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海外留学に意味はあるのだろうか?

最近立て続けにこの質問を見る。はい、か、いいえ、で答えなければならないとしたら、はい、なのだが、その後に但し書きを付け加えたい質問だなとは思う。ということで、さぼっていたNoteを書いてみることにする。

MBA留学に限って考えると、留学するか否かという決断は複雑だ。日本から米国MBAに行く人は、おそらく20代後半から30代半ばの、ミッドキャリアの人が多く、キャリアという面でも、おそらく沢山の選択肢がある中での留学になる。プライベートで大きな転換期を迎えている人も多いと思う。私は、幸運なのか浅はかなのか、キャリア上は余り悩みはなかった(当時勤めていたPEが若手はMBA留学に行かせるという方針で、留学後は元の勤務先に戻る予定だった)ものの、娘が生まれて三か月というタイミングでの留学は結構チャレンジングだった(予防接種のためにエクセルで線表を引いて、渡米先の小児科にも頻繁に日本から連絡を取ったのをよく覚えている)。

数多ある海外留学オプションの中で、MBAに関しては、殊更に就職活動や起業という面が強調されることが多い。しかもMBAを卒業した直後の就職先、という極めて短期的な見方だ。この一面的な捉え方をしてしまうと、COVID-19が猛威を振るい、VISAの状況が不透明であり、景気も悪くなっている中でのMBA留学を悲観的に捉えたくなる向きもあるだろう。実際に、就職活動は(特に米国での)、ここ数年間の売り手市場とは全く勝手が違うものになる可能性が高い。LinkedInでは素晴らしいキャリアを持つ人たちが、会社都合で退職し、次の職を求めるポストで埋まっている。私が今年採用していたポジションにも、思わず唸ってしまうような素晴らしい経歴の持ち主、私が寧ろレポートすべきでは?、と思ってしまうような人が応募してきた ― これは今までには見られなかった傾向である。

また、CourseraやedXといった最近のMOOCのコースは本当によくできているものが多い。私もProjectをやるうえで基礎的な理解が足りていなかったので、Machine Learning/Data Science系のモジュールをedXでとって勉強しているが、実際にCodeを書いて提出するAssignmentがあったり、Projectをやったり、テストはProctored(監督的な人に見られた状態でテストを受ける)だったりで、テクノロジーの進化には驚かされる(COVID-19の影響もあり、個人的にEdTechは注目してみている)。MBAについても、UIUCBoston Uが$25Kくらい(250万円ちょっと)という破格の値段で、OnlineでMBAプログラム(実際にDegreeがでるもの!)を提供している。両校ともランキングはそこまで高くないが、この値段でUSの学校からMBAを取れてしまうのは衝撃的であり、個人的にはEducational Equalityの観点からはとてもよいことだと思っている(ほかにもフランスのHECやオーストラリアのMacquarie Universityがビジネス系の修士号プログラムを出している)。

余談だが、私はおそらくMBA留学に$300K(3,000万円!)くらいは払っている。USトップ校の中では比較的学費抑えめのHaas(なんといっても公立)で、かつ、学校のファミリーHousingに住んでこのお値段である。お高いのは間違いない。(余談の蛇足にはなるが、BerkeleyのファミリーHousingは素晴らしい。広い、綺麗、プレイグラウンドとバーベキュースペースがあり、二つの公園に接している。ベイエリアであのクオリティーで$1.4K/monthは助かった。五年前なので今は値上がりしているかもしれない)

一方で、MBAに行く、というのは短期的な就職活動・キャリアアップのためや、知識を身に着けるだけのものではないと私は思う。ということで、私のような純粋国内培養型サラリーマンがMBAに行った結果としての所感を、キャリアや知識を習得するという以外の観点でつらつらと書いてみたいと思う。相変わらず1/nの経験ではあるが。

