退職して博士課程に進んだお話

地球上の誰かがふと思った
「会社を辞めて博士になったら人生はどうなるだろうか……」

というわけでこのnoteは筆者山下の退職D進の顛末をまとめたものになります.2018年に3年間勤めた会社を辞めて博士課程に進み,2022年に大阪大学のパーマネント助教の席を得ることで決着をみましたのでその経緯をまとめます.私が博士に進む前に何を不安に思い,それをどのように克服したかについて述べるというのが主な内容です.同じように退職D進を考えている方に役立つであろう情報も載せますので,是非ともご参考ください.

どんな人間が本文を書いているのかも重要な情報な気がしますので,最初に私の簡単な経歴を載せておきます.
京大情報学(修士)→某インフラ企業サラリーマン→京大情報学(博士)
という感じです.この文章には恐らく以下のような強いバイアスがかかっています.

  • 筆者が情報学の出身者である

  • なんだかんだ規定の3年で博士号が取得できた

  • 運良くアカデミックの世界で席を確保できた

特に情報学は今人気の分野ですので,別の分野とは就職などに関する状況が全く異なるように思われます.そういった人間の文章だという色眼鏡で読んでいただければ幸いです.

大学院で修士まで取って社会人になったものの,時折「博士取ったらどうなるのかな…」と考えるというのは結構よく聞く話です.本文がそういった方々の参考となりなんらかの決断をする一助になれば幸いです.

そもそもなぜ退職D進することにしたのか

社会人2年目の冬に大学の友人(当時博士2年生)と食事をしていたときのことです.
山下「仕事合わねえええええええええ!虚無!虚無!虚無!時間だけが無為に過ぎていくうううううううううう!!!!!!」
友人「ホワイト企業でヌルヌル生きると決めたのはお前だろ」
山下「ンゴおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
友人「ふむ…では会社辞めてD進すれば良いのでは?」
山下「!?!?……で,でも来年ぐらい結婚とか考えてるし…」
友人「え?どうして迷っているの?俺はお前のために最も合理的な提案をしているつもりだよ?じゃあそれ以外でお前が満足できる道はあるの?ないよね?D進しかお前が救われる道はないんだよ?D進するしかないよね?D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進D進」
山下「アッアッ…」

友人が私の人生を玩具にして楽しみたがっているだけなのは明白でしたが,その提案は合理的で魅力的なものでした.一方で結婚という大きなライフイベントを目の前に控え安定した会社を辞めるわけにもいかず悩んでいました.が,なぜか結婚の予定がなくなってしまったため(不思議!),晴れて退職D進をキメたというのがことの経緯です.

会社が合わないだけなら転職という選択肢もないわけではありませんでしたが,正直あまり考えてませんでした.私は学生の頃ぼんやりと研究者に憧れを抱いていました.しかし修士時代の研究室で自分とはまるでレベルが違う人達と相対し,また指導教官からもお前は才能がないと言われ続けていたため,自分に見切りをつけて就職した経緯があります.(ちなみに私は修士時代に国際学会はおろか日本語の対外発表すら一度もできませんでした.英語で2本論文を書いたのですがね...)

ですが,サラリーマンとして働いて様々な人たちと触れ合う中で「自分でも研究者になれるのではないか」「挑戦してみたい」という気持ちが生まれました.ただ私が当時やっていた仕事はいわゆるプロマネというもので,研究はおろか技術的な話からも程遠いものでした.そのため研究職に就くには遠回りに見えても博士を取ったほうが確率が高いと判断したということです.

ちなみに情報系というとプログラミングを想像する方が多いでしょうが,私は実装はど素人に毛が生えた程度しかできません.私の(修士での)専門は計算量理論やグラフ理論といった基礎理論の分野であり,研究職に就くなら基礎理論が良い(というかそれしかできないしやる気もない)と考えていました.当時の現状でガチガチの基礎理論ができる企業研究職に転職するのは望み薄でしょうから,本当に研究職に就きたいならば博士に進むしか選択肢はありませんでした.

D進に際しての不安

D進すること自体に迷いはありませんでしたが,とは言え不安がなかったわけではありません.具体的には主に次の三つが不安でした.

  • お金の問題

  • 本当に博士が取れるか

  • 博士が取れたとして就職は大丈夫か

退職D進を悩んでいる方は大体このあたりが気になるのではないでしょうか?以下では私がこれらの不安にどう取り組んだかという話と,いくつかのお役立ち情報をお伝えしたいと思います.

