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『即戦力新卒』と『大学の役割』

さて、日本電産の永守会長が炎上しています。

内容は記事を読んでいただければと思いますが、要するに『大学は企業での即戦力になることを目指す場所なのか?』ということです。

ここには色んな論点があります。一つ一つ見ていきたいと思います。

戦後一貫して大学卒が増えてきた問題

戦後一貫して、大学卒が増え、今では人口の半分が大学卒の時代となりました。当然、それに応じて『大学卒でなければならない仕事』が増えていかなければなりません。

しかし、日本は低成長時代になり、『大学卒』の能力が活かせる仕事を増やすことが出来なかったということが、まずこの背景にあります。

ちきりんさんの上記の記事が非常に分りやすいですが

 世の中は低成長時代。イノベーションの起こせない日本企業はこの頃から長い低迷期に入り、「高い学歴を必要とする仕事」を増やすことができません。

 ここ 30年、マイクロソフトやグーグルなどシリコンバレーで勃興したIT産業から、ウォールストリートやシティでの投資銀行業界、民間による宇宙開発産業まで、欧米先進国では高度な教育を必要とする仕事が次々と生まれ、増え続けました。

 一方、「ものづくり」にこだわり続け、変化を忌避した日本では、高度な知識を必要とするデジタル産業やバイオ産業、金融業やAI関連産業が発展せず、「博士号を持ってる人を採用しても使える職場がない」という状態に陥ります。
 
 日本が誇る“ものづくり”の現場、「工場」では、働く人にそこまで高い学歴が求められるわけではありません。
 
 大卒で十分どころか「大卒より、できれば真面目に働く高卒をもっと採用したい」と考える企業さえ多いのです。

 こうして日本では「仕事の割合」と「学歴の割合」がバランスしない時代が長く続くことになってしまいました。

と、いうことです。つまり『大卒で無くても良い仕事に対する即戦力』を求めているところに『大卒』が入っていても、能力が噛み合わないという話ですね。

日本企業が求める即戦力とは?

では、日本企業が求める即戦力とはなんでしょうか?永守会長のいわんとするところは、入社直後に具体的な仕事を任せても達成できるスキル(決算書を作れるとか、英語を話せるとか、機械が動かせるとか)というイメージだと思います。

確かに、これらの能力があれば『即戦力』ではあるのでしょう。むしろ、この手の力は大卒より専門学校卒に求める能力という要素もあるのですが、いわゆる『手に職』です。

もう一つの流れとしては『コミュニケーション能力』です。

日本企業では、大卒はゼネラリストとしての役割を期待されることが多いです。長期雇用の元、いくつかの部署をローテーションで回りつつ、入社後に必要なスキルを学んでいく形式。

このような雇用慣行では、具体的な業務遂行能力より、『組織に長期的にコミットメントする力』こそが必要で、それはすなわち『他者と良好な関係を築き上げ長期的に安定した組織になるよう貢献する力』です。そして、概ね、企業が要求する『コミュニケーション能力』とは、これです。上下同僚と良い関係を築き、その関係の中でスキルを教え教えられていく。

とすれば、『即戦力』として最も評価される力は『コミュニケーション能力』や『組織の中で役割を見つけて貢献する力』となります。

これ、大学の講義で身につく能力じゃないのですよ。はっきり言って、この能力だったら、授業より、バイトやサークルやってる方がよほど身につきます。さらに言えば、バイトだったら具体的な業務遂行能力さえも身につきます。コンビニバイトすれば「先入れ先出し」とか実地で分ります。

だから、大学生は勉強しなくなっちゃう。バイトやサークルの方が、日本企業が求める能力が身についちゃうわけですから。

では、そもそも、『大卒の能力』ってなんだろう?

そもそも、大卒の能力って何でしょうか。

それは、知識を体系として学び、世の中を批判的に捉え、先行研究の積み重ねの中から、未来へ向けての課題を設定し、根拠に基づいて科学的に調査し、自分なりの思考と論考を深め、それを指導教官や他の学生の評価を受けてブラッシュアップし、自分の思考を論文という形で体系立てて再整理して記述し、プレゼンテーションしていくというスキルです。

全体を捉えて、課題を発見し、自分のテーマを設定し、調査し、思考を深め、整理し、アウトプットする

どう考えても、社会人として必須スキルなんですよね。そして、この能力を四年間、修士まで行けば六年間(博士はむしろ教える側というのが私の感覚です)、みっちりやってくれる教育機関が『大学』なわけです。

逆に、このスキルが活かせていないとしたら、「会社がスキルを活かせるような仕事を学生に与えていない」か「学生が会社が求めるスキルレベルまで高めていない」かのどちらか、あるいは、おそらくどちらもです。

『大学で身につく能力』を『即戦力能力』に出来なかった日本

長らく、日本は「欧米(特にアメリカ)」に追いつけ追いこせでした。欧米を見て、日本に足りないものがあれば、それをやればいい。そこに社会を体系立てて把握して課題を設定する力は、それほど求められません。

