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『あいの里』が最強な理由~差別化と安心感~


Netflixで絶賛配信中の恋愛バラエティー、『あいの里』を先日観終えました。

いや~評判通りおもしろかったですね。
全18話ありますが、1話30分足らずなので、一気見してしまいました。

ということで、若干遅ればせながらではありますが、今回は『あいの里』の感想、ヒットしている理由を自分なりに考えてみたので、見終わった方を中心にぜひ読んでほしいです。

※若干のネタバレあり





他の恋愛番組との差別化


『あいの里』は、「ラブヴィレッジ」と称した、人里離れた山奥にある一軒の古民家での男女の共同生活を通して、「生涯最後のパートナー」を見つけることを目的とした恋愛リアリティー番組です。

まず前提として、他の恋愛番組と違う点は、年齢制限。
35歳から60歳という人生経験が豊富な男女が集まる点です。

現在もなお日本の恋愛リアリティー番組は数多くありますが、こんなに年齢層の高い番組はなかったのではないでしょうか。
Amebaの「オオカミ」シリーズは10代が中心、『テラスハウス』や『バチェラー』も20代から30代前半が主な参加者です。

「ただただ恋人がほしい!」といったピチピチ感は『あいの里』にはありません。
子持ちのシングルマザーや、バツ2で子供が独り立ちしたから参加した人など、第二の人生を誰とどう過ごすかという、重くもあり、それでいて誰しもが向き合うであろう大事なテーマに触れているのです。

と、文章にすると堅苦しく感じますが、決してそんなことはありません。

めっっっちゃ笑えます。

「恋愛“リアリティー”番組」とも言えますが、『あいの里』に関しては、「恋愛“バラエティー”番組」というニュアンスが近いと思います。

もちろんそれぞれのキャラが立ってるという事もありますし(じょにぃ、ハリウッド、アンチョビ、中さんetc)、「年甲斐もなく何してんねん」というフィルターで観てしまうのが、笑いにつながる要因だと思います。

それと同時に、編集や演出の面で、バラエティー色を意図的に強めている部分もあると思います。

「ドキュメンタリー」と「バラエティー」の配分が絶妙です。
ガチで見せるところは見せて、笑いに見せるところは見せる。

そこが『あいの里』が、ある種敵を作りにくくしているポイントなのかなと思います。
それに近いことは後でまた詳しく書きます。


笑いだけではなく、しっかりと考えさせられる部分もあります。

これは視聴者の年齢にも関係してくるとは思いますが、僕は現在32歳。
もう間もなく『あいの里』の参加基準を満たすわけですが、自分が20代前半の頃は、
「50代、60代でなにが恋愛やねん。もうおじいやん。」
って正直思ってました。

しかし、『あいの里』の参加者は、年齢や立場なんて関係なく、思う存分恋愛を楽しもうとしているのです。
それを見て、僕たち世代は希望を貰えるわけです。

2〜30年前だと、受け入れられ方が違ったと思います。
平均寿命は伸び、価値観もアップデートされた現代。
「人生100年時代」という言葉を前にした時、60歳なんてまだまだこれからなわけです。

これを見た同世代は勿論のこと、下の世代であっても、
「いや、年齢なんて関係ないやん!いつまで経っても、男子と女子やん!」
と、思わずにはいられないのです。


懐古主義による安心感


この番組は、フジテレビ系列放送で、かつて一世風靡した恋愛バラエティー番組、『あいのり』(1999〜2009年放送)と同じスタッフで制作されています。

当時どっぷりハマっていたわけではないですが、そんな僕でも、『あいのり』のルールや、フォーマットはよくよく知っています。

『あいのり』全盛期から約20年。
視聴者世代のどストレートで言うと、今の30代後半から40代後半くらいでしょうか。
この世代からしたら、『あいの里』はどこか安心して見れると思います。

「ラブワゴン」から「ラブヴィレッジ」という舞台の変換、意中の人と共に卒業するというルール、相関図の見せ方、参加者の日記を見せるシーンなどなど、
「ああ!この感じね!」という『あいのり』に通ずる要素が盛りだくさんなわけです。

ましてや、隼平といった、本家『あいのり』に実際参加していたメンバーを出演させるなど、あの頃を懐かしませる仕掛けもいっぱいあります。

違う世代が観ても面白いのはもちろんですが、あの頃、現役バリバリで恋愛していた20代という世代が、家庭を持つなど、社会人として別のフェーズに入った段階で、自分たちと同世代がまた純粋に恋愛模様を繰り広げている姿を見て、心を打たれないわけがないのです。


音楽も全てバックストリート・ボーイズなのもよかったですよね。
『あいのり』が流行った2000年代を過ごした、それぞれのあの頃を思い出させます。


これはめっちゃ個人的な視点ですが、音楽もそうですが、なんというか「ちょうどいいダサさ」が最高ですよね。
参加者のファッションとかの感じも絶妙。
時代が止まってる感が見ていてツボでした。

隼平の三つ編みが気になりすぎましたし、ハリウッドのブーツカット具合も気になりました。

アンチョビの黄色のVネックも気になったなー。
なんかもう全部含めて愛らしかったです。


それにしても『あいのり』のスタッフが手掛ける演出は素晴らしいですね。
というか、めっちゃ悪いですよね。笑
悪くないと出来ないと思います。

「こういうタイプとこういうタイプぶつけたら面白くなるやろ」という化学反応を前提とした人選が抜群ですし、ちょこちょこ起こるイベントもよく考えたらだいぶ悪いですよね。