お金の問題

学進か奨学金をうまいこと使う

大学の地域やライフスタイルによって大きく異なることですが,私は3年間で大体700万円が必要だと初めに計画を立てました.1年間の生活費が200万円,学費や急な出費で3年間で100万円は出ていくだろうという見込みです(ちなみに一人暮らしです).一方で会社を辞めた時点での貯金は300万円ほどでした.これは退職金や会社で積み立てていたものを全て解約した結果です.つまり少なくとも400万円をどうにかしなければならないということですね.

後述しますが私は修士と博士で研究分野を変えたため,学振は申請しておりません.従って奨学金に頼るしかありませんでした(実家から通える大学を選ぶという案もありましたが).奨学金にも色々ありますが,私は素直に最もポピュラーな日本学生支援機構(JASSO)の奨学金を借りることにしました.JASSOの奨学金には無利子の第一種と有利子の第二種があり,それぞれ最大で月に12万円,13万円借りることができます.第一種を3年間満額で借りたとすると,12×12×3 = 432で必要な額に届きますね.ちなみに第一種を受けるには審査がありますが,扶養に入っておらず自力で学費等を支払う独立生計なら落ちることはまずないと思われます.

ただしこれでは3年で卒業できたとしても貯金ゼロになってしまいます.それでは心もとないため,私は1年間だけ第二種も借りていました.有利子といってもほぼないようなものですしね.3年間満額で借りて余った分を全額投資に回すというテクニックを聞きましたが,それは奨学金の理念に反するのでやめておきましょう.

奨学金免除について

JASSOの第一種奨学金には免除制度があります.実績に応じて全額もしくは半額が免除される制度です.半額にでも引っ掛かれば200万円近くタダでもらえることになりますので,奨学金を借りるなら狙わない手はないですね.

また,平成30年度より博士課程で奨学金を借りている人の45%が半額免除以上を受けられるようになりました.(ソースの新聞記事があったはずなのですが見つからなかったので代わりに横浜国大のページを貼っておきます)

平成30年度より免除者数の割合が45%に拡充され、その増加分である15%は、博士後期課程入学者を対象とする採用時返還免除内定候補者制度の推薦枠として実施されます

https://www.gakuseisupport.ynu.ac.jp/expense/domestic/jasso/repaymentexemption/

この45%という数字ですが,私はかなりポジティブに捉えていました.なぜならば,これは学振取得者を除いた集団での数値だからです.一般に学振,特にDC1を取るような人は修士のうちから国際学会やジャーナルで論文を発表していることが多いため,そういったトップ層の学生の多くは奨学金を借りません.もちろん学振を取っている人が全員優秀というわけではなく,取れなかった人は優秀ではないというわけでもありませんが,現実的にトップ層の多くと免除のために戦わずに済むというのは相対的には有利な状況なはずです.

また,学振(DC2)をもらうまでの繋ぎとして1年だけ借りるという人がいることなども考えれば,恐らく実際にはもう少し条件は緩いでしょう.ちなみに,奨学金の免除申請ができるのは貸与期間の実績だけですので,1年だけ借りていたという人に負けることはあまりないことだと思います.更に現実的に,中退する人や3年で修了できない人もいる(2~3割ほど?)ことを考えれば,45%といってもストレートで博士取得できれば70~80%ぐらいの確率で半額免除は取れるだろう踏んでいたわけです.

なお補足ですが,奨学金免除の枠は大学ごとだそうです.つまり全国の博士全体の中で上位何%に入るのではなく,所属する大学で上位に入れば良いということです.実際には大学ごとに調整されているのでしょうが,博士課程に進む人が少ない大学の方などにとっては有益な情報ではないかと思います.

さらにこれは私が大学教員になってから知ったことですが,大学によっては博士課程への援助を積極的に行なっているようです.もちろん審査がありますが,獲得できれば学振と同程度の金額がもらえるようです.D進を検討されている方は是非ともそれらも検討してみてはいかがでしょうか.

3年間の実績と奨学金免除申請結果

というわけで私の実績と申請結果です.評価基準は大学によって異なり,それぞれ公開されているはずですので,私の実績はあくまで参考程度にしてください.以下の実績で半額免除をいただきました.

