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毎日、3年間、同じ部活である必要はあるのか?部活動縮小に『賛成』します

近年、部活動の縮小が叫ばれています。豊橋市でも小学校の部活の廃止が運動部、文化部含め決定しました。

私は、基本的には『賛成』の立場です。さらに言えば、公立中学校も部活を縮小していくべきと考えています。以下、その理由を書いていきます。

結論的には、毎日、3年間、同じ部活である必要は無い、という立場に立つからです。

ここで書く議論は、基本的には小学校でなく中学校も見据えた『部活』ということにします。

また、部活動は各都道府県市町村の方針や、地域差も大きい議論なので、基本的には、豊橋市、また、私が中高生の頃の状況(土日はほぼ丸一日、朝は毎日6時から練習。帰りは毎日21時まで練習。そこから塾に行くので、塾に飛び込むのが22時、みたいなのがザラでしたから。それが女子であっても)を前提にしがちなバイアスのある議論と捉えていただければ幸いです。

また、現状については

豊橋市教育委員会が定めた「部活動の手引き」をに準拠します。


多様な種目に出会う機会を損なう

部活動は特性として、「1年生の4月に入った部活を3年夏まで続ける」のが前提です。それは、教育としては「諦めないこと、一つのことをやり抜くこと」を目標としているからですが、その結果として、「自分に向いていないスポーツをやりつづけて、もっと自分に向いている可能性に気づかないまま思春期を終えてしまう」リスクがあります。

あるオリンピックの水泳のメダリストの方は、水泳を始めた理由が「リトルリーグが地元になかったから」だそうです。もし、リトルリーグがあったら水泳での成功はありませんでした。そのまま野球をやっていたら、プロレベルになれたでしょうか。

スラムダンクで「諦めたらそこで試合終了だよ」という有名な台詞がありますが、「本来、吹奏楽に才能のある生徒は、さっさとバスケを諦めて試合終了にして、吹奏楽にうつった方がいい」と言うこともありえます。

自分がどの種目に向いているかを4月の1週間ぐらいで決める。これって、就職に似ていますよね。ぶっちゃけ、社会に出たこともなく、右も左も分らないのに、就職する会社を決めて、そこでずっと働くことが前提。

すなわち、『一括採用・終身雇用』の予行演習な訳です。『入社した会社が少し自分のイメージに違った、自分と合わないなと感じても、耐えて頑張って定年まで勤めれば良いことがある』を3年間で模擬的に経験している形です。

しかし、人間の向き不向きはやってみなくては分りません。単一種目に「やる」を絞ってしまうのは、才能と可能性を引き出すという意味では、いかがでしょうか?

これからの社会に求められる能力

そして、世の中、つまり社会で求められる能力が変化しています。人生100年時代を迎え、働き方も多様化し、転職もどんどん広がっていくでしょう。そして、社会は恐ろしいスピードで変化し続けます。

そこで求められる能力は、AIに出来ない人間の多様な能力、創造性というものを発揮し、自分にしか出来ない可能性を広げること、そして、自分の可能性を広げる場所を発見できる能力です。

つまり、今までの社会で求められた『集団、チームの中の1人として、苦しいことでも年単位の長期間耐える能力』よりも、『自分の可能性が発揮できそうな分野、自分にしか出来ない貢献が出来そうな分野を見つけ出して開拓し、自分だけにしか出来ないことを創り上げていく能力』が、これからの社会では求められていると云えます。

その能力を身につけるような部活動の運用は出来ないものでしょうか?

この点については、豊橋市教育委員会の定める部活動の目標

○ 同好の生徒が自主的に集い,顧問の下,個人や集団としての目的や目標をもち,切磋琢磨することを通じて,人間関係の大切さや組織を機能させることの重要さを学ぶことができる活動である。

○ 一つの種目や文化的活動を追求することにより,専門的知識・技能を身に付け,生涯学習・生涯スポーツの基礎を培い,生きがいを見つけることができるような指導・運営に努める。


という目標には、疑問を呈したいと思います。

身体に与える影響

また、単一の種目をやり続けることによって、無理な負荷がかかり、発育に障害がでることもあります。スポーツ肘や疲労骨折などがその典型です。健全な発達という意味でも、バランスの良い運動を行う意味があるでしょう。

