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私と大相撲

異例な形での大相撲7月場所、千秋楽まで優勝争いはもつれ、照ノ富士が見事な復活優勝で幕を閉じました。

さて、今回は「私と大相撲」というテーマで書いてみます。
私は、50年以上もの大相撲ファン歴です。
両親大相撲ファンだった事もあり、物心を覚えた頃から、我が家の夕方のTVはNHKの大相撲中継でした。
知らない間に、私も大相撲ファンになり、漢字も読めないうちから大相撲雑誌買ってもらい眺めていたものでした。

私が大相撲を覚えた時の横綱は、大鵬柏戸栃の海佐田の山の4横綱です。

何といっても、私は幼少の頃は、関取の名前と電車の駅名で漢字を覚えたものでした。
やがて、中学受験で日大豊山中学に受験するわけですが、大相撲ファンだった私は、受験前は学校名を「ぶざん」ではなく「ゆたかやま」と読んでいました。(まぁ、大相撲ファンならば、そう読むでしょうね...)

大相撲の話に戻しす。
小学校の2年の時、誕生日のお祝いで、親戚の叔母さんに蔵前国技館へ連れて行ってもらったのが、生で観る大相撲観戦の最初でした。
千秋楽の取組で、その頃の横綱は、大鵬玉の海北の富士。その場所の優勝は北の富士でした。
その時の思い出は、お相撲さんが大きいと感じた事は言うまでもありませんが、国技館のトイレで、当時まだ十両だった輪島(のちの横綱)にすれ違った事と、力士の廻しがカラフルである事(当時は白黒テレビ、廻しの色は黒にしか観えません)が思い出として残っています。

ところで、私が歴代で一番好きだった力士は、横綱の玉の海です。
玉の海が、現役で亡くなった時のショックは今でも忘れられません。

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その後は、貴ノ花(平成時代に人気のあった若貴のお父さん)のファンでした。確か、玉の海の土俵入りの太刀持ち貴ノ花で、貴ノ花は本場所で玉の海に一度も勝てなかった記憶です。昭和50年の春場所優勝決定戦で横綱の北の湖を敗り初優勝した時は大興奮しました。

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それ以来、貴ノ花に由来のある部屋の力士や、母校(日本大学)出身の力士を応援し続けています。
 輪島
 若三杉(のちの若乃花)
 隆の里
 若島津
 貴乃花
 若乃花
 稀勢の里
 遠藤
 貴景勝

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若貴ブームがやや去り、貴乃花の引退間近に、当時の会社の仲間と両国国技館の升席で何十年振りかに本場所を観に行きました。
TVと比較すると、全然迫力が違います。
それ以来、やはり大相撲は生で観戦しなくては…という気持ちになりました。

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その後、本場所は1回、技能審査場所で1回観戦したのみですが、例年、ゴールデンウィークの午前中に行われる横綱審議委員会稽古総見には、始発電車に乗って観に行っています。(今年は残念ながら無かったのですが)

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やはり、落ち着いたら、本場所をもう一度観に行きたいものです。

尚、私のお勧めの席は、二階席の一番前です。(升席は近くで観れますが、狭くて疲れます。)

大相撲は、テレビより、生で観戦する事をお勧めします。

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