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言葉に支配される思考

とある実験で、面白いものを目にした。

世の中には、色んな言語がある。その中には、私たちが当たり前に使っている言葉が存在しない言語もある。逆もまた然り。

例えば、英語では手の指と足の指が「finger」「toe」とそれぞれの言葉が存在するが、日本語ではどちらも「指」という同じ言葉で言い表す。

それがどうしたって話ではあるが、この「言葉」の使い方や在り方によって、私たちの思考が影響を受けている可能性がある、というのが脳科学からみた見解である。

具体的にどういうことか。
実験科学を交えながら、考えていきたいと思う。

ピダハン族の言語と思考

マイシ川に、ピダハン族という少数民族がいる。ピダハン族は特有の言語を使っており、その言葉にはある特徴がある。

その一つが、「数」の概念がないということだ。

数の概念がないため、数量を表したいときには「多い」「少ない」という言葉で言い表す。具体的な数量を示す言葉は存在しない。

そんなピダハン族に、ある実験を行う。
ピダハン族の前に、1~10個のモノを並べ、それと同じ数のものを隣りに並べてもらう。
すると、4つを超えたところで、ピダハン族は同じ数量を並べることが困難になり、数が増えれば増えるほど、その差分が大きくなった。

数の概念がないという違いだけで、同じ数のものを並べるという簡単な作業ができなかったのだ。

色を言い表す言葉

色を言い表す言葉は、国によってばらつきがある。例えば、虹は国によって3色だったり5色だったりする。日本では「七色の虹」と呼ばれるように、7色で言い表すことが多い。

とある研究で、色のついた3つの四角の中から、一つだけ違う色をした四角を選ぶ早さを競うという実験を行なった。

すると、濃い青も薄い青も同じ「blue」という言葉で言い表すアメリカ人と、「siniy」「goluboy」と別の言葉で言い表すロシア人で、違う色を選択する時間に明確な差が生まれた。

明確な言葉の違いがあるロシア人の方が、早く違いを見分けることができたのだ。

言葉と思考

実際、人種によって色を見分ける能力に差があるかというと、そのような違いはないと言われている。差が出るのは、どんな言葉を使っているのか。言語によって生まれているものだと予想されている。

つまり、扱う言葉によって私たちは見える世界に多少なりとも違いが生まれており、思考プロセスにも影響を与えているということだ。

そしてそれは、同じ言語を扱う日本人同士でも同様のことが言えるかもしれない。

私たちは同じ言語を扱っているものの、知っている言葉の数は人によって違う。さらに、日々どれだけ詳細な表現をしているか、同じ状況が訪れたときにどう表現するかも人によって違う。

最近は、色んな意味合いを含めた若者言葉が乱行している。
「エモい」「やばい」「うざい」などがその類いだ。

若者言葉ではなくても、美味しいものを食べて「うまい」の一言で終わらすのは、私たちの思考を狭める表現方法なのかもしれない。

言葉が思考に影響を与え、思考が行動に影響を与えるとするのなら、私たちはまず「日々の言葉の扱い方」から気を付ける必要があるだろう。

汎用性の高い言葉は、便利さゆえに思考を鈍らせる諸刃の剣であるかもしれないからだ。

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