春は野球、夏は水泳、秋は陸上、冬はサッカー

のように季節毎に種目を組み替えていくのも、体の発育がまだ途中の小中段階では、1つの方法でしょう。小学校では種目の入れ替えは上手く機能していると思います。ここで、冬に「美術」を入れても良いかもしれません。

種目との出会いが学校次第になる

次に、公立小中学校は種目や指導者との出会いが『校区ガチャ』になってしまいます。「***中学は***部が強豪」というのは、その種目の有力指導者である教員が在籍しているから、教員の指導力に寄るところが大きいでしょう。そして、教員には転勤があります。

一方、なかには、顧問になって初めてその種目に触れるという先生もいらっしゃいます。慣れない種目でも生徒を預かって指導しなければいけない先生の苦労には敬意を表しますが、その苦労は必要な苦労なのかとも思います。

私は、熱心に一つの種目を追求したいという生徒のやる気を否定しません。そして、その種目に適性があり、可能性が開けるのであれば、より高度な指導を受けて、高いレベルを目指して欲しいと思います。

だから、そういう人には、『自分が生まれた校区の中学校に、自分が進学したタイミングで、その種目の有力指導者がいるかどうか』という『ガチャ』に左右されることなく、優秀な指導者と優秀な生徒が出会える体制をつくって欲しいと思います。

楽しみでなく教育にすることのメリットデメリット

さて、そもそも論、『部活』の教育性です。結論から言うと、私は『部活』で得られるような精神面の教育は必要だと思います。

何か一つのことについて突き詰める経験、目標に向かって諦めずに取り組む経験、友達と協力して何かを成し遂げる経験、、、いずれも学力と同じように必要な力です。また、同じ部活の友達との何気ない日常こそ、かけがえのない思い出になったりします。

そして、特にスポーツなどでは「集中する」「ゾーンに入る」という感覚を得るところまで自分を持って行くことは、体で体感しないとできません。私は、小中高の部活ではそこまで行かず、大学生になってから別のサークルで体験しましたが、部活動はそういう経験をする大きなチャンスです。

ですが、教育という側面が強調されると、「楽しむ」ということを伝わらなくしてしまいます。それは、結果として、子供たちの可能性を閉じてはいないでしょうか。

この点については重要な示唆がレアルマドリードのコーチのインタビューに表れています。

「学び」と「楽しむ」。スペインではどちらを念頭に置くことが、レベルアップに繋がるのか聞いてみた。ジュニア年代の育成責任者である同氏は言う。
「レアル・マドリードとしては、後者の方ですね。楽しんでスポーツをした結果に学びがある。子供たちのモチベーションを上げたり、身体的な面でスキルを向上させたりするのも、楽しむということが先に来ます」
 バスケットボールの男子スペイン代表は、世界ランク2位の強豪国。レアル・マドリードは下部組織から選手を育て、NBA選手も輩出している。世界的ビッグクラブのサッカーと同様に子供に競技を教えているが、あくまで同クラブでは「楽しむ」が先行しているという。それはなぜなのか。ジージャ氏は続けた。
「レアル・マドリードは楽しむことを尊重していて、心理学的に楽しんでいる方が子供たちは学ぶことができる。それが心情です。なので、後者の方がレアル・マドリードの育成方針としては近いものがあります」

私は、基本的に、この考え方に賛成です。

まとめ

以上、私なりに論点を書いてきましたが、これらを克服しようとすると、基本的に、現状の部活動は縮小することになると思います。

ここまで書いての私の理想型は、先に紹介したレアルマドリードのインタビューにあります。

「プレーヤーのレベルや、バスケットをする目的によります。クラブチームでもっとスキルを身につけるためにやるのか、教育にフォーカスしてバスケットをやるのか、その人に合わせてチームを選んでいる」とジージャ氏。勝つためではなく、レベルや目的に合わせられるようにチーム数が存在し、それぞれが選べる体制にあるそうだ。

これが、部活でも出来ないかと言うことです。

そして、提案したいのは、「近隣学校同士で協定を結んで、放課後に移動し合ってはどうか」というものです。

全部の中学校が同じように市内大会の勝利を目指し、地区大会、県大会、東海大会、全国大会、を目指す枠組みになり、

『放課後は色んな活動をしたくて、その中の一つとして部活がある』程度の子が、部活に過剰に時間が縛られたり、『この種目で一生懸命集中してガッツリやっていきたい』という子が、自分の通う校区にその種目がなかったり、あるいは、優秀な指導者がたまたま自分の年度でいなかったり、などするよりは

