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移民として生きることの雑感

シアトルエリアはようやく夏の兆しを見せている。最高気温が30度を超える日が増え、緯度の高いこの街は、夜の9時くらいにようやく日が沈む。行きかう人たちも、心なしか浮かれ気分のように見える。秋と冬が長く、そして雨の多いシアトルエリアに住む人にとって、どんな状況だろうが夏はとても待ち遠しく、そして愛おしいものなのだ。私の好きなこの時期の過ごし方は、近くの湖で子供たちを泳がせ、自分はゆったりと椅子に座って日焼けをするというものだ。今年はマスクをしているので、日焼けのあとが若干変についてしまったが、そんなことを気にするだけ野暮だろう。(余談だが、私の住んでいるエリアはマスクの着用率がとても高い)

そんな絶好の陽気の中、残念なことに、先週は若干もやもやするニュースが多かった。選挙が近いこともあるだろう。4年に一度の大統領選挙は、今後の国の動向を占う重要なイベントだ。アメリカという国は、ちょっと信じられないくらい大統領の権限が強い。そして、日本人としてそれよりも更に驚くのは、各州の知事の権限の強さだ。私が住むワシントン州のJay Inslee知事も、大統領に対して毅然とした態度を取ることで一貫している。大統領と知事がやりあうことも少なくなく、そういったやりとりや大統領のツイートなどを見て、アルコールで飲み下すには少し難しいもやもやを抱えたというところだ。

せっかくの夏、このじめっとした気持ちに成仏してもらうためにも、いつもより重めの話題だが、移民として生きる今の状況や感覚についてごく簡単に書いてみたいと思う。いつもの如く、何かの問題提起というよりは、極めて個人的な体験をベースにした1/nの雑記である。

念のため、私のアメリカ滞在のステータスは、Permanent residency、永住権である。よく言われるところのグリーンカードを持っているという状況であり、名実ともに、アメリカで移民として生きていることになる。ただ、このグリーンカード、私の場合であれば10年ごとに更新が必要だったりで、市民権(日本だと国籍取得者、に近いか)とは大きな差がある。そのあたりがもやもやの原因の一つだったりするわけだが、筆の赴くまま、自分の気持ちをつらつらと書いてみたいと思う。

1. 選挙権がないというのはツラい

私は現状、ただの永住者であり、アメリカ国民になったわけではない。従って、私には連邦レベルの選挙権はない。大統領選で投票することもできない。被選挙権については言わずもがな。ただし、永住権取得後に、アメリカで5年過ごせばNaturalizationという帰化手続きを取ることでアメリカ市民権を取得でき、選挙権を取得することができる。(被選挙権については、確か一部制限があるはずだ)

永住者にも選挙権を与えるべきである、とか、選挙権が人権としてどういう位置づけにあるのか、とか、そういう話をしたいのではない。Oath of allegiance(アメリカに対する忠誠の誓い)もしていないただの永住者に選挙権を与えない、という点についてもよく理解できる。ただ、単純に、今後長い間住むであろう場所で、選挙権がないというのは結構精神的にツラいのだな、といま実感しているだけのことだ。勿論、私の一票で何かが劇的に変わるわけではないだろう。だが、全く何もできないのと、少なくとも自分の意思を一票に託すことができる、というのは、大きな違いがあるように思う。

自分のことだけだったらまだいい。しかし、小さな子供を持つ親として、この国の将来は大きな関心事項だ。子供たちによりよい未来を、という思いを乗せた一票を投じたい、というのは自然な気持ちではなかろうか(異論があることは重々承知である)。

2. 日本国籍を放棄するというのは大きな決断だ

ではアメリカ市民権を取って選挙権を得ればよいではないか、と思う方もいらっしゃると思う。日本は二重国籍を認めないため、これは即ち、日本国籍の放棄、を意味する。また精神論の塊みたいな話になってしまい、おそらく異論をお持ちの方は沢山いると思うのだが、私にとって、日本国籍を捨てるということの精神的なハードルは高い。

私はMBAで留学するまでの28年間を日本という国で過ごしてきた。当時、そこに何かアイデンティティめいたものを持っていたか、と言われると否である。都内の中高一貫校から東大、外資系、というルートを歩んできた私にとって、日本人である、という意識を持つ機会は余りなかった。勿論、在日韓国朝鮮人や在日中国人の友人はそれなりの数いるし、会社でも外国人の方と仕事をする機会は多かった。しかしながら、恥を承知で述べれば、日本人という属性、しかも私と似たバックグラウンドの人間が圧倒的多数という環境の中で、自分のアイデンティティを掘り下げる必要性がなかったのだと思う。おそらく、当時日本国籍とアメリカ国籍どちらを選ぶ?と聞かれれば、想像力に欠如した私の脳みそは、実利のある方、という答え方をしたであろう。

