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なんでも「ナントカ道」にせず、人生も企業も多角化しませんか

日本人は、なんでも「ナントカ道」にしてしまいがち

日本人は、なんでも「ナントカ道」にしてしまいがちなところがあると思っています。「柔道」「剣道」「合気道」「茶道」など、単語になっているものから、「野球道」「ラーメン道」などですね。「経営者道」などというのも気合い系のコンサルティングでは見かける表現です。

思い返せば、私がこどもの頃、30年前のラーメンのパブリックイメージは「ニーハオ!***アルよ」と中国語を喋る店主で、店名は「来々軒」が定番でした。ラーメンマンというキャラクターが典型です。

ところが、今、ラーメン屋さんって、「ラーメン道」ですよね。体格のいいお兄さんが腕組んで、黒いTシャツ着て、前掛けして、白いタオルかぶって、トイレに行くと「周りに感謝」みたいな筆文字のポエムが飾ってある、、、このあたりがパブリックイメージではないかと思います。

ラーメン、見事に「道」になりましたよね。

さて、なんでこんな話をしたかというと、

こちらの記事で、地域再生の専門家の木下斉さんが、

日本っていうものはどうしても「あなたの本業は何ですか?」とかすぎに聞くんですね。「あなたは何屋なのか」みたいな。

と、日本人の「本業主義」に疑問を出し、今回のコロナウイルスの影響下においては、

皆が共通して話をしていたのが、平時から多角化をしていたことが今回功を奏したというお話です。特にいずれの会社も飲食部門や観光部門という今回のコロナショックで大打撃を受ける部門を抱えているものの、そうではない別部門も持っていて、それらは影響がそれほどない、むしろ伸びているという状況でトータルでは会社経営的にも問題がない

と、多角経営のメリットを書かれている一方で、

平時には全くもってこういった経営方法は評価をされない

とも述べられています。

なぜ、「日本は本業主義」なのか?

では、なぜ、「日本は本業主義」なのか?という疑問について。

まず、ひとつは、中小企業経営者の間に、「ランチェスター戦略」が大流行りしているというのもあるでしょう。これは、まさに弱者の理論で、「局地戦に持ち込めば小勢力で大敵を蹴散らす」作戦。「局地集中戦略」です。「本業」の幅を狭く取り、その「本業」に全ての肉体的努力も、精神的集中も、時間資源も、金銭も、全部投入すれば、「局地」において敵無しになる、という発想です。

これは、オリンピックでの共産主義国のやり方でもあります。冷戦の頃、一時期、東欧諸国が体操などで人口に対して多くの金メダルを取りました。これも、若いうちから選手を一つの競技に生活含めて集中させ、国家が集中支援をすることで、少数人口の国でも結果を出すことが出来、国威発揚につながる、という発想です。

そして、戦後日本が「資源小国の我が国が欧米に追いつけ追い越せ」をするためには、「本業主義」で、日本全体で、各企業、各産業の役割分担を明瞭にし、各産業、各企業が「本業」に集中する。そして、各企業内においてはある一定のジョブローテが終われば、「営業畑」「総務畑」「技術畑」といった「畑」が出来てくる。

「あなたの企業の本業はこれです。そしてあなたの職務としての本業はこれです。生涯かけて集中して頑張って下さい」と、国家をあげた少数集中特化戦略を展開し、世界第2位の経済大国になった。その戦略を遂行するには、概ね大企業が総合サービスを提供し、そこに連なっていく各中小企業が「本業」に特化する役割分担が国家として最適だった。

そのため、特に中小企業に対し「本業主義」の価値観を広めていく必要があった。その成功体験が、今も尚、日本の本業主義を生んでいるのではないか、と私は考えます。

終身雇用と部活動

また、終身雇用制度の影響も大きいでしょう。20代前半、社会に出たての段階で選んだ企業に生涯勤め続ける。一旦、「本業」と決めたらそれを変えてはいけない。そして、会社と仕事に対してロイヤリティ、忠誠心を高めていくことが社会秩序でもある、という考え方です。