近隣で3校ぐらいの中学校が集まって、「ガチでサッカーやりたい人はA中学校に集合して夜7時ぐらいまでやる。顧問も市内のエキスパートの先生をつけ、外部コーチを招聘する。夜なので帰宅は各家庭へバスを走らせる。」「そこそこに体を鍛える程度にサッカーをやりたい人はB中学校に集合して夕方5時には片付けも済ませて所属中学校に5時半には帰る。顧問もサッカーを教えると言うより安全管理だけ輪番でやる」など、レベルと関わり方に応じた選択肢を用意するようなことは出来ないでしょうか。

これにより、熱心な子は熱心に、ほどほどのこはほどほどなりに、レベルに応じた関わり方が出来るようになります。熱心な子も、ほどほどの子も、全員が1つのチームで同じレベルと内容を強制されるのは、全員にとって望ましくないです。

地域コミュニティや習い事に完全に受け渡すのは、親の所得の問題や、情報入手の問題があります。部活動は親の所得に関わらず、公立中学校に通ってさえいれば、基本的には無料で受けられる貴重な教養教育の場です。この要素は絶対無視しちゃいけない。だから、私は『廃止』ではなく『縮小』という表現を好みます。

また、合同にすることにより、単一の学校では難しかったマイナー種目が部活動として成立する可能性が開けます。例えば、私の中学校には男子のハンドボール部、女子のバスケ部がありませんでしたが、隣の中学校にはありました。その逆のこともあったのだと思います。

中学校の垣根を壊すことで、私の中学校区に生まれた男の子がハンドボールをやることも、女の子がバスケットボールをやることも可能になるわけです。

市内に21中学校が集まれば、人数希望が今のところ少ない「女子のサッカー部や野球部」だってやれる可能性があります。近くの中学校同士でサッカー部を集めれば、どこかの中学校のグラウンドが空く可能性も高まります。あるいは、市の施設やスポーツ公園を使う道も開けます。

あるいは、公立中学では、恐らく全国的に珍しいであろう、『オペラ部』『能・狂言部』なども設置できる可能性だって出てきます。このような体験が公立中学校でも出来ることは、豊橋市の独自教育として売りにもなるのではないでしょうか。

これから、少子化が進み、単一の学校では、チーム種目の維持が難しくなってきます。『難易度別、合同部活動』という可能性を今から探ってみるのも、いかがでしょうか。

分かりきっていることは、『放課後、生徒の移動送迎』の問題です。ここが思いっきりの大問題でボトルネックです。スクールバスの活用など、知恵を絞りたいところですし、予算のかけどころだと思っています。

まとめ

話をまとめます。私の住む豊橋市の場合、部活動の目的は、以下のようになっています。

○ 一つの種目や文化的活動を追求することにより,専門的知識・技能を身に付け,生涯学習・生涯スポーツの基礎を培い,生きがいを見つけることができるような指導・運営に努める。

しかし、先述のように、これからの世の中は『集団、チームの中の1人として、苦しいことでも年単位の長期間耐える能力』より、『自分の可能性が発揮できる場所を、自分の力で探して、その場所に移動する能力』の方が、より重要になると考えます。

もっといえば、私は、学校や部活動というのは『理不尽に耐える精神力を学ぶ場』ではなく『理不尽を変える知恵と勇気を学ぶ場』であって欲しいと思います。

そのため、部活動の目標を

『多種多様な種目にチャレンジして、自分が活躍できる分野を自分で見つけ出す能力を身につける』

へ、変更すべきではないかと。

1種目だけ集中してやりたい子を「専門部」として全体の2割ぐらい(スポーツで身を立てていこうという進路を取る割合)にし、残り8割ぐらいの児童生徒は、出来れば、3年間で4種目ぐらい(4つとも全部文化部、全部運動部はダメにする)経験できるようになるといいのかなと、個人的な感触では思います。

今日の話はここまで。

最後までご覧いただきありがとうございました。 私のプロフィールについては、詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.com/ymurai_koji/n/nc5a926632683