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みんな違って、みんな同じ

須賀です。

たびたび書いていますが、
多様性って言葉が拡がっています。
だいぶ浸透してきている感じはする。

いろんな人がいるよね、ってこと。

みんな違って、みんないい、
ってことでいいんだと思うんですが、
一方で、それだけではどうか?という
疑問が浮かびつつある今日このごろ。

ケン・ウィルバーの言葉。
「単にわたしたちは互いに異なっていることを確認するだけでは、充分ではない。わたしたちは、さらに一歩進んで、多くの点で、わたしたちは同じであることを見ること、それを始めることが必要である」

多様性という言葉は
良い意味で使われていることが多いようにも思いますが、
一方では排他性や分断にもつながるもの。

同調圧力よりはましだとしても、
私たちのつながりをかえって弱くする側面も
あるのではないかと思います。

多様性はこれからも広く許容されていくとして、
次の段階が、ケン・ウィルバーの言うような、
「多くの点で、私たちは同じであること」を
新たに見出すことなのでしょう。

これもひとつのステップなんだと思う。

まず、みんな、自分が人と違ってもいいんだ、
ということを受け入れ、生きやすさを取り戻す。

そして次に、違うんだけれども、同じ部分も
たくさん持っているよね、ということを見つける。

それは「みんなと一緒でなくてはならない」という
次元の話ではなく、一周まわって再発見すること。

みんなから離れてみて、自分を見つけたあとに、
もう一度、みんなを見つけ直すステップ。


今日は冬至。
それから日付をまたぐと、
すぐにグレートコンジャンクションだそう。

地の時代から風の時代への移り変わりってことで、
「こうあるべき」という固定化した考えから
「流れに乗る」みたいな、ふわふわした感じに
変化していくようです。

自分自身も、社会も、凝り固まったものから
柔軟に変化に対応し、乗っていくことが必要になる。

なので、上に書いたように、社会とのつながりも、
これまでのような固定化したものが徐々に壊れて、
ゆるくつながっていくようになるのかもしれない。

「それって、どんな社会?」
わかりません。

だけど、ひとつ見えることは、
変化に対応できる人が、それこそ風に乗る。

じゃあ、いまから、なにをしていったらいいのか?

僕なりの考えはあります。
ただ、ここから、まださらに長文になりそうなので、
内容はまた数日後に。

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