(よいところ 1)世界は広い

いきなり夏休みの読書感想文的な感想で大変恐縮なのだが、世界は広い。これは私のように人生の28年間を首都圏で過ごし、しかも中高私立一貫校から東大という、とても偏った人生を過ごしてきた人間にとっては特に大事な気づきだったと思う。出願当時はMBAのエッセイに極めて適当に、"世界を知りたいです"、といった趣旨のことを書いたのだが、実際に留学してみると、これは予想以上に衝撃的だった。アメリカでは、企業の規模とその成長速度は凄まじく、沢山の富を生み出す一方で、私には想像ができなかった負の一面もある。アフリカから来ていた同級生はいかに教育が大切か、機会の平等が如何に難しいか、自身の経験から熱意をもって語っていた。個人のレベルでも、オリンピックに出場した人もいれば、軍の特殊部隊にいた人もいて、兎に角、なんだか自分って大したことないな、自分が今まで必死に戦っていたものってなんなんだろうな、と思えた。

Unlearning、という言葉を最近よく見るのだが、MBAの二年間は、私にとってはとても偏っていた価値観をUnlearningするよい機会だったと思う。そしてそれは広い世界からやってきた優秀で多様な価値観を持つクラスメイトと触れ合えたことが大きい。詰まるところ私は、東洋の一都市からやってきた、ちょっと勉強のできる、変な英語を話す一外国人でしかなかった。MBA後の進路に関する決断が比較的すんなりとできたのも(勿論PEはとても楽しい職場なのでちょっと悩んだけれども)、自分のやりたいことや興味のあることにきちんと向き合えた結果かなと思う。

そしてこういった学びは、"現状だと"Onlineではなかなか難しいのではないか、と思う。ちょっとコーヒーを飲んだり、一緒にランチをしてみたり、そういった流れから話が発展して、相手から色々なことを学ぶことが多かったからだ。MOOCをやればわかるが、基本的には授業に関連するTopicや議論でしか繋がりがないため、こういった極めて緩い会話が自然発生する状況に現在はない。ただ、Zoom飲みなるものが流行る(?)現在、テクノロジーの進歩次第ではこういった状況は変わっていくのかもしれないが。また、極めて言語化は難しいのだが、現地にいかないと分からない感覚もある。私個人の経験になるが、BerkeleyはOaklandという都市と隣接していて、このOaklandを訪れることで色々と肌で感じるものも多かった。

尚、世界は広い、という観点において、ベイエリアという地域性はよいところと悪いところあると思う。ベイエリアには間違いなく超絶優秀でバックグランドが多様な人が集まっている。移民としてアメリカにやってきたシリアルアントレプレナーがいれば、コテコテのアメリカ人でギフテットでヘッジファンドで儲けすぎて30代で半ば引退してエンジェルやってます、みたいな人もいる。そういう点で、こんな世界があるのか、こんな凄い人がいるのか、ということを知ることができる。一方で、多くの人が、ベイエリア的な価値観を圧倒的に是として、あまり疑いなく生きていることも事実であると思う。カリフォルニアの乾燥した空気と相まって、その景色が極めてモノクロに見えることも少なくない。この辺りは好き嫌いが分かれるところかなと思う。

(よいところ 2)サバイバルスキルがつく(少なくとも自信がつく)

といっても火おこしやキャンプが上手くなるという話ではない(実際にBBQやキャンプをしたのでうまくはなったが)。異国の地にて、生活を一から立ち上げる、という意味での能力がつく、或いは、能力がついたという自信がつく。

MBAに留学するような層は、日本にいる時は、オーダーメイドのスーツを着て、夜な夜な六本木や西麻布を闊歩していた人も多いのではなかろうか。そしてレイバンのサングラスでもかけて、Tumiのスーツケースをもってアメリカに意気揚々と降り立ち、生活を立ち上げようとする。ところが、そこでは、日本時代に自分が作り上げたブランドや信用は一切通用しない。銀行口座を作るのも一苦労、クレジットカードはゴールドどころかエントリーレベルのものですら審査を通らない。唯一、自分の通うことになる有名大学の生徒であるという事実と、そこが発行してくれるI-20(留学生が就学することを証明する書類)が頼みの綱だ。車を買おうにも、ローンは通らないので一括払いになる。口座開設の際に銀行からもらったペラペラのチェックでは買えないと言われ、Cashier's checkを持って来いと言われる。スーパーマーケットに行っても何を買えばいいのかよくわからない。マイルやインチ表記は頭に入ってこない。店員に何かを聞いても英語が早くてよくわからない。