  • 3年間で博士論文を書く(これも評価項目でした)

  • 英語ジャーナル(筆頭)2本

  • 国際学会論文(筆頭)2本

  • 国際学会でのinvited talk 1回

  • 査読なし国内研究会で論文賞受賞

  • 学内TA,学外RA

この結果がどうなのかというと,恐らく博士としては最低限+αぐらいです(論文を出す難しさなどは分野によって異なるのであまり偉そうなことを言うと怒られそうですが).京大の基準は大まかに実績:学外活動が7:3ぐらいでしたが,実績の部分では満点に届いていません.満点まではあと英語ジャーナル2本+国際学会を1本ぐらい必要だったので,結構距離がありますね.特許や書籍の執筆も評価対象でしたのでできる方はその辺も狙っても良いかもしれません.

というわけで最低限+αの実績で狙い通り半額免除を勝ち取りましたとさ,というお話です.

TA, RAを活用する

ベタな話ですがTA(ティーチングアシスタント)やRA(リサーチアシスタント)を活用するのも家計の助けになります.TAに関しては私は研究室の留学生の補助とメディアセンターの補助員で月3万円ほどいただいていました.後述しますが博士3年からは外部の研究機関でRAをしました.RAに関してはメリットがたくさんあったのですが,金銭的にもとても大きかったです.私の場合大体学振を受けるのと同じぐらいの月給をいただいていました.京都から東京に引っ越したので引越し代や家賃の増分などありましたが,それらを差っ引いても収支はプラスでした.

実際にかかったお金

生活費を除いてかかった大きなお金を覚えている限り以下に挙げます.

  • 入学金約30万円

  • 授業料0円

  • 社会保険料約40万円(3年間合計)

  • 年金0円

  • 車の修理代約20万円(親の車を擦りました…)

  • パソコン約20万円

  • マットレス約10万円(magniflexのを買いました.めっちゃ良いです)

まず入学金ですが,これは免除されませんでした.かなり基準が厳しいようです.一方授業料ですが,私は独立生計者でしたので3年間で一度も支払わずに済みました.これは本当に助かりました.サンキュー京都大学.
保険料に関してはいくつか注意点があります.会社を辞めた後に会社の社会保険を継続する(最大2年間)か国民健康保険に切り替えるかを選ぶことができます.一つ目の注意点としては,会社で働いている間は社会保険料は会社と労働者で折半になっていますが,会社を辞めた場合自分で全て支払う必要があるということです.つまりあなたがいま会社勤めをされている場合,今ご自身が支払っている社会保険料の2倍を支払う必要があるということです.1年目は社会保険も国民健康保険も支払う金額が変わらなかったため,私は社会保険を選びました.二つ目の注意点ですが,2年目は社会保険と国民健康保険で金額が大きく異なるということです.2年目も社会保険を継続する場合は料金据え置きで(私の場合年間35万円以上)支払うことになりますが,博士1年目の収入が低ければ2年目の国民健康保険は大幅に下がります(私の場合年間で3万円程度でした.その差30万円以上!).会社を辞める際に社会保険を継続した人は2年目に国民健康保険に切り替えるのをお忘れなく.また30歳手前でも学生ならば国民年金の学生納付特例制度が使えますので,こちらも是非活用しましょう.

本当に博士が取れるか

二つ目の懸念事項がこれです.先述のとおり博士課程に進んだ全員が博士を取得できるわけではありません.しかし年齢のこと(進学した年度で29歳,1年浪人しています)も考えると3年で卒業するのは必達目標でした.キャリア的にも金銭的にも1年の遅れは致命傷になりかねないためです.実際のところ1年ぐらい遅れてもキャリア的には問題ないような気がしますが,少なくとも最初から留年を見込む必要はありませんね.具体的には以下のようなことを不安に思っていました.

  • 修士で論文を投稿した経験がない

  • 修士と博士で別の研究分野を選んだ

恥ずかしながら修士時代に学外発表を一度もしたことがありませんでした(英語で論文2本書きはしましたが).修士時代の研究室はスパルタ研究室で,今振り返るとアカデミアンとしての基礎を叩き込まれていたわけですが,客観指標としての対外発表数はゼロでした.また3年間の総合職サラリーマン生活で英語はおろか数学的・技術的な話にもほぼ触れていなかったのでそこも不安でした.