ブレスレットのくだりとか、絶対誰かが傷つく仕組みになってるもんなー。笑


あくまで、番組として、エンタメとして、俯瞰で見た時にどうしたら面白くなるかという熱意が見られるので、そういう観点からしても最高でした。


『テラスハウス』が炎上した理由


僕自身、恋愛リアリティ番組を全てを網羅しているわけではありませんが、『テラスハウス』に関しては全シリーズ制覇している大ファンでした。

ですが、2019年スタートの東京編を最後に打ち切りになってしまいます。
理由はネットの炎上を発端とした痛ましい事件でした。

ここで改めて、大して炎上していない『あいの里』を引き合いに出して、『テラスハウス』がなぜ炎上しやすかったのかを、僕なりの視点で考えて見ます。


まず一つは、ルールの不明確さです。

ルールに関しては、他の恋愛リアリティ番組にもつきまとう大事なポイントですが、『あいの里』には、「人生最後のパートナーを見つけ、村を一緒に出ることを目指す」という明確なゴールがあります。
「付き合える」「フラれる」があるわけですね。

対して、『テラスハウス』はルールが無さすぎました。
「一つ屋根の下で同世代の男女が共同生活する」ということぐらいしか縛りはなく、ただただありのままの姿を観察しようという作りでした。
実は、「恋人を作ることを目標とする」ということは明確に示されておらず、ましてや家を出ていくタイミングも人それぞれ。

そして、環境の違いもあります。
『あいの里』には、「人里離れた古民家で35歳以上が共同生活」という、誰がどう見ても異常な環境があります。
しかし『テラスハウス』は、ただただ若者の日常を切り取ろうとしすぎました(まあ内装も人間もオシャレではあったけど)。

それはあくまで、『テラスハウス』なりの差別化だったでしょうが、視聴者が自己投影しやすい作りになり過ぎていたと思います。

自然な日常を描こうとしたばかりに、参加者に対して、人間としての“普通”や“常識”を求めすぎてしまった。
だから過剰に感情移入をする人が多かったのだと思います。


次に、演出が可視化出来ないという点です。

『あいの里』は『あいのり』同様、スタッフの存在がちょこちょこ現れます。

普通に家の中に一瞬見切れたりしますし、個別のインタビューでは、やり取りするスタッフの声が聴こえます。

これはもちろん計算によるものだと思われます。
演出がされている——。
つまり、「人の手が入っている」という印象を付けることによって、「これはエンタメであって、ショーなんだ」という感覚を覚えるわけです。
(とか偉そうに言いながらも、おかよの告白のところはちゃんと感動しました。泣きました。リアリティの部分が残されていることの裏付けだと思います)

『テラスハウス』にはそれがありませんでした。
スタッフの姿を徹底的に排除。入居者がカメラ目線になることなんてほぼありません(一人そういうやつがいて話題になった)。

それは当然、先ほども書いた通り、あくまで自然な日常を切り取ることが狙いであり、それこそが『テラスハウス』。
「台本のない共同生活」というコンセプトがあったからこそ、「ええんやな!?ガチなんやな!?そのスタンスで見るで!?」という視聴者をたくさん生んでしまったのです。


最後に思うのは、物議を醸した参加者に女性が多かったという点です。

今回の『あいの里』で、揉め事を起こしたり、「なんやねんこいつw」と思わせた人物を思い返すと、全員男性でした。

じょにいも、ハリウッドも、中さんも、全員おっさんです。

『テラスハウス』にしても、『バチェラー』シリーズにしても、ネットでの誹謗中傷は女性に対してのものが多かったと思います。

「おっさんやから叩かれへんのかよ」と、ここから先はジェンダーの話にもなってきそうですが、少なからずそれはあると思います。

やはり女性に対して、こと恋愛に関しては、「女のくせに」や、「女やったらこうしろ」という既成概念が、男女問わず視聴者側の中に表面化すると思うのです。
あまり難しい話にはしたくないのですが、僕はそう感じました。


『あいの里』には、インフルエンサーがいなかった点も大きいと思います。
『テラスハウス』も『バチェラー』も、恋愛という軸とは別に、「これをきっかけに売れてやろう」という気概を持った参加者がいるのは事実です。
そういう人間に対してのやっかみなどが視聴者の中に芽生えやすかったのかなと。

『あいの里』の参加者で、いろいろと活動している人もいますが、やはりSNSなどを駆使して有名になるという印象は20〜30代の若者にあります。
なので、世間的になんとなく矛が向きにくかったんでしょうね。


おわりに

昔から、「ねるとん」や「未来日記」や「もてもてナインティナイン」など、あらゆる恋愛にまつわるバラエティーが、手を替え品を替え作り続けられてきましたが、こんなに“炎上”というリスクを孕んでいても、今だにその人気は止むことはありません。

それはなぜかというと、やはり「恋愛」というものが、人間にとって普遍なものだからです。
観る者の趣味趣向や、好きなジャンルを問いません。
恋愛が、全ての人間に訴えかけられる、人類の共通項であるという事実が、恋愛バラエティーを最強のコンテンツたらしめているのです。


とまあ、難しいことは考えずに、友達や仲間とああだこうだ言いながら、楽しんでいきたいですね。

『あいの里』の続編が楽しみですし、まもなく『バチェラー』のシーズン5が始まります。

たぶんnote書くと思うので、その時また覗いてくれたらうれしいです。笑


それでは、また!


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