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「何をするか」に興味のある人が、「みんな」に興味のある人にバトンを渡す

まずは、木下斉さんのこの記事から

>もう少し私達は「みんな」でやること以上に「みんなで『なに』をしているのか」ということを冷静に見る客観的視点が大切だなと思わされます。


「ヒト」に興味がある人と「モノ」に興味がある人がいる。正直なところ、僕は直感的には、これ脳気質レベルの差なんだと思ってる。あがり症が遺伝子由来で、日本人にはあがり症遺伝子が多く、欧米人に少ないみたいなことが、将来的には分るんじゃないかとさえ思っています。エビデンスはないですが。詳しくは、下の記事をご覧ください。


なので、これは「生まれつき変えられない」を前提に、「それぞれを活かしていく」というアプローチが大事なのかなあと思っていたりします。


関心事が、「ヒト」と「モノ」の差、「今度の日曜日、バーベキューしたいけど、誰かバーベキューしたい人来ない?」と、やりたいコンテンツが先に来て人を誘うタイプと、


人を誘うときは「今度の日曜日、暇な人いる?どこかいかない?」と、まず人を誘ってから、「じゃあ、どこいく?海でもいくか」と、行く場所を考えるタイプの差とです。


「結束させるのは苦手だけど、社会に新しいアイデアや知見をもたらして、社会の発展の切っ掛けを作るのは得意」と、「アイデアを出すのは苦手だけど、社会の結束を強めて、社会の発展の実行力を強めるのは得意」という役割分担。


経営者で言うと、前者は長期的な目線でビジネスモデルを構築して独自性で儲けて、後者は既存のビジネスモデルだけど、売上げや店舗数などの分りやすい短中的なKPIを定めて、人の繋がりや実行力で一気にシェアをとって目的達成するような発展の仕方が向いてる。


「社会はこういう風に改善するといいですよ。」
 ↑
(『何』をするかに興味のある人)
「オッケー!要はこれすりゃいいのね!みんな集めてくるわ!」
 ↑
(『誰』とやるかに興味のある人)


というふうになるといい。そんなことを、ソシャゲを例に、経営コンサルタントの倉本圭造さんが述べています。

「環境の変化」を運営さんがルールの変更とか新しい要素の追加とかで発表すると、それを結構インテリなプレイヤーがちゃんと解析したあと、攻略サイトとか動画サイトとかでプレイヤー全体に伝えていったりするじゃないですか。

凄いマニアックなダメージ計算式の細部をちゃんと解析してまとめる人がいたりする。一方でその内容がある程度薄まりつつもリレーされていって、いずれ「本とか読まない、動画しか観ない」層にまでちゃんと浸透する。で、「要するにこの数字ができるだけ減るような方法考えればいいんだろ?任せときなよ」的な単純な発想とヤンキー的なガッツで工夫に参加する人たちも、その輪から排除されない大事な戦力になったりする。

ちゃんと「インテリの世界と現場レベルの世界」が地続きに連動するように持っていければ、スマホゲームにハマる人とか、あとパチプロとかスロプロみたいな人たちにも似た印象を持つんですが、彼らが独特の集中力を使って現場レベルの課題をちゃんと精度高くブラッシュアップしてくれる連携が生まれるんですね。

そういう非常に日本的な連動性を経済的価値として活かしていくための、あたらしい取り組みは、ビジネス的な世界ではすでに見えてきているんですよ。「環境の変化」をインテリがちゃんと分析して、解決策の方向性を示したら、それは動画メディアみたいなのでちゃんと末端まで伝わって、「よし、じゃあこれがこうなるように工夫すりゃいいんだな、やるよ」的なトライが無数に行われる。

長い引用になりましたが、「じゃあ、これがこうなるように工夫すりゃいいんだな」になったときの、「みんなでやりたい人」の人員動員力、そのパワーはもの凄いものがあると思います。

それぞれが、上手く役割分担できるといいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。 私のプロフィールについては、詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.com/ymurai_koji/n/nc5a926632683