二つ目ですが,私は修士の研究室に戻る気はありませんでした.非常に厳しい(意味深)研究室だったためです.修士の専攻(計算量理論)とサラリーマン時代の業務(セキュリティサーバの運用)を掛け合わせた結果暗号理論が良さそうだ(セキュリティは食いっぱぐれないですし)と考えたわけです.余談ですがこれはかなり無茶なことをしたと思います.大した能力も実績もない人間が(親和性があるとはいえ)研究分野を変えた上で3年で博士を取得するというのは客観的にみてかなり難しいことだと思います.

研究分野を変えるということはつまり指導教官を変えるということです.修士と同じ研究室を選ぶことが前提の方でも,折角の機会ですので別の研究室を考えてみるというのも良いのではないかと思います.

指導教官選び

このように不安を抱えていたわけですが,私は指導教官選びを間違わなければなんとかなると考えていました.より正確には指導教官選びを間違うと3年での博士取得は絶望的になると考えていました.上司との相性でパフォーマンスが劇的に変化することは経験上わかっていましたので,折角の自分で上司を選べる機会を最大限活かそうと考えていました.

博士号について色んな先生方の意見を見るに,博士号というものに対する姿勢が次の二つに大別できるのではないかと思います.

  • 博士号は一人前の研究者の証である

  • 博士号は研究者にとっての運転免許証である

これらの考え方に優劣はないと思いますが,教育方針が大きく異なります.前者は研究テーマの発掘などから全て学生に任せる一方,後者はある程度協力しあって博士取得を目指そう,というものです.専門分野を変えて3年での修了を目指す以上,後者の指導教官を選ばなければその時点で計画が破綻してしまうということです.

ただし当たり前の話ですが,後者の方針の指導教官であってもやるのは自分だというのは忘れてはいけません.博士時代の指導教官からは「我々はあくまで登山ガイドのようなものです.代わりに荷物を持ってあげることもしないしおんぶして山を登ることもしません.ご自身が脚を止めたらそこで登山は終了することは肝に銘じておいてください」ということを言われていましたが,まさしくその通りだと思います.

暗号理論の研究室をいくつかリストアップし研究室見学を予定していましたが,最初に訪問した京大の先生でこの人なら間違いないという確信を得たので他の研究室の訪問はやめて研究室を決めました.今にして思うと少し危ないことをしたと思いますが,私の博士での指導教官は人間的に極めて優れた方でした(付け加えておくと彼は研究者としても超一流です).結果的にこれまでの人生で最高の選択をしたと思っています.人生を賭けた場面で彼のような素晴らしい人に出会えたことは幸運としか言いようがありません.

3年間の計画を立てる

というわけで素晴らしい指導教官に恵まれたわけですが,その上で大切なことは3年間の計画を立てることです.更に大前提としては,卒業要件を把握することが重要です.博士課程はよくマラソンに例えられますが,ゴールを知らずにどうしてマラソンが走れるでしょうか?…と言いつつ先生方に対して情報収集をした結果,そこまで明文化はされていないことがわかりました.大学によって異なるでしょうが,大体「新規の研究結果を三つは載せる」「最低でも1本はジャーナルに通す(トップカンファレンスがないならば2本必要)」というものでした.理系ならどこも似たようなものでしょう.

「先のことなんてわからない」と思うかもしれませんが,粗くても良いので計画を立てることは大切です.ゴールさえわかっているのならば計画を進めながら微調整して帳尻を合わせてしまえば良いわけですから.所謂PDCAサイクルというやつですね.参考までに私の立てた計画と実績を掲載します.

計画
1年目:お勉強に費やす.publicationがなくても気にしない.
2年目:夏までに国際学会を1本通し,冬までにこれをジャーナル化する.
3年目:夏までにもう1本ジャーナルを通し,最後に3本目を国際学会に通す.最悪3本目は投稿中でゴリ押せるはず.

実績
1年目:お勉強.最初の研究テーマについて国内最大の研究会で発表したところなんと論文賞を受賞する.英語のpublicationはなかった.
2年目:4月に先の論文を国際学会に投稿し,無事受理され8月に発表.1月にはこれをジャーナル化し,3月末に更にもう1本をジャーナルに投稿.
3年目:1本目のジャーナルが4月に受理.2本目のジャーナルは8月にリジェクト.1ヶ月死ぬ気で証明のエラーを直し9月に国際学会に投稿,無事受理され11月に発表.3本目のジャーナルを気合いで書き上げ12月に投稿し2月に無事受理.博論の申請時には3本目は投稿中だったが,公聴会は全て受理された状態で迎えらた.

