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「金太郎飴小日記」


★ 2月28日 日曜日
風の強かった翌日、
林道脇の道端に
鳥の巣が落ちていた。

枯れた小草を編んだ精巧な造り物だけれど、
要らなくなれば、簡単に捨てられる。

鳥の生き方って、
合理的で、自然そのもの、
清々しい生き方だと思う。

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★ 3月1日 月曜日
朝の5時半過ぎ、
丸い月が、西の空にかかっている。

遠くで鶏鳴。

科学のなかった昔の人は
月を見て
どう思ったのだろう。

案外、知らないものは知らないで、
済ませていたのかもしれない。

我々が今、
宇宙の本体を全く知らないで
ふつうに暮らしているように。

しかし、驚異や不思議の数々を乗り越えた分、
豊かになっているのは
まぎれもない事実。


★ 3月2日 火曜日
瀬戸内の段々畑の春です。
気候温暖な瀬戸内海だから、
サクランボの花も今や満開。

この江田島の地
近くに、世界遺産の宮島があり、
万葉集には、
隣の倉橋島の桂ヶ浜を歌ったものもある。

この江田島も、
かなり古い昔から
人々が住んでいたと思う。

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★ 3月3日 水曜日
気候温暖な場所ばかりが
住み着く条件ではないかもしれない。

雪の多い寒冷地でも、
人は住み着き
日本一の水田地帯もある。

世界でも、極寒の地に生活の根を下ろし
生活している人々がいる。

人間って、不思議で
すごいものだと思う。

多少の困難はあっても
常に何かの可能性を信じながら、
前進している。


★ 3月4日 木曜日
春は、四季の中でも特別な季節

死に絶えたような枯野に
若葉が生え初める時、

また暖かな陽射しがよみがえってくる時、
自ずから、
凍り付いていたものが融けるように
生きる喜びが湧き上がってくる。

復活の春
再生の季節

やはり、桜の花と相まって
春は、何かの始まりの季節。


★ 3月5日 金曜日
今では、流行歌という言葉は聞かなくなったが、
昔懐かしいその歌は、時代を映す鏡
でありながら、
その鏡は曇ってはおらず、
今にも胸に迫り来ることがある。

♫今日も暮れ行く 異国の丘に
友よ辛かろう 切なかろう
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る 春が来る

今、異国の地にて、
呻吟している人もいるかもしれない。
でなくても、今にも聴ける人生の応援歌
だと思う一人です。


★ 3月6日 土曜日
朝、半月になった雨後の月を見ながら、
自分のことを想うと

3歳の頃の自分と
変っていないのではないか。

金太郎飴のように
自分という存在は
どこを切っても同じではないか。

多少の知識や経験が付いたにせよ
こうして何かを見、聞き、考えている
自分という存在自体は、
ちっとも変っていないのではないか。

帰路、
老いた自分の影法師を見ながら、
若い頃の自分と
全然変わっていない自分というものを
思う自分を
思うのです。

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