アメリカに来てからは、日本人である、ということを意識することが多くなった。公共機関の手続きで、(任意調査ではあるが)Asian -> Japaneseのところにチェックボックスを入れる機会も多い。ただ、そこにアイデンティティを持っているか、と言われれば、それは微妙なところだったと思う。この時点でも、日本人という属性はただそこに当然にあるものでしかなかったからだ(私は日本人であるということが活きる仕事をしているわけでもない)。ではなぜ、今になって、日本国籍を放棄する、ということのハードルが高いと思うのか。それは、その選択肢が現実的な可能性として、目の前に突き付けられているからだと思う。お恥ずかしい話だが、永住権を取得し、将来的な帰化という選択肢が見えてきたことで、私は初めて大真面目に日本人であることについて考え出したのだと思う。

近い将来、私は帰化ができるようになる。帰化した場合、それは日本国籍を放棄する、ということになる。この現実に向き合ったことで、私は自分の中で無意識に持っていた、日本人であるというアイデンティティに出会うことになった。日本国籍を放棄する、ということは、多少感傷的な書き方をするのであれば、自分の中の一部を捨てることに近いな、と最近思う。もう私は祖国の一部ではなくなってしまうのだ。面倒だなと思いながら在外投票をすることもない。万が一戦争になれば、忠誠を誓った身として、アメリカに貢献しなければならない。尚、二重国籍を認めよ、という趣旨で書いているわけではない点、ご理解頂ければと思う。結局、有事には自分のサイドを決めなければならないのだから。

もっと実利をベースに考えよ、という方もたくさんいると思うが、私は根が生真面目で、結構感傷的な人間なのである。一朝一夕に答えがでる問題ではない。

3. 永住権はアメリカに住み続けることが前提である

これは余り知られていないような気がするのだが、永住権はアメリカに住むことが前提になっている。確か、もし私が一年の半分以上(うろ覚えであるが)をアメリカ国外で過ごした場合、私は永住権を破棄される可能性がある。一応、2年間までアメリカ国外で過ごせる特別な申請ができ、これは確か一回延長が可能なので、通算4年間まではアメリカ国外で過ごせるが、一時的な手当に過ぎない。何が言いたいかというと、永住権保持者にとっては、アメリカで長期的に生活する、ということをベースにして将来設計をする必要があるわけだ。

永住権を取ったのだから当たり前では、と思う方もいるだろう。永住権、というのは文字通り、アメリカに永住する、ということであるので、今更アメリカを出られないことを騒ぐのはお門違いだと言える。至極全うである。

ただ、ここに個人的な人生というドラマを織り込んだ場合、少し違った風に見えてくる人もいるのではなかろうか。例えば、私の世代の人間であれば、老齢の親のことは大きな心配事であろう。いつ何時、日本に一時的に帰って少しでも一緒の時間を過ごしたい、という風に思うような状況が来るかもわからない。そういった時にどうするのだろう。可能性は低いかもしれないが、仮に2年間の海外在住の申請が通らなかった場合、どうすればいいのだろうか。どんなに頑張って日本語を教えても、やはり子供は英語を第一言語として育っていく。はい、日本に帰ります、その後一切そこで住みます、と簡単にはならない事情も、個々人に拠って多々あるのではないかと思う。

4. 子供は移民の子として生きる

だらだらと制度について文句を言っているが、私はアメリカという国が好きである。当たり前だが、好きなので永住権までとって住んでいるわけだ。勿論、日本という国も好きなので、どっちを上げてどっちを下げるということをするつもりはないが、少なくとも現在は日本ではなくてアメリカに住もうと思う程度には、アメリカのことが好きである。

そして、我々のような移民一世には、確固たる文化的な背骨がある。日本人としてのアイデンティティ、という抽象的なレベルにまで昇華するか否かはおいておいて、長い間日本で育った私には、実際的に、日本人としての文化や考え方、というものが染みついている。アメリカやアメリカという国に生きる人、起きる出来事を、日本人として培った文化的なレンズを通して客観的に思考したり、観察することができる。ある意味では、私には確固とした思考の拠り所があるのだ。

これが子供となるとどうなのか私にはわからない。別個の人格をもった人間である子供達のことについて断定的に述べるのは憚られるため、以下に私が以前調べたデータの一端を載せるにとどめたい(引用のフォーマットが無茶苦茶な点、ご容赦願いたい)。子供たちにとって明るい未来であることが一番の願いである。

(US Census) "The Asian population in the United States was 22,861,985 in 2019, representing an increase of 5,185,297 or 29.3% since 2010." (著者注: アメリカ全体の人口は328.2MMである)
 (Pew Research Center) "...she joined the 37% of all recent Asian-American brides who wed a non-Asian groom"

"But on the basis of the evidence so far, this immigrant generation has set a bar of success that will be a challenge for the next generation to surpass. As of now, there is no difference in the share of native- and foreign-born Asian Americans ages 25 and older who have a college degree (49% for each group), and there is only a modest difference in the median annual earnings of full-time workers in each group ($50,000 for the native born; $47,000 for the foreign born). The two groups also have similar shares in poverty and homeownership rates."