2年目までは計画通りでした.特に1年目はお勉強に費やすと割り切っていたお陰で焦ったり心のバランスを崩すことなく過ごすことができました.落とし穴があったのは3年目です.ただ,何かあってもリカバリできるように準備を進めていたため,2本目のジャーナルがリジェクトされた後に迅速に行動できました.なんとなくで研究を進めていたのではリカバリは難しかったように思います.このようにある程度の計画を立てて準備しておくことで,予定通りいかなくても冷静に対処できるということですね.

というわけで無事に3年で博士を取得できました.生存者バイアスだと言ってしまえばその通りかもしれませんが,少なくとも指導教官選びに成功したことと3年間の計画を立ててそれに可能な限り沿うように行動したことがうまくいった要因だと思います.

研究テーマ選びについて

これは余談ですが,私の研究テーマ選びについても少し言及しておきます.専門用語で言うと私は博士時代から「暗号プリミティブのブラックボックス帰着」という分野の研究をしています.博士時代に初めて会う方にそのことを伝えると決まって「渋い」「男前」「なぜよりによってそれにしたの?」という反応が返ってきました.

入学時に指導教官から何本か論文を渡された中で,私の好きな計算量理論やアルゴリズム論に似ていた論文がそれだったので選びました.指導教官からは「日本でこの分野を研究している人は少ないけれど,できれば必ずどこかで重宝されるしオススメだよ」と言っていただいたのも選んだ理由です.

私のように他分野からやってきた人間が生き残るためにはこのようなニッチ戦略(と言うと怒られそうですが)を採ることも一つの手段なのではないかと思います.現にいまだに初対面の方であっても「あの研究している人は珍しいので実は前から知っていました」と言われることがありますし,研究プロジェクトの中で必要な知見だからということで他大学の先生からお声がけいただいたりもしています.

就職は大丈夫か

よく博士は闇だと言われているのを目にします.これは大別すると「指導教官がヤバい人間である」「博士を取っても仕事がない」「結果が出ない」といったところだと思います.ここで問題にしたいのは二つ目の観点です.

初めに私のカタログスペックで重要なことは私が情報学を学んでいることだろうと言いました.なぜこれが重要なのかというと,情報学博士は現在非常に需要が大きいためです.分野によっては大学の冊子で「博士に進む場合はそれ相応の覚悟をしてください」と書かれているようなところもありますが,情報学はその限りではないように思います.以下はそういった環境にいる人間の知見だということを前提にご覧ください.

アカデミックに絞らなければ(情報学なら)引く手数多

私も最初は不安だったので色んな方に博士の就職はどうなのか聞いて回りました.すると面白いことにほぼ全員が同じようなことを教えてくださいました.それは何かというと

  • 情報学で博士を取って就職先がなかった人は聞いたことがない

  • ただしアカデミックだけに絞るのは危険だからやめた方がいい

というものでした.安直に考えてもエンジニア・コンサル・企業研究職などの行き先があると思います.確かに総合職に就くのは難しいかもしれませんが,そもそも総合職を目指すならば(退職)D進するのは多分戦略的に間違えています(結果的にそうなることはあったとしても,です).ちなみに博士課程を中退して所謂日経大企業の総合職に新卒で入社した人を何人か知っています(農学とか文学の人だったと思います).彼らは退職D進ではないので完全な余談ですが,そういうルートもあるんですね.

確かに年齢を重ねていること自体はデメリットに見えますが,言い換えれば「ある程度の経験を積んでいて」「ある物事に対して深い知見を持つ」人間になれるわけです.見せ方次第でいくらでも有益な人材だと思ってもらえるのではないでしょうか(少なくとも私は自分の不利をどうやって売り込むか考えていました).

一方でアカデミックですが,一本に絞ることは推奨されませんでした.アカデミック就活の難しさについては様々なところで議論されていますので詳しい説明はそちらに譲りますが,やはり安定したポジションを得るのが難しいことに尽きるでしょう.つまり10年ぐらい期限付きのポジションで耐えた挙句,結局期限なしのポジションには就けないということが十分に起こり得るということです.折角博士が取れたとしてそんな不安定な生活に耐えられますか,ということですね.

