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具体例を出した方が分かりやすい人、例えた方が分かりやすい人

最近、当社ではMBTIというタイプ論を社員研修に導入しています。

細かい理論については専門家ではないので詳述しませんが、上記テキストに出てきた比較として

話を分かりやすくするために「詳細な具体例」を用いた話した方が分かりやすい人と、「全体的な比喩や例え」を用いた方が話しが分かりやすい人がいる、と言う話でした。

私は、比喩や例えを用いた方がわかりやすい側の人間です。

もっといえば、「全体的なイメージをバッと掴めないと理解した気にならない」人と、「具体的でリアルなイメージが思い浮かばないと理解した気にならない」人、ともいえるでしょうか。

具体的な説明方法の差

具体的に説明方法の差を見ていきましょう

例えば、”「醸造における麹の役割」を理解する”と言うときに、「麹というのは要するに酵素を供給する工場の役割です」と比喩で説明した方が分かりやすい人と、

「麹とは、米などの原料のデンプンやタンパク質を、糖やアミノ酸に分解し、アルコールや味や香りの成分になるための物質に変換するための酵素を生産する役割です」と、具体的に詳細をかみ砕いた方が分かりやすい人ですね。

別の例で言えば「法隆寺ってなんですか?」って聴かれたときに、「日本最古の木造建築寺院です」とコンセプトを言えば、「法隆寺のことを分かった」気になれる人と、

上記はウィキペディアの画像ですが、こうやって、実物写真を具体的に出されることによって、理解したということへの満足感、納得感が出る人ですね。

特に、身体的な説明の方がわかりやすいかも知れません。「自分が木になった気分で、足から頭まで一本の棒になったように」と例えで表現されるか、「土踏まずに力を入れて足の親指の付け根でしっかり地面を捉えて、骨盤は前、腰に力入れて背筋真っ直ぐ、肩甲骨を上げることを意識して手を伸ばしてー」と言われるか。

野球なんかでもそうですね、「自分が正月の独楽になったように身体の軸をつかって遠心力で」と全体的な例えイメージをいわれるか、「背筋を伸ばして、腹筋力入れて、、、」と具体的な筋肉の動きを支持される方が良いか。

比喩の方が分かりやすい人、具体例の方が分かりやすい人、あなたはどちらでしょう?

そして、「説明が分かりやすい」という人は、両方を無意識にも意識的にも使っています。その場合、まず、例えを出したあとに、目の前の具体的なことを細かく説明するというスタイルが多いようです。

それぞれの説明を逆の人はどう思っているか

では、それぞれの説明を逆サイドの人はどのように思っているのでしょう?そして、なぜ、逆は分かり難く感じるのでしょう?

私は、それは、情報の処理の仕方の差だと思います。「たとえ話だと分かりやすい人・具体的な説明が苦手な人」は、私自身の脳の動きの感覚としても、「マルチタスクと短期記憶は苦手」というところがあります。

なので、具体的なものはどうしても詳細が多くなりがち。スポーツの事例でいえば、同時に足、腰、腕、頭、と4カ所ぐらいに気を配らないといけません。なかなか、それだけの指示を覚えて同時に捌くというのは厳しく、具体的だと情報量に圧倒されて、なにがなんだかわからなくなる、と言う感覚があります。

そのため、極力絞って、コンセプトで1つにまとめて欲しい(そうすれば覚えることが1つである)ということになります。逆に言えば、コンセプト1つ覚えておけば、あとは応用で、必要なときに判断がつく、と言う感覚でしょうか。

「自分が木になるイメージ」だけ覚えておけば、あとで自分で、「木になるってことは、足はこういう風に力入れなきゃいけないし、腰の位置はこうだな」と適宜の判断がつきます。

それに対して、「たとえ話だと分かり難い・具体的な話だと分かりやすい」の人は、これは、私と逆タイプなので、私の推測ですが、「例えられた概念を、今話している概念に結びつけること」が苦手なのかなと思います。

「木になって」の例えだと、「え、人間って木じゃないじゃん」とか、まず、木と自分の違いの方に意識が取られてしまう感覚があるようです。ビジネスというのは、航海に例えると、、、といわれても、「ビジネスと航海はちがうよね」という風に「違い」に目が行っちゃいがちなのでしょう。

そう、「例え」というのは、いわば「違うものと違うものを同じ物として扱う」行為です。”人間”と”木”という違うものを、「地面から点に真っ直ぐ伸びるもの」として同一化する行為。”麹”と”工場”の例えなら、「物事を生産する場所」として同一化しているわけです。

具体とは「物事が違って見える」こと、例えとは「物事が同じに見える」こと、とも言えるでしょう。

具体抽象のトレーニング・解像度をあげる

ここで2冊の本を紹介します。

細谷功さんの『「具体⇄抽象」トレーニング』と、馬田隆明さんの『解像度を上げる』です。

そのものズバリ、細谷さんは「個別具体的な把握は得意だけど、たとえ話など抽象化することが苦手な人」向けの本、

逆に、馬田さんの本は「ビジネスモデルなど、理論的な概念構築的なことは得意だけど、個別具体例の現場の深い情報を取り上げるのが苦手な人」向けの本です。

先ほどの、『具体とは「物事が違って見える」こと、例えとは「物事が同じに見える」こと』というのは細谷さんの本から出てくる説明です。

面白いのは、2冊とも、広く一般向けに書いてありますが、細谷さんの本は”AIに使われる人間にならないために”と、文中にあるとおり、基本読者想定が「使用される側の立場」を強く意識し、一般労働者の『抽象化力の無さ』を問題視しているように感じますが、馬田さんの方は、起業家や新規事業担当者、経営層の『具体化力』の無さに問題意識があるように感じます。これは読んでみた方の判断に任せますが、概ね、同じ感想を持つと思います。

個人的には、どちらも必要だと思います。

「例え話が分かり難い・具体話が分かりやすい」という感覚に偏ると、物事を一般化したり、構造化して、大きく全体像を捉える、モデルを構築する、共通パターンを発見して対策を打つようなことが苦手になります。A山鉄工所の要望とB川鉄工所の要望は全く異なると思っていたら、「これ、どっちも人員削減が悩みってことだよね、じゃ、同じ提案で行けるんじゃない?」ってことに気づきにくい。

一方、「例え話が分かりやすい・具体話は分かり難い」という感覚だと、物事が概念的で抽象的なものに留まり、現実世界での細かな詰めが疎かになったり、そもそも、現実世界で機能しない『頭でっかち』になる可能性があります。

実際の営業現場で『中小企業の鉄工所』ぐらいのザクっとした捉え方で提案して、個別のA山鉄工所とB川鉄工所の具体的な事情の違いへのセンシティブさに欠けてしまうとでも言えるでしょうか。

どちらも、バランス良く育てていきたいものです。

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