなる。
「笑顔で出勤 笑顔で帰宅」という看板を睨みながら家路につくときの自分が一番醜い。
あの人のことを非難してしまう自分がいるのがたまらなくしんどい、苦しい。でも本当に心の余裕がない。自分のことが心底嫌い。
職場以外では人と会いたくない、話したくもない。
何よりもこの環境が変わる兆しが全く見えないことがたまらなく辛い。こうやって苦虫を噛み砕きながら、一筋の光に縋って先輩たちは働いてきたのだろうか。
声を上げたものだけが守られて、その奥で歯を食いしばっているものたちが無碍に扱われる。
その人たちの思いや安らぎはどこにあるのだろう。
誰に助けを求めたらいいのかわからない。
多分誰も助けてくれない。
だから、自分で立っているしかない。
がんばろうね。今日は綺麗な満月です。
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