日本の部活動も、これに近いものがあります。「4月の入学直後に選んだ種目を、3年間やり続けることが美徳」というのが日本の部活動です。途中でその種目を辞めること、部活を辞めることは、「あきらめた」とか「根性がない」とか、基本的にはネガティブ評価になりますよね。これ、まさに、終身雇用制度の練習になっています。

終身雇用は、ポテンシャル採用でもあり、長期的に勤めてもらう可能性があるからこそ、社員教育をするインセンティブが企業側にあるわけです。そして、中途退社した社員を「脱落した」とみなして、より、結束を固め、会社への忠誠心を高めていくやり方。

そして、「部活動」に話を戻すと、多くの日本で教育を受けるこどもにとって、最初に出会う「本業主義」が養われる場所が「中高の部活動」にあるとにらんでいます。

「サッカー部の***」「バスケ部の***」と、部活動は中高生にとって大きな所属母体です。そして、「3年間ひたすら打ち込む」ことが美徳とされるのは、甲子園や高校総体の報道をみれば論を待たないでしょう。そして、そのうち込むことが「野球道」「バスケ道」「サッカー道」などに発展していき、会社に入って「本業は何ですか?」になり、「営業道」「ラーメン道」「経営者道」などに繋がっていく土壌になっているように感じるところです。

部活動も多様化を

しかし、一つの種目に集中することで、「ひょっとしたら他のスポーツなら開花したかもしれない才能」が、その才能を試す機会が得られないことにもなります。本当なら水泳でオリンピック出られるような才能の子が、なまじ体格がいいがために野球部に勧誘された結果、水泳の才能を試す機会に恵まれず、野球部でレギュラーになったものの県大会ぐらいで姿を消して、その後は普通の人生。それが悪いとは言わないですが、個人の人生の可能性として、どうでしょうか?

また、1種類のスポーツのみをやる弊害として、「その種目に独特の筋肉、独特の負荷」が、成長段階で繰返しかかることは、スポーツ障害の発生率を高めます。一般の子供たちにとって、スポーツが心身の発達を願うものであるなら、様々な種目でバランス良く発展するやり方こそ、身体の健全な発展に必要だと考えます。

つまりは、日本の部活動も、「春は野球、夏は水泳、秋はサッカー、冬は吹奏楽」というように、様々な種目に取り組んでみる。実際、他国ではシーズンごとにスポーツを変えるというのは当たり前ですし、アメフトと野球、どちらもプロというような選手もいます。バスケの神様マイケルジョーダンがメジャーリーグに挑戦したこともあります。様々な種目にチャレンジできることは、個人の可能性を大きく広げるチャンスです。

まとめ

まとめると、日本の本業一点やり、なんでも「**道」にしてしまうのは、資源小国日本が大国と対抗していくための生き残り戦略として、中小企業はランチェスター戦略を採る必要があったこと、終身雇用制度の維持において「脇目も振らず本業」という意識が有効だったこと、その考えを育む場所として「部活動」が作用しているということを指摘しました。

さて、実のところ、コロナ以前から、VUCAと呼ばれ、先行き不透明な時代ではありました。そのようなとき、「本業主義」という「勝ち筋を固定してそこに全力」というやり方が、果たして企業においても、個人の人生においても、よいことなのでしょうか。


「本業主義」の考え方を緩めてみる良い機会ではないでしょうか?


実際、私も、学問的なバックボーンで言えば、学士で「経済学」「環境情報学」の2つを取り、大学院ではMBA(経営学修士)、そして、今は京都芸術大学にてMFA(芸術学修士)を学んでいます。本業は何だろうと自分でも思います。


とはいうものの、やみくもになんでもやれというわけではなく、「多角化するコツ」もあるのですが、それはまた別の機会に。

【追記】
その別の機会はこちら 


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