では私がどうだったかと言うと,基礎理論を研究していたこともあり基本的にアカデミック職に絞って考えていました.博士が取れるかどうかすら定かではないのに,更にリスクを上積みしたということです.正直運が良かっただけで再現性のあることはお伝えできませんが,その中にもその結果に結びついた(と私が考えている)行動がいくつかありますので,それらについてお伝えしたいと思います.

情報の集まる場所へ行く

話は博士2年の冬に遡ります.このときは研究は順調でしたが就職に関しては焦りを覚えていました.なぜならばアカデミック就活で何をすれば良いのか全くわかっていなかったためです.

大学のキャリアセンターを訪れたりもしましたが全くもって役立たずでした.定年した元教授を名乗る老人が出てきて「折角需要のある情報学なのにアカデミックに絞るなんて勿体無い!どうせ大学教員になれる確率なんて低いんだから諦めて一般企業に就職しなさい!」と寝言を吐かすだけでした.心配するのは結構ですがこっちはアポイントメントの段階でアカデミック就活について教えてくれと言っているのですから情報提供ぐらいしてほしいものです.公募サイトであるJREC-INの存在すら教えてくれませんでした.(まあきっと私が当たった人が悪いだけなのでしょう)

というわけで圧倒的な情報不足に陥っていました.このままではジリ貧なのは目に見えていましたので,環境を変えることにしました.情報の集まる場所,つまり東京に行こうと考えたわけです.タイミング良くRAを募集している東京の研究機関があったため応募し,無事採用されたため博士3年からは東京で過ごすことになりました.

応募に際して勿論こちらは審査を受ける立場であり面接等を通過する必要はありますが,ここでも指導教官選び同様に研究所の上司の人柄を見ることは忘れませんでした.人によっては部下が就活することを嫌がるということを聞いていたためですが,これは完全な杞憂でした.杞憂どころか,「ホントにここまでしてもらって良いの?」と思うほどサポートをしていただきました.修士〜社会人時代は上司関係で色々と苦労したのですが,この場面で指導教官・研究所の上司と連続して素晴らしい上長と巡り会えたのは僥倖でした.

さて情報収集の方ですがやはり京都で一人でいた頃に比べると格段に情報量が増えました.色んな方とお話しする機会が増えたほか,どこの大学で公募が出たといった情報にも触れることができました(もちろんJREC-INを見れば分かることですが,周辺情報の質が段違いでした).コロナ禍の中ではありましたが,上司の計らいもあり様々な大学の先生とお会いする機会もいただいたりしました.

そんなわけで情報が増えたわけですが,結果的には博士取得後同じ研究所のポスドクとして過ごすことになりました.上司や研究環境が素晴らしかったのは当然理由のうちですが,3年の夏に2本目のジャーナルがリジェクトされたことで卒業が不透明になり身動きが取れなくなったためです.博士取得が危うい状態で教員に応募する訳にはいかなかったからです.このようにリスクヘッジの観点からも大学以外の組織に籍を置くことは有効でした.

 人を頼る

率直に独力でアカデミック就活を乗り越えることは無謀です.よほど優秀で圧倒的な実績をあげている(従って顔も売れている)ような場合を除き,周囲を頼った方が勝つ確率は何倍も何十倍も高まると思います.では周囲を頼るとは具体的にはどのような行動でしょうか.

まず私は学会などで出会ったほぼ全ての人に一般就職するつもりはなくアカデミックに残るつもりだという話をしました.なぜかというと,こうすることで公募の際に「そういえば山下って人が大学に残りたいって言ってたよ」と伝えてもらえる確率が上がるためです.公募は天から降ってくるわけではなく先生方がこんな人材が欲しいと思って出すものです.その人材像に自分がマッチしていた場合公募レースを有利な立場で進めることができるというわけです.ですので,こうやって自分から売り込みにいくことはとても重要なことです.
実際にこのようなご縁で公募を紹介していただいたことが何回かあります.中には他大学の学生から「ウチの先生がこんな人探してるって言ってました」と教えてもらったこともあります.言うだけ言って何も損をしませんので,自分の状況を積極的に発信することは大切なことだと思います.

