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権力批判が「正義→悪」の方ばっかりになってきた気がする

Yahoo!ニュースから

「僕、芸人って、アウトロー、不良だと思ってた。反逆的な匂いがあって、格好いいな、って。でも、今は違う。飲み会や野球チームに参加した方が有利とか、上に求められた通りに振る舞うとか、サラリーマンの方々と一緒ですよ。そこを外していく人が、芸人だと思ってた。ネタで勝負。でも今って、女性と遊ぶのもすぐ怒られるじゃないですか。芸人になって浮気しちゃ駄目って、よく分かんないんですよ。芸人なんかなるもんじゃないよっていわれてたはずなのに、なんか芸人こそまともに、聖人みたいになってる。しょうがないんでしょうけどね」

お笑い芸人ヒロシさんの発言。

一応、芸大生になって、「芸術」というものについても、それなりに考えたりする機会が増えてきました。

そして「芸術」、「芸事」と言った方がいいかもしれませんが、(それぞれの詳しい定義は違うかもしれないけど、そこは初学者としてご容赦を)全てでないにしろ、「政府や権力への批判」というのは、そのメッセージであり、モチベーションの大きな泉源であるのは確かでしょう。

でも、最近、お笑いでも、演劇でも、漫画でも、芸術とかが行う「政府や権力への批判」って、「政府や権力者が倫理的に正しくないときに、倫理的に正しくなりなさいと説教する批判」しか許されなくなってる気がします。

女性差別の撤回とか、弱者の保護とか、不正の追及とか。「あんた達は正しくありません!正しくなってください!」というタイプの批判、「自分は正義で、悪の権力を追求する」タイプの批判ですね。「正義→悪」の方向。もちろん、権力の健全な監視には必要な批判です。

ただ、そうじゃなくて、「お前らの方が正しいのは分ってるけど、ちょっと人生寄り道して堕落したっていいじゃねえか」「お坊ちゃんお嬢ちゃんのいうことは正しくごもっともだけどさ、世の中そればっかじゃねえんだよ」みたいな形の「世の中の正しさ」、「正しくない側」「正しくなれない側」からの反抗とか、批判とか、冷笑とか、茶化しとか、を口に出すことが、だんだん、芸術を含む、どんな形であっても、社会的に許されなくなってきている気がします。

「悪→正義」の方向と言いましょうか。「正義を疑う」とは言わないまでも、「正義になりきれない」ぐらいのところ、正義じゃ無い側から、正義に呼びかける、そんな方向性が、私の狭い観測範囲においてですが、めっきり、見かけることが少なくなったように感じます。

正義の側に立つ力を持った者だけの物になってるというか。正義の側に立てるというのは、実は、それだけで力であって。強者なわけで。

何らかの事情があって、「正義の側に回れない弱者」の立場が、どんどん弱くなっているような、そんな世の中になっているのは気のせいでしょうか。

正しいのは、いいことなのですが。

こんな時、私はある言葉を思い出します。

「その人の人間性は、正義が自分の側にあるときに顕れる」

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