ミシュランへの道 やきとりや人生16
ミシュラン受賞後、前年比の倍の売り上げで経営状態は順風満帆だった。経営に長けていたというか、Oさんは事業経営に向いていた。
〇〇大学では経営学を専攻していたわけでもなく、ただただ熱意と努力の結果だった。成功したコツとは?誠意とセンスらしい?
さらにすごいのは、開業以来赤字を出したことがなかった。そしてOさんのライフスタイルも、どこかのセレブ?のように変化していった。
住居も店の繁盛と同時にエスカレートしていった。代々木時代の当初は新宿御苑の見える上層階のマンションだった。それが・・・
お店が西新宿に移転すると同時に、西新宿近所に引っ越した。そこはタワーマンションの上層階でフロントが常駐して、大浴場があって、ジムもあるというお洒落なセレブ専用のようなところだった。
ただ、そこに住居している?出入りする住人達は、夜の商売の連中が多く、ホストやホステスがいて、訳アリが多く住んでいる怪しいタワマンだった。
朝帰りのホストが、何種類もの香水をミックスした臭いをプンプンさせて、エレベーターに乗り込んで来た。乗り合わせた〇さんは、むせかえったこともあるそうだ。
さらにアルコール臭いので倍の異次元の異臭を放っていた。そんな歌舞伎町の夜の商売人が多かった。
Oさんの部屋は、相変わらずの荷物は少なく、必要最小限の物しか持たないという、いつものライフスタイルだった。だから簡単に引っ越しができる。
しかし家具は10万円以上もするという高級家具もあったり、こだわりのライフスタイルは変わらなかった。相変わらず?女性にはまったく興味がなかった!
庶民が憧れるようなタワマンを、1年未満で何度も引っ越しするようなぜいたく三昧していた。この頃の○さんの生活はまさにサクセスストーリーの勝者ようだった。
そんな独身貴族を満喫していた。余裕のよっちゃんだった。
引っ越し好きのOさんは数年経つと、気分転換で同じようなタワマンに引っ越した。税金対策もあるが、新宿という一等地を簡単に引っ越すというゴージャス趣味は、その当時の〇さんは、事業成功した「お金持ち」という印象をみんな持っていた。
有頂天の○さんは、人生の絶好調の頂点だったに違いない?
この時期に、Oさんに連れられては自分とはぜったい無縁な、絶対に行かない高級店によく連れられて、おごってもらった。自分はグルメじゃないしB級グルメだから・・・メニューをみてもさっぱりわからなかった。
注文はOさんに全部お任せして、出てきた料理を食べるだけだった。自分でいうのもなんだが、自分ほどこだわりのない?味覚音痴?な人間はいない。
不味ければ残すがw我慢して全部食べる。一方のOさんはグルメで日本酒が趣味という生粋のグルメだった。
だから、こだわりの焼き鳥と日本酒という○○〇コンセプトで、今までやってこられたのだろう?〇さんの強い信念とコンセプトがなければうまくいかっただろう?
つづく
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