勿論、MBA留学生の現地での留学の立ち上げは、おそらく全体としてみればそこまで難易度が高くない部類に入るとは思う。学部留学生と比べても、多少お金がある分、力業でなんとかなる部分も多い。裸一貫で渡米して徒手空拳でビジネスを立ち上げるなど、もっともっと大変な生活の立ち上げをしてきた人が沢山いることは承知しているが、それでも、一からとりあえず異国で生活を立ち上げられた、という経験は大きいと思う。特に私のように(自分で言うなという感じだが自戒の念もこめ)温室育ち気味であった場合、猶更である。ある程度の社会的インフラが存在すれば、異国にいってもなんとかなるだろう、という楽観的な見方をできるようになったのは、人生の選択肢が広がるという意味でよかったなと思う。

(よいところ 3)学外に出会いが沢山ある

1で多少触れたが、実は出会いは学外にも沢山ある。ベイエリアであれば例えば駐在なんかで来ている日本人の方が沢山いる。中にはMBAには絶対にいないであろう、とてもユニークな方もいたりして(失礼を承知で端的に言えば、とてもサラリーマンっぽくない人たち)、色々と勉強になった。また、大学の同級生がStanfordにいたり、高校の同級生がBerkeleyで教鞭をとっていたり、現地で働いていたりして、旧交を温めたりもできた。前職でお世話になった方からも、色々な人を紹介して頂いた。日本人に限らず、シリコンバレーで働くVCや起業家の方と知り合いになる機会も多かった。

こうした普段はあまり繋がらないであろう方々と知り合いになれるのは、とても大きな意味があったと私は思う。例えば、知り合った一人は、90年代にHBSを卒業して某巨大テック企業での社歴が長いアメリカ人の方だったが、彼は"アマゾンはいい会社だが、外部との交流を忘れるな。5年もいれば君の世界はアマゾンだけになる"、といったことをアドバイスしてくれた。そして本当に5年経って、なんと価値のあるアドバイスだったのだろう、と思う。MBAは同世代が多いので、水平方向(同じ年代 - 違う業界経験)の見識は広まるのだが、学外のネットワークを広げることで垂直方向(違う世代 - 似た業界経験や志望)にもそれを伸ばしていける。

こういった学外のネットワークは、おそらくMOOCなどのオンライン学習だけでは"現状"不可能な部分ではなかろうか。現状、と書いたのは、やはりテクノロジーが進化とCOVID-19による急速な行動形態のシフトが起きているからで、例えばFortniteやあつ森などのOnlineゲームの中でコミュニティやイベントが発生している現状を見ていると、オフラインの生活コミュニティをオンラインに移す、という今まで数度失敗してきた試みが始めてChasmを越えるか、という期待もなくはない。

但し...

私は洋の東西を問わず、古典が好きだ(勿論、原文をきちんと読むような教養はないのだが)。自戒の念も込めてよく思い返すのは、方丈記の冒頭部分、"ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず"、である。現代は、鴨長明が生きていた時代よりテクノロジーの進歩が速く、また、2020年現在、アメリカではCOVID-19が急速に人々の生活様式を再定義している。

現状では、私は留学に実際に行く、ということについて大きな意味はあると思う。ただ、"留学に行くことが意味がある"、という状況が本当によいことなのか、というのは、正直議論の余地があると思っている。これだけの大枚をはたいて留学できる人は恵まれている。私も運がよかったと自分で思う。でも、大金を払わなくても、こういった留学で得られるような経験ができる未来がくれば、それはもっとよいことだと思うし、教育機会の平等という観点で素晴らしいことだと思う。願わくば、影響力のある方々がそういった方向に議論が向くよう、力を使って頂ければなと思わなくもない。(し、自分も何ができるか、少しでも考えたいなと思う)

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