公募に応募するということは応募資料を作るということですが,必ず他の人,可能であれば現役の先生に見てもらうことを勧めます.実際に公募を出す立場の人の意見は貴重ですし,逆にそれがないと何を書いて良いのかサッパリわかりません.私も良くしていただいている先生に見ていただいたのですが,結果ほぼ全文書き直しになりました.見ていただかずそのまま出していたかと思うとゾッとします.また,応募先の先生の人となりや研究に対する姿勢,学生との関係性などについても情報収集するのも有益でした.それによって同じ内容であっても伝え方が変わるためです.

結局なぜ採用されたか(は,よくわからない)

そんなこんなで1年間のポスドクを経て無事阪大のパーマネント職に就くことができました.10年ぐらいは任期付きのポジションで耐えて40歳ぐらいでパーマネントに就ければ良いなあ,と思っていましたのでポスドク1年でパーマネントに採用されるのは望外の出来事です.
なぜ採用されたかは大変申し訳ないですが私にもよくわかりません.応募した段階では博士の業績から1本国際学会が増えただけですし,資金獲得業績もありませんでした.客観的なデータだけを見ると私より優れた業績のポスドクの方はごまんといるように思われます.たまたまキャリアの早い段階でとても良い条件の公募が出て,たまたま私の専門と募集要項がマッチしていた,ということだと思います.

ただ一つ気をつけていたのは,事務作業だろうがなんだろうが振られた仕事は真面目にこなすことです.より正しくは上司(大学の指導教員,ポスドクの上長)に「山下は真面目に仕事をする」と思ってもらえるように努めていました.大前提として,教員に限らず採用活動では人柄を見られます.ましてや教員は研究室という狭いコミュニティに長い間留まるほか,学生の相手もするため人柄は非常に重要です.場合によっては研究能力や実績よりも重要視されます.

では人柄はどのように見られるのでしょうか?面接の場で判断されることもあるでしょうが,推薦状を書いた人に確認するのが一般的だと思います(私は採用活動したことがありませんのであくまで予想です).推薦していただくということは少なからずその人のメンツをかけることを意味します。つまり「この人は推薦したくないな」と内心思われていた場合,裏でこっそりとこの人は難があると伝えられたり,推薦状の分量が極端に少なくなってしまうなど,不利な状況になってしまうでしょう(あくまで私がそう思うというだけですが).もちろん一般論として仕事は頑張るべきですし,周囲とは協力的であるべきですが,推薦をお願いするであろう人からの信頼は絶対に失わないように立ち回っていました.

あとは強いて言うなら声の大きさでしょうか.私は大きな声でハキハキ話すタイプの人間ですので印象が良かったのかもしれません.バカバカしいと思われるかもしれませんが,面接する側はきっと「この人がうちの研究室に来たらどんな雰囲気になるか」ということを考えていると思います.大きな声でハキハキ話すのはそういった観点から良い印象を与えると思います.

最後に

色々と不安に思うことはありましたが,このようにしてそれらを乗り越えました.全体的にとても人に恵まれたと思います.指導教官,研究所の上司,色々と良くしてくださった先生方のサポートのおかげでなんとか生き残ることができました.
また振り返ると全体的にあらかじめ計画を立てて行動したのが良かったのかなとは思います.お金に関しても博士取得に関しても先のことを常に考えてペース配分したおかげで客観的に見ることができ,心に余裕を持つことができました.

会社を辞めたことについて

会社を辞めたことに後悔はないかとたまに聞かれますが,全くありません.望みのポジションを得た現在は当然ですが,心を決めてから会社を辞めるまでも,博士を取れるか不安に思っていたときも,ポスドクで将来どうなるかわからないと思っていたときも,辞めなければ良かったと思ったことはただの一度もありません.多分ポストが見つからなくてアカデミックを諦めたとしても後悔はなかったと思います.もちろん失ったものもあるわけですが,少なくとも私にとっては惜しむようなものではありませんでした.自分が進みたいと思う方向に進んでいる満足感が優っていたように思えます.

結び

というわけで思っていることをつらつらと書き並べた結果1万字を超える長文になってしまいました.お付き合いいただきありがとうございました.退職D進を考えていらっしゃる方の参考になれば幸いです.

最後に退職D進を決めたことを両親に伝えた際,母親に言われた言葉を強烈に覚えていますのでそれでもって本文を締めくくります.

自分の人生だし好きにしなさい
ただし自殺と失踪は絶対に許さんからそれだけは忘れないように

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