ミシュランへの道 やきとりや人生7

代々木の半地下の店舗に、新規オープンした。ちょっとおしゃれで、隠れ家的なダイニングキッチン焼き鳥と地酒が飲める店「◯◯◯」をオープンした。オープン前には、友人たちを集め開店のシュミレーションをした。


ただ酒と比内鶏の焼き鳥が喰えるので、腹いっぱい食べて飲んだ記憶がある。前の夜勤担当の木村さんは、ここぞとばかりに死ぬほど食って飲んでいた。店内はカウンター席が10、テーブル席が3というこじんまりした店だった。厨房は狭く巨漢の◯さんは、汗だくになりながら、テキパキと狭い厨房を動いていた。


福島出身の焼き長が奮闘していた。以外なことに?場所的によかったのか?続々と新規のお客さんが来た。それもちょっと小金持ちのセレブから企業の重役という顔ぶれだった。そして徐々にお客さん達は確実に定着していった。


その中には、著名人も数多くいた。名前をあげると極楽とんぼの加藤さん(北海道)スマップの香取慎吾さん、めちゃいけの武田真治(北海道)さん、加藤登紀子さんとその主人、ちびまるこちゃんの声優陣たち、吉本興行の今田コウジさん、ルナシーと覚えているだけでも数々の芸能人が〇〇に来店した。


「サインもらえばいいのに」と私が言うと、「そういう三流店なことしたくない・・・」あっそうなんだ?カフェバースタイルの大人の隠れ家的な店で、静かに焼き鳥を食べて、美味い日本酒を飲み、静かなジャズが流れる落ち着いた大人がくつろげる雰囲気をコンセプトに作られた店が、「◯◯◯」だった。


それ以前の焼き鳥屋のイメージと常識を変えた人が、Oさんだった。私はコレを言いたかった。なんでも最初に開拓、発明する人はチャレンジャーだ。それまでの常識を変える勇気と熱意は冒険だからだ。自分のコンセプトが成功するか?しないか?わからない?そこに資金を投入する勇気はなかなかない。口ではエラソーに言うが、現実に実行する人は少ない。


昭和の焼き鳥屋は、安酒を飲んで安い焼き鳥を100円くらいで食べて、せいぜい客単価が1000円から2000円関の山だった。だから薄利多売に走り、なんだかよくわからない外国製の冷凍焼き鳥を解凍して、それを焼いて、濃い調味料でごまかし、それを出していた。それが当たり前の時代だった。焼き鳥は庶民の安い料理と一般的な常識で考えられていた。


そんな時代に、◯さんは焼き鳥のブランド化をしたのだ。あえて輸入焼き鳥を使わず焼き鳥の高級食材、比内鶏に目をつけた。その後の大手居酒屋チェーン店、チェーン焼き鳥屋は〇〇◯を真似して追従することになった。


地酒のこだわり、店内の音楽はジャズ、間接照明にしてくつろげるやや暗めの雰囲気にした。このコンセプトは、以後ヒットし、マネをする店も続々と現れるようになった。◯さんのコンセプトが当たり、連日連夜お客さんは途切れることなく、いつも満席状態だった。客単価は4000円から15000円という高めの設定だったが、場所柄富裕層や一流企業があったおかげで、グルメの舌の肥えた人たちが来店した。


またグルメを唸らせる?比内鶏のメニューの数々は他店にはない斬新な料理法だった。焼き鳥の盛り付けの目新しさも、こだわりとアイデアが生かされた。焼き加減を半生にした焼き鳥に、天然わさびを付けて出す料理は、グルメなお客をうならせた。生の焼き鳥も出して、舌でとろけるようなメニューも大人気だった。自分的には、つくねとヨード卵は最高に合う絶品だった。

つづく


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