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社会への無関心を打破する

「社会の無関心の打破」という理念を掲げて活動している「リディラバ」という団体が、この1ヶ月間毎日無料でzoom配信を行っていた。仕事の関係もあり3回しか参加できなかったのだが、今まで目を向けてこなかった「社会問題」に向き合うきっかけをもらい、とても考えさせられる時間だったので共有しようと思います。

 

リディラバ

僕がこの「リディラバ」のzoom勉強会に心を惹かれたのは恐らく、彼らが向き合う「社会問題」というフレーズに強く関心があったからだと思う。ただ、自分が関心があった内容はより身近なことで、「今の社会のお金の流れ、働き方の仕組みっておかしくないか?」というような観点。リディラバが扱っている問題はもっと広く、ディープで、複雑な内容も多く、自分事にはなかなかなりづらい問題もある。
例としていくつか出すと、DV、教師の働き方、性風俗、フードロスなど。

当事者意識が持ちづらい問題に関しても、「関心をもつ」という入り口の部分にフォーカスし、アプローチする。どうやって関心を持ってもらうか。その「考え方」の部分は、非常に学びがあった。物事を伝えるときのアプローチ方法は、大きく分けて3つあるらしい。


頭、身体、心

アプローチ方法は、「頭、身体、心」の3つ。
「頭」は、論理的に説明するということ。例えば、給食を残す子どもがいたとき、どうやって解決するか。多くの先生は「アフリカには食べられない子どももいるんだよ。」みたいなことを言ってしまう。しかし自分が食べ物を残さず食べたからといって、アフリカの子どもたちの食料不足が解決するわけではないので、「あるんだからいいじゃん!」となってしまう。そうではなく「食べ物を残すことによってどのような問題が生まれるのか」ということを、論理的に、構造的に説明してあげる。そうすることで、「それだったら確かに残さず食べたほうがいいな。」と頭で納得する。

一方「身体」は、体感するということ。給食の例でいえば、給食を作るところ、運ぶところ、献立を考えるところ、もっと遡って野菜を育てるところなど、給食が出来上がるまでを体感させてあげる。そうすることで、「食べ物が目の前にある」というありがたさを身体で感じ、納得する。

「心」は今回の会では触れられなかったが、恐らく共感するということだと思う。例えば、給食のおばちゃんがどういう思いで給食を作っているか。残した食べ物を見てどう思うか。そこに関わる人たちの心を感じることができれば、「残したら給食のおばちゃんがどう思うだろう」と想像できるようになり、残さないようになる。

社会課題もこの3つのどれかでアプローチし、関心を持ってもらう。そして自分と社会問題を考えたとき、「縦」と「横」が存在するという考えも、とても興味深かった。


縦と横

縦は、自分がこのまま齢を重ねたら、いづれ当事者になるかもしれない問題。例えるなら、子育て問題、老人介護問題など。
横は、当事者になりづらい問題。例えば、性風俗の問題など、男性からすれば自分が当事者になることはないだろう。そのような問題は、ある程度「理性」的に解決するしかないのではないか?とあべさんは言う。

社会問題は「みんなの心がどれだけ動くか」が大切だろう。ただ、自分の心がついていかない分野もある。そういったことに、ある程度理性的に判断して、関わりをもつ。その考え方は、確かになぁと思ったし、良い学びだった。


社会問題に向き合うということ

社会問題は、立ち向かう相手が巨大すぎて進んでる感覚が持ちづらい、自分がやっていることに価値を感じづらい、とあべさんはいっていた。アフリカの子どもに自分が寄付したからといって、何が変わるのか、と思ってしまう。だからこそ、自分が役に立っている感覚、力になれている感覚を、どれだけ可視化できるかの大切さを感じた。

様々な社会課題の背景に「コミュニティ」の重要性をあべさんは説いている。形は違えど、僕もコミュニティに興味をもち、自分で創っていきたいと思っているため、勉強になることはたくさんあった。「可視化」をし、価値をどれだけ実感してもらえるか。

もっと生きやすい世の中になるために、自分にできることを、少しずつでも形にしていきたい。

 

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