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『何でも自分でやる』は美徳か

さて、気になる記事がありました。

「他人の労働力」を使うのが上手いアメリカ人
アメリカの歴史をひも解くと、黒人を奴隷にしていた時期がありました。自分たちは働かずにほかの人の労働力をうまく使うやり方をします。

これ、サラッと書いてあるけど、実は凄く重たいことを言っています。

白人社会しか見ていない日本


日本人が『欧米では働き方が云々』いってる『欧米』ってのは『白人社会』しか見ていないのでは無いかということです。

エッセンシャルワークの多くを引き受けている『有色人種』の働き方は、その議論では視野に入ってきていない。アメリカでも『働き方改革』の裏でエッセンシャルワークの有色人種にしわ寄せが行ってる可能性もある。実際、今回のコロナ禍、テレワーク出来ない職種についている社会階層で多く発生し、そこにしめる有色人種の割合が高いと言う話もあります。

『自分でやる』が美徳の文化

そして、日本では、意外と組織の上位層やインテリ層でもエッセンシャルワークをやる文化があります(東大卒の官僚が徹夜で国会向けの資料のプリントアウトとホチキス止め200部とかやるのはその典型)。


そもそも、日本は「自分のことは自分でやる」の文化です。小学校からそういう風に教育されています。アメリカでは小学校でも、教室掃除は児童でなく清掃員がやる。日本は、自分の使う教室は自分で管理、だけど。

欧米ホワイトカラーなら、さくっと清掃員雇うところを、日本では、社長が自分で掃除をしたり、身の回りの雑用を自分ですることが、美徳のように言われることも多いですよね。

家庭でも自分の食器は自分で洗うとか、部活でも準備片付けはみんなで率先してやる、とかが躾になっています。時に、準備片付け自体が自己目的化することもあります。小さい頃から、そういう場面で食洗機を買ったり、あるいは、メイドに頼む感覚で育った文化とだと、社会に出て『人を使うスキル』『機会やパソコンにやらせるスキル』に差が出てくるのも当然と思います。

エッセンシャルワーカーが知的労働をしている

逆に、エッセンシャルワークでもマニュアルを超えた高度の判断をする知的労働を求められることがあります。日本で、宿泊や飲食、小売りなどで現場末端のおもてなしの評価が高いのはその表れだと思います。


あと、『社内外の事情になぜかよく精通していて、融通の利く判断がある職場の緩衝材になってる、勤続20年のおばちゃん』とかが、現場の状況に合わせて、マニュアルを超えた高度で柔軟な判断をして、会社が上手く回っていたりします。

つまり、エッセンシャルワークをする人と頭脳労働する人が、日本はアメリカほどには職務分掌が強力に別れているわけではありません。このあたりの風土がそもそも『働き方改革』が日本で難しい原因の一つかもしれません。

家事のしすぎが日本を滅ぼす

『家事のしすぎが日本を滅ぼす』という書籍があります。本書に書かれている問題意識は、

『早起きして弁当を作る』『毎食後に食器を洗う』『部屋はチリ一つ落ちていない部屋を保つ』『毎日献立を変える、、、』それって必要ですか?という問題提起です。

これから、人口が減り、社会全体の労働力が少なくなる、つまり、『日本全体で使える時間の総量』という資源が減る中、その時間資源を『家事』に使ってしまうことは国家全体でみて最適な配分なのか?ということです。

私は、丁寧な暮らしは否定しません。ただ、それは『義務感』でなく『やりたいから』であるべきだと思っています。キャラ弁をつくるのは、『世の中の家事の水準がそうだから、私もそうしなければいけない』という同調圧力に基づくものではなく、『キャラ弁をつくるのが創作意欲を刺激されて楽しいから』という自発意思で行われるべきだと思います。理想論かもしれませんが。

『キャラ弁ぐらいつくれないと、子どもに対して愛情が無い』なんてことはないです。だって、私たちの時代、キャラ弁無かったし、もう少し上なら、弁当箱と塩鮭と梅干しぐらいだったし。それでも、我々の世代、我々の上の世代、育っていますよね。

極論言えば、焼きにおにぎりに味噌塗っとけばごちそうです。焼きにおにぎりだって、別にスーパーの市販のもので良いじゃ無いですか。味噌だって時間があって創作意欲のある人は家で仕込めば良いし、そこまででも、、、ってひとは市販のものを買えばいい。市販品だってメーカーの従業員さんの愛情と工夫が詰まっていますよ。(ここは、何社も種麹通じて取引していますので、確信を持っていいます。)

もうちょっと、日本全体、緩く楽に生きましょう。

まとめ

『働き方改革』って、要は、『自分の仕事をいかにパソコンや機会や他人に押しつけるか改革』『楽をする改革』でもあるわけです。『人にものを頼むスキル』を身につける為には、『自分でやることが美徳』という価値観から脱出する必要があります。

ただ、それによって、『エッセンシャルワーク部分』を、一部の社会階層に押しつけて、かつ、その階層の存在を見なかったことにすることで、『(自分たちは)働き方改革出来てワークライフバランス!』というようなものになるのであれば、

これから、日本での働き方改革やテレワークの浸透は、アメリカのように二極化していく社会を推進することになってしまうのかもと思うところです。

今日の話はここまで。

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