(Center for Global Education) A waitress asked: "Where are you from?" I told her my great-grandfather came to work the mines in New Mexico. My grandfather was a tailor in Oakland and my mother was born in Stockton. And the waitress interrupted and without any hesitation said: "So how do you like your new country?" — a Chinese American attorney

Pew Researchは他にも結構色々なデータや分析を載せている。日本のバックグラウンドを持つAsian Americanの比率は、全体の7.5%程度である(中国、フィリピン、インド、ベトナム、韓国に次ぐ6位)。尚、東アジア圏出身の人間からすると、これらの国々は独自のカルチャーをそれぞれもっているため、十把一絡げでAsian Americanと論ずることは如何なものか、と思わなくもない。

5. 私はアメリカについて全然知らない

日本で一般的な教育を受けてきた場合、おそらくアメリカという国の歴史や制度に触れる時間は、特にアメリカのポップカルチャーに触れる時間と比較して、とても限定的なのではないかと思う。例えば、4大文明の起源から始まり、第二次世界大戦後の世界体制までをカバーする世界史の中で、アメリカに振り当てられるセクションは極めて限定的である。勿論、そこでは独立宣言やモンロー主義、といった重要なコンセプトのいくつかと、ヨーロッパの潮流の中でアメリカという国が独立できた背景から、第二次大戦後のブレトン・ウッズや冷戦といった体制で中心的な役割を果たすところまでの一連の流れはカバーされている(少なくとも当時の山川の世界史では)。また、私は大学で"一応"英米法も取ったので、コモン・ロー的な法制度観も、極めて浅いレベルではあるが、若干の知識はある(確か成績は良という平凡なものだった)。が、これらはアメリカという国の持つ複雑な歴史や制度の中でほんの一部でしかない。蛇足だが、中国やローマの歴史に関する本は歴史小説を中心に沢山出版されている(私は宮城谷昌光、塩野七生といった作家の歴史小説が好きである)のに、アメリカに関しては殆ど見ない気がする。

当然、その程度の知識レベルで来ているので、アメリカに暮らしていると、知らないことが沢山ある。例えば、この間亡くなったJohn Lewisという公民権運動のリーダーであり、政治家である人のことは、数年前にDavid Lettermanの"My Next Guest Needs No Introduction"を通してようやく知った。それまで、公民権運動といえばMLKとマルコムXくらいしか知らなかった私の知識的な浅さを示すよい例である。また、アメリカのニュースを読むのだって一苦労だ。渡米当初は、House Majority LeaderやBipartisanといった、おそらく極めて基本的なコンセプトについても全くもって私は知らなかったため、一々調べながら読んでいた(余談だが、アメリカの政治関係のニュースは、日本の党議拘束を前提にした考え方だと、なんで?、となることが多く、とても面白い)。最近であれば、ワシントン州やオレゴン州といったところで、連邦政府との関係が極めて先鋭化している背景を理解するために、連邦と州の関係、そしてそれがどう形成されてきたのか、という点についての理解を深める必要があることを痛感している。

このように、アメリカで初等・中等教育を受けていない私にとって、アメリカは未知の国である。そしてその事実を厳粛に受け止めて、移民として生きていかねばならぬ、とまた思うわけである。勿論、必要以上に恐縮して生きる必要はないと思うのだが、私はこの国について沢山の知らないことがある、という謙虚な態度は持つべきであると私は思っている(そしてその態度が学びの糧となり、人生を豊かにしてくれるとも思っている)。

6. 終わりに

冒頭に述べた通り、これは私の雑感以上のものではない。従って、異論・反論のある方もいると思う。また、私は所詮アメリカ在住期間がまだ一桁年の新米なので、特にアメリカで長らく生活をしていらっしゃる諸先輩方から見ると、"青いな"、という点も多いかなと思う。

人生は直線的ではない。特に成功者でもなく、平凡な人生を送っている私は、Steve JobsのようにConnecting the dotsなどと偉そうなことは言えないが、少なくとも、私は非直線的な人生を楽しむ生き方をしたいと思っている。移民として生きるには大変なことや悔しいことも多々あるし、思うように物事が進まないことだって多い。でも、それもまた人生の楽しみとして考えていきたい。ケセラセラ

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