むしろ、『クラスの中で個人が空気を読む力』と同じような役割意識が、『日本社会の中で空気を読む力』が企業にも求められたといえるでしょう。そして、日本の『学級』が目指す方向性を議論しない(教員から与えられる)ように、『社会の望ましい方向性』は、自覚的に議論するものではなかった。

『アメリカは一家に一台クーラーがある、自動車がある、冷蔵庫がある、日本はまだ無い、だから目指そう!』『これからベビーブーマー世代が食べ盛りの青年期に入るぞ、食品生産能力や流通システムがおいついてない、だから、食品メーカーは生産能力を上げて、保存性を高めて、流通業者は一刻でも早くたくさん運べる体制を整えよう!』

みたいな、余りにも考える余地もなく分りやすい『目指す社会』があり、いわゆる『お上』や業界の上位団体なり重鎮が『これが正しい!』と提示したら、みんなでそれを目指すものでした。

課題設定能力、要らないじゃん。

と言う話です。

とすると、『決算書を作れるとか、英語を話せるとか、機械が動かせるとか』の、より上位バージョン、もしくは『長期的にみんなで目標を達成するための、組織維持のコミュニケーション能力』が『大学卒』に求められることだったのです。

スキルの有無が明瞭で、かつ設備などの面から社内で教えることが難しく、大学である程度『手に職』をつけてくれる部門は、大学で『手に職』をつけてもらう。『手に職がつく理系はつぶしがきく』みたいな話も、ここに繋がります。

あるいは、コミュニケーション能力のような大学で教えづらく、かつ、スキルの有無が評価しづらいものは『バイトとサークル』で身につけてもらい、業務スキルは社内で伸ばす。

これが日本の『エコシステム』だったわけです。

そうはいっても、欧米では新卒学生が即戦力になるという話があります。これは、『バイトとサークル』のところが、『自分の専攻分野を活かしたインターン』が挿入されるわけです。

飲食店とかベビーシッターなど、生活費を稼ぐためのバイトは欧米もありますが、インターンは明らかに違い、法律を学ぶ学生が法律事務所、会計を学ぶ学生が企業の財務部など、専攻に近いところで学びます。そこで、現場的なスキルや実務能力を磨きます。

日本で、民法学んでる学生が居酒屋でバイトしたとき、その知識を使うかというと、使わないですよね。酔っ払いの喧嘩の仲裁に民法の知識使ってたら、ちょっと違和感あります。刑法だったら余計に大事になります。

結局、『バイト!サークル!リーダーシップ経験!チームワーク経験!』みたいな話になるのは、ある意味、学生が企業に最適化してきた結果なわけです。

日本社会が出来ること

さて、『日本の大学が即戦力を育ててない問題』についてのここまでの話をまとめると以下のようになります

1:大学生の数の増加に、大卒スキルが必要な仕事の量の増加が追いついてない

2:日本企業が求める『即戦力』の内容が、アカデミックスキルと親和する『課題設定能力』ではなく、『現場的なスキル』か『コミュニケーション能力』だった

3:上記の状態に最適化するため、『手に職』系の学問系統で無かれば、(主に文系)学生は大学で勉強することより、『バイトとサークル』に精を出す方が、企業の求める能力に繋がるため、ますます大学で勉強しなくなった。

ということになります。

となると、この問題を断ち切るためには、発端の『大学生の数の増加に対して、大卒スキルが必要な仕事』の量を増やさなければいけません。

とはいうものの、産業構造の変革は一朝一夕には出来ない。また、例え、そのような雇用が増えていったとしても、そもそも人口の半分が『課題設定能力』側に回るほどに増えるのか?という疑問も当然出ます。

そこで、考えられるのが『大学』の役割を2つに分けてしまう方法。『思考力』を養う大学と、『手に職』を養う大学に分けてしまうということです。

実際、大学に求める役割は流行廃りがあり、『実学・手に職』がもてはやされる時期と、『本質的な思考力』が求められる時期とが、交互に波のようにやってきます。

私が入学する直前のMBAはまさに『ビジネススキルの最高峰』みたいな『実務スキル』イメージでしたが、入学ごろにエンロン事件などがあり、『倫理』とか、フワッとした思考力側に傾きました。その後、GAFAの台頭に繋がってくる時代には、特にビッグデータやAI、IoTなどテクノロジーについて知識やスキルがないとだめ、みたいな話になって、ここ最近はMBAよりMFA、デザイン、感性と人文系スキルにまた戻ってきてる印象が、個人としてはあります。景気の状況や、片一方によると、片一方が手薄になるみたいなことなのだと思います。

つまり、『大学生の数の増加に対して、大卒スキル(=アカデミックスキルに通ずるスキル)が必要な仕事』を増やしつつも、『大学』の役割を2つに分け、大学も学生も自分の立ち位置は2つの役割のどちらか、あるいは、それぞれの要素をどの程度入れているのかについて、自覚的に役割分担していく、ということが必要なのではないでしょうか。

今